東京コミュニティスクール-探究型学習が教育の特長-全日制オルタナティブスクール(小学1年生から6年生)

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2017年02月 アーカイブ

2017年02月03日

すべては「おかげ」

タイトル:ありがとうにありがとう
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはおかげさまで生きている。」

[1年生]

一年生ももう少しで二年生。成長著しい時期を迎えました。最初は、思いを素直に語ることができなかったり、いたずらに他者を攻撃してしまったり、ただぼーっとしてしまったり。それが今では、

「えっ、おっちゃん、もう終わっちゃったの?」

90分ずっと語り合うことが「タスク」ではなく、自分の思いを吐露する時間になっているからノンストップで終わってしまいました。

1年生だって、というか、子どもって、語りたいことはずっと語っているじゃないですか。しつこいぐらいに。だから大人は「もういい加減にして!」とむしろ止めさせます。なのに、「授業」となった途端、素直な思いが出てこないというのは、子どもが何かを感じとっているから。「こんなこと言わない方がいいかな……」
「まちがっているかな……」
「馬鹿にされるかな……」

という雰囲気の場になっているということでしょう。

こうなると、先生の期待・正解を読むのにたけた子は、正解っぽい知識のひけらかし、きれいごとでなんの議論も生まないぬるっとした意見をするし、できない子は、わざとおちゃらけた答えをして、場をかくらんするということが起こります。

しかし、一年生の頃から、探究教師が誠実に子どもと向かい合って、子どもの素の思いをすくいあげて、意味のある議論が面白い!と感じるように環境設定していく必要があります。

今回のテーマは、語り合いを通じて意味を再構築してゆくことがメインとなります。まさに一年生にとって、次の段階に登ってゆく一里塚です。自分の思いを素直に発し、他者の思いに耳を傾け、実際に観察したり、聴いたり、体験したことをもとに、今までとは異なる「意味」を構築する。こういうと、とっても難しいことをするように聞こえてしまいますが、要は、なんとなく知ったつもりだったり、逆に、まったく見えていなかったりしている状態に自分があったことに気づき、これまでとは異なる「認識」を持って日々行動するようになるということです。こうして、ちょっとずつ、保護下から少しずつ「社会」に踏み出し、自分だけではない「世の中」で生きてゆくことの意味を実感してゆくのです。

具体的にどんな「概念」を追究するかというと「おかげさま」。なんとも日本独特の表現です。誰かの、何かの「おかげさま」の中に生きるってどういうことなのか、自分がその渦中にいることに気づく学びと言えましょう。

「おかげさまって聴いたことがある?」

一様にみんな???

「じゃあ『おかげ』は?」

「ああ〜!」

「おかげさま」は聞いたことないのに「おかげ」だと聞いたことある!ってなるところが面白い!

じゃあどんな「おかげ」を聞いたことがあるの?とたずねると、

「◯◯のおかげで仕事が少なくなったよ」
「きみのおかげでなくしたものが見つかった」
「ママのおかげで新型テレビが買えた」

自分・友だち。お父さん・お母さんが何かいいことを自分にしてくれたときおかげを使っていることが自ずと見えてきちゃったね。

「おっちゃん、いいことだけじゃないよ。『お前のおかげで転んだじゃねえか』って言うじゃん」

おっ!またまた面白いところに気づきましたね。

すると……

「わるい時は『せい』じゃない?」
「あっそうか?でも『おかげ』とも言うような気がするしなあ……」
「『せい』は悪いときしか使えないかもね」
「そうか、おまえのせいで時間がむだになった!って言えるけど、おまえのせいで優勝したできたよ!とは言えないや」

ここまで私は「せい」についても「おかげ」についても辞書的意味は提示していません。もしそうしたら……素直な子どもは、考えるのをやめて、それをただ覚えて終わり。わかったと思ってしまうでしょう。

でもこうしてこれまでの体験を掘り起こして、ていねいに意味を紡いでゆけば、自ずと「意味」が見えてくるのです。この段階になって初めて、辞書を使って、どんな意味が「通例」なのか(あえて「正解」とは言わない!)知ると、使える言葉、深い理解へとつながるのです。この手間を惜しんではいけません。

そして私も、子どもたちの先行知識をつかむことができました。「おかげ」は身近な人の見えている部分に使うと思っていること。「おかげさま」となったときに「おかげ」とどう違うかは考えていないこと。自分の「せい」についての認識は甘いこと。

「じゃあこれから『おかげさま』探検の旅にでよう!

「やったあ!」(何をするのかまったくわかっていないのに、なんとなく面白そうだから勢いで言ってしまった子ども特有のやったあですが(笑))。こうして一週目の探究は過ぎました。

RI

TCS2016年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
 

フィールドワークでどんなことを発見するかな?

タイトル:目からうろこ
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:我感じるゆえに我あり

[2年生]

見る・触る・聴く・嗅ぐ・味わう。
わたしたちは普段どれくらいこの”五感”を意識して使っているのでしょうか?
特別な訓練を積まなくても耳を澄ますと気にしていなかった様々な音の存在に気がつきます。
同じように視覚・嗅覚・触覚・味覚も限りない可能性を秘めているのではないでしょうか?

このテーマ学習では私たちの五感に焦点を当て、感じ取ることを楽しみ それぞれにどのような特徴があるのか共有していきます。きっと仲間どうしで感じていることが違うことでしょう。

初日は子どもたちをフィールドワークへ連れ出しました。
中野の街を歩いて、自然を感じることができる平和の森公園へと向かいます。

「今日はフィールドワークに出かけるよ。」とわたし。
「えー!やったーーー!どこへ行くの?」と喜ぶ子どもたち。
「中野の街を歩いて平和の森公園へ向かうよ!それでね、平和の森公園でそれぞれの決めた場所でスケッチをしてきたいんだ。」
「わーい!スケッチ大好き〜。でもあまりしたことがないから嬉しい!」
「それで戻ってきたらこのフィールドワークでの色んな発見を詳しく聞かせてね。」

ということでスクールを出発し、いつもの通学路を歩いてそのまま中野駅を通り越して中野通りを北上。

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いつもの通学路でも気づいていなかったことがたくさん見つかることに興奮気味の子どもたち。
そのままサンプラザを左に平和の森公園へと向かいました。
じっくりとスケッチに耽ることも意外と珍しい時間です。
子どもたちは思った通り静かに自然をじっくり眺めてそれぞれにゆっくりとスケッチを楽しんでいました。

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翌日、子どもたちにはフィールドワークで発見したことを作文にして発表してもらい、メタメタマップに記録していきました。

「いつもの通学路にある団地の各界の壁にかけてある古いシャベルはなんのためにあるんだろう?」
「ボルダリングができる家があった。ドロボウが2階にも登れちゃう!」
「カレー屋とオムレツ屋の間に看板が落ちてたから、ガスメーターにかけておいた!」
「公園の池は外来種が住んでそうだった。」
「8cmくらいのツマヨウジみたいな棒に折り紙のような紙をつけた小さな旗がたくさんあった。黄色とピンクが多かったよ!」
「スケッチしてて発見したんだけど、スケッチには2パターンあって、一つのものをくわしく描く方法と広い景色を描くやり方があるんじゃないかな?」

なかなか2年生たちはユニークな視点でフィールドワークをしていることが伝わってきました。”学びのアンテナ”はしっかりと反応しているようですね!
今までのテーマ学習で身につけた観察の仕方や相手に伝わる言葉による表現をきっと意識して伝えてくれているのでしょう。
他にもたくさんの発見がありました。
来週はこれらの発見にどのような傾向があるのかそれぞれの発見を抽象化して眺めていきます。

YI

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水がなくなる?!

タイトル:Be Water
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:上善水の如し。

[3・4年生]

「Be Waterって、水のことやるんでしょ。」
テーマが水という思いはみんなが持っているようで、初回に水について知っていることを出し合うことには、何の抵抗感もない様子で始まりました。

「水は誰にでも必要なもの、生き物みんな。」
「体も水でできている。」
「水は、雨→川→海→蒸発して雲→雨ってぐるぐる回ってる。」

つまり、水は限りない資源ってこと?

3・4年生のうちの4年生たちは昨年度のテーマ学習「限りある資源、限りなき欲求」を経験しているため、「限りない」のかどうかを尋ねてみました。
すると、意見が分かれます。

「水は回ってて、それがずっと繰り返されてるからなくならないよ。」
「人口が増えていっているから、体に取り入れる水がどんどん増えて外の水はなくなると思う。」
「水にも限界があると思う。でも、「Zone」と同じで広げられるのかも。」
「砂漠の空気で水が作れるってテレビでみたよ。」
「でも、それちょっとの水しかつくれなくて数滴みたいだよ。」
「海水を飲める水にできる技術が進んでるから、水は作れるよ。だからなくならない。」

初回は子どもたちが持っている情報、prior knowledgeを引き出していきます。自分の意見と違う意見でも否定することなく、お互いに思っていることを発言していきます。特に意見が分かれるときはどっちが合ってるではなく、これから学んでいく中で全員の認識が更新されていくことを目指していきます。水が限りある資源だと話している子たちにとっても、それほど危機感は感じていないことが窺えます。

「なんで、Be Waterなの?」「水になるってこと?」
「みんなにあげる人になる?アンパンマンみたいな感じ?」

それぞれの発言を聞く中で、思いついたこと、つながったことをあげていくと話の流れはタイトルへと移っていきました。そうなると気になるのはセントラルアイディア。
「上善水の如し」という言葉を聞き、一同沈黙。
頭の上に「?」アンテナが立っている様子。
「うーん、全然わからない。」

上・善・水・ごとし、それぞれの意味はわかっても、つながらないからモヤモヤしています。そんな状態で終わった1日目でした。いったいどんなことをやるのか、水を知ることだけがテーマではないことになんとなく気づいている感じもします。

子どもたちの口にする言葉から、水は普通にあるもの、なくなるとしても遠い話であり、循環しているなら何の問題もないのではといった感覚でいることがわかりました。そこで、世界で起きている水に関する現状に目を向けていきます。

2017_1_bluegold.jpg『ブルー・ゴールド』
2008年に制作された水危機を描いたドキュメンタリーを視聴しました。
字幕の文字と映像を追いながら、わからない部分があっても何を訴えようとしているのか、自分たちなりに理解しようと見ていきます。
こんなことが起きているの!?
水戦争の現状を知り驚きます。



「50年後には水不足って、2008年に言っていることだから
自分たちが51才のときに起こるってことだ。」
「電気にも水を使ってるんだ。」
「バラ12本で120Lも使うんだ。」
「川の水が汚くて飲まなくても、それで育った植物を食べて病気になってる人がいる。」
「ダムをつくると木は育たなくなるんだ。」

人間が水利用のためにダムを作ることでの影響や人口増加による河川汚水、
生産する上で必要な水の存在、水に困っている人々が実際にいること、
その地域に井戸を掘っても地下水には限りがあるため課題が残されること、
自分たちの知らない世界が現実にあることを知り、見えない部分が見えてきます。そして、いちばんの驚きは「水戦争」でした。水(川)をめぐり国家間での争いがあり、また水が商品化されることで、買えない人は水が手に入らなくなり暴動へと発展していきます。

「たかが水で戦争が起きるなんて。」
「水だけで戦争になるんだって思った。」

私たちにとってみれば、水道の蛇口をひねれば簡単にきれいな水が手に入ります。水に困ったことがない生活を送っている立場だから出てくる発言であります。水がなくなると言われて「怖い」と思っても実感はなく、だから水を大切にしようと言っても響くところまでには至りません。

ただ、なんとも言えない複雑な思いにさせられたのも事実です。映像の中には水を売る企業側と一般市民との対立が出てきます。気持ちとして市民側だけれども、相手企業は日本でも有名な会社であり、輸入先に日本が入っているわけです。子どもたちのほどんどが飲み水はミネラルウォーター。水道水は飲まないといいます。自分たちは水の購入者であり、企業側のお客様になっていることになります。また、海水を淡水にできる技術の話も登場しますが、高額なコストがかかることなどの課題があることがわかりました。

そこで疑問となるのは、自分たちはなぜ水に困らないでいられるのかということになります。そして、水問題に関して「水が少ない国があるなら奪い合わないで水が多い国があげればいいのに。」と感想が出るように解決策があるのではないのかという思いも出てきます。

2017_1_lunch_IMGP8710.jpg「Be Water」って、
「上善水の如し」ってどういう意味?
水で争いが起きてるなんて信じられない。
日本では水問題が起きていない?



当たり前のようにある水、意識していなかった水に目を向けて自分たちがこれまで見えていなかった現実に突入していきます。


AN

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紛争と人権侵害

タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:人権は自由、正義及び平和の基礎である。

[6年生]

「トランプ大統領がテロ支援国家からの入国を禁止」
「ISの紛争が終わらない」
「ウクライナの内戦が続いている」

遠い異国の地で起きている戦争・紛争についてのタイムリーなニュースが毎日のように目に飛び込んできます。
テレビやインターネットを通じて耳にしたり、目にすることができます。

私たちは日常的にそういう遠い異国の地の話を聞くことに慣れ過ぎていて、「自分ごと」として捉えるよりも「テレビの中の話、インターネットの中の話」と片付けてしまいがちです。
紛争と人権侵害、この二つのキーワードはなかなかつながりが持てなかったようです。
「紛争は、戦争のことじゃないかな、戦争との違いはなんだろう?」
「人権侵害っていわれると、プライバシーの侵害のことが浮かぶ」
「てことは、紛争は人権侵害のもとになること?」

この二つのキーワードを元にして、自分たちなりの考え、つまり「仮説」を立ててゆきます。

それぞれの言葉も耳にはしているものの、実感を伴って感じたことは、大人ですらほぼ皆無と言っても過言ではないことです。
そんな中で、今回のセントラルアイディア「人権は自由、正義及び平和の基礎である」ということについても同様にして「仮説」ベースの考えが多く出てきました。
「正義は悪に対抗するもの」
「自由は責任を伴うもの」
「平和は理想なんじゃないか」

まずはこの「問い」から始まる今回のテーマ学習ですがその核となるアウトプットは「ジャーナル」です。
今回は「知ったこと、学んだこと」から生まれた「問い」を元にして「仮説」を立て、そこから「調べたこと」をもとに自らの「仮説」を検証し、考えを発展させてゆく。
毎日書くこの「ジャーナル」は来年今の6年生が行っている6年間の探究の総決算「エキシビジョン」にも繋がってきます。

毎日書くことがまず第一のチャレンジであり、そこからさらに質を高めて行き、「インプット」を「アウトプット」に変える、それこそが今回のBorderless Worldの重要な要素なのです。

さて、今回のBorderless Worldの重要な教材は一昨年放映されていたNHKスペシャルの「新・映像の世紀」です。
第一次世界大戦の始まりから現代まで、無限に続く戦争と紛争の連鎖を止めることができない人類を「ビデオカメラ」が生まれてから100年たった現代にその歴史を克明に記しています。

「なぜ戦争は起きるのか」
「なんのために戦争するのか」
「戦争はなぜ終わらないのか」

それぞれの自分なりの答えを考え、調べ進めてまいります。
長い6週間のチャレンジが今始まります。
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TY

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2017年02月10日

誰かの「おかげ」と大きな「おかげさま」

タイトル:ありがとうにありがとう
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはおかげさまで生きている。」

[1年生]

「きみのおかげで助かったよ!」

というときは、眼に見える誰か・何かの恩恵で、自分が守られたり、お世話されたり、助けられたりする。でも、おかげさまは、

「おかげさまで30年」
「おかげさまで元気になりました」

というように、誰か一人だけではなく、いろいろな人だったり、時代の流れだったり、自然の回復力だったり、神や仏のご加護としか言いようのないことも含め、大きなものの「おかげ」があるときに言う。

そもそも「かげ」ってどういうものなのよ……

「自分の影を見に行くか!」

おっちゃんの一声に、もちろんみんなも

「イェーイ!!」

天気がとってもいいんだから、「おかげさま」ならぬ「お日様」「お天道様」のつくるかげを見に行こう!

ありがたいことを感謝する「おかげさま」を学ぶことと、影を見る学びにどんなつながりがあるのか……

そう考えてしまうのではなく、

知ったつもり、わかったつもりになっている身近なものを改めて「観察」してみると、思わぬ「発見・気づき」、もっと言えば実感の伴った深い理解に到達するのでは、と考えるのです。それが探究マインドを活性化するジェネレーターの思考回路です。

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「手を動かすとこんなふうに映る」
「片足あげたら足が一本になった」
「ジャンパー持ち上げるとこうもりみたいだ」

いろいろなかっこうをしてみて自分のかげの形を見つめます。

やがて……

「そうかこっちに影があるのはあっちに太陽があるからか」
「太陽って真上にないんだね」
「あしたの朝来たら、同じかな」

観察して揺さぶられた心から素直に疑問が湧いてきます。

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「おっちゃん、でもね、ビルの影に入るとね、ぼくの影は消えるんだ」

そうつぶやく子の声を聴いて、「そうか、大きなものの影の中に入っているときは自分の影は見えないんだ」

「かげ」に対する2つの見方に自ずと気づきが生まれました。

そして再び部屋の中へ……

「実はねえ、『かげ』には漢字が2つある。ひとつは『影』」

こういうとき、本当に私たちは「漢字」を持っていることが大きいなあと思います。一年生が習ったばかりの漢字で分解してゆくとそのまま今日、体験したことそのものです。

「日っていう字が入ってる」
「太陽がかげつくるからだよね」
「右のチョンチョンチョンって光線だよ」

確かに!今日のように斜めから差し込んでいる感じに見えるではないか。

「東『京』の『京』も入ってる!」「そっか、これ立ってる人だよ」

いやいやまさに。立ってる人が「京」。そこにお「日」様の「光線」が三本さしこんでいる。こうしてできるのが「かげ=影」。ということは、「◯◯のおかげで」の「かげ」は「影」なんじゃないか!

一見、外に出て影遊びをしていただけのように見える活動で頭ぐるぐる状態になっているところに「漢字」という触媒が入ると、一気に「発想」が花開くから面白い。こういうストーリー感を子どもと持てる人が探究をみちびくジェネレーターなのです。

(じゃあ、自分のつくる「かげ=影」じゃない「かげ」、大きなものの「かげ」に入っちゃうときはどうなんだ……)

そんな子どもの素直な頭の動きを見透かすように「陰」という漢字を模造紙に書きます。光が遮られることで現れるのが「影」、見えなくなったところが「陰」となる。みんなの体で光をさえぎったからきみたちの体の形が現れた。それが「影」。でもね、光が当らなくて見えなくなってしまった部分が「陰」。だから大きなビルの「陰」になってきみたちの「影」は見えなくなったんだ!

「だからおかげは見えやすいのに、おかげさまは見えにくいんだね」

なんと、なんと、早くも「おかげさま」の本質に近づいてきてしまったではないですか。それも自分の「実感」とつなげて理解が深まったのだから言うことなしですね。

だんだんわかってきたときは、ここでちょいと突き放す一言を……

「ということは、おかげさまが何のかげ=陰になっているのを見つけるのは大変そうだぞ。そのうえ、自分の影が見えないということは、誰が自分のために何かをしているのかを見つけるのも大変だ。きみたちに見つけられるかな?」

子どもたちは、本当にそうだな……という感じになり、ちょっとシュンとします。しかし、そこから次のステップの探究が動き始めます。

自分が受けている「陰」=「お陰さま」を見つけよう!

シュンとしていたのも束の間、なんか面白そう!の顔に戻ります。

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今日は昨日のように晴れてはいない。だからお日様の「影」が映るわけがない……同じ場所に行ってみると、案の定、「影」は見えない……

しかし

「水に影が映っている!」
「本当だ」

諸君、君たちの心がこの「水」のように澄んでいれば、太陽の「影」が見えなくても、自分に陰を与えている存在がきみたちの「影」の向こうに見えるだろう!

このセリフ、もともと考えてはいませんでした。単に今日は影はないね。ただ雲の陰になってるね。ということを確認するだけのつもりだったのにそんなことに気づいてしまった。これも子どもたちの「おかげ」。こうして子どもとともにジェネレーターも探究を進めてゆくのです。

RI

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五感て何だろう?

タイトル:目からうろこ
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:我感じるゆえに我あり

[2年生]

先週は中野平和の森公園を目指してフィールドワークを行いました。
フィールドワークで発見したことを作文にして語ってもらったのでいつものように模造紙へ記録していきました。
今週はまず、その自分たちの発見をもう一度見返してみることからスタート。
見返していくことで先週の感覚が子どもたちにも蘇ってきます。

「元カレー屋さんだったところが先週は工事中でペンキ塗ってたでしょ。昨日見たらもうテーブルとか椅子も並んでたし大分できあがってたんだよ!」
「そういえばSくんの発見って面白いよね。”くすぐったい”って思ったら鼻にハエが止まってたとか言ってたもんね。それとサンモールに小さな黒い点があって”監視カメラかなぁ?”ってドキドキしたって言ってたよね。」と子どもたち。
「なるほどね。Sくんの発見はどこが面白いんだろう?他の発見とどこが違うのかな?」と私。

メタメタマップに書かれている発見を一つずつ見ていって何か気づいたことがあれば発言してもらうことにしました。

すると、ある子がほとんどが”目”で見た発見であることに気がつきました。
一部には”平和の森公園のまわりはさわがしかった”という”聴覚”による発見や”くすぐったいと思ったらハエがとまってた”という”触覚”による発見もありましたが9割以上は”視覚”による発見でした。

「そうか〜。じゃあ五感の全部は使ってないんだ。」と男の子。
「え?五感ってなあに?」と他の子がつぶやきます。
「えっとねえ、見る、かぐ、きく、味わう。あとは〜なんだっけ?」
「あ!手触りだ!!」
「ああ!なんか聞いたことがあるなあ!それで全部で5個だから五感なんだね。」と納得の様子の子どもたち。
「この五感を使ってぼくたちはどんなことができるんだろう?」と私が問いかけました。

すると得意そうな表情で一斉に手が挙がります。
子どもたちから出てきたたくさんの意見をメタメタマップに書き上げ、みんなで眺めていきました。

するといくつかのコンセプトが浮かんできました。


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”味わう”、”いい香りをかぐ”、”自然の音にいやされる”などのように”楽しむ”ための機能、また”料理が焦げてるか分かるためにかぐ”、”暗いところでどこに何があるか分かるために触る”また味見して食べられるかどうか知るための”危険予知”としての機能、そして”におい”や”きくこと”によっていろいろなことを”思い出す”という機能など様々な役割を私たちの五感が持っていることが見えてきました。

実際に目隠しをして触覚を頼りに歩いてみるといつもの教室でもまるで世界が変わります。
来週は”五感”を意識するといつもの感じ方がどう変わるのか実験してみます!

YI

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見えてない部分を見に行こう!

タイトル:Be Water
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:上善水の如し。

[3・4年生]

自分たちの生活では蛇口をひねればいつでも好きなだけ水を使うことができます。
水が不足しているといわれていても、ピンときません。
雨が降り、それが山を経て川や海に流れつき、蒸発して雲となり、
また雨となって繰り返される循環についての知識はあっても、
日頃の生活においては雨水を利用することも川の水を利用することもありません。

水道の水がどこからきて、どこへ行くのか。
自分たちが普段使っている水と自然の「水」
そして、水不足の「水」とどうつながっていくのか。
まずは身近に使っている水の行き先を辿っていきました。

スクールを出発して、坂を下っていきます。
“坂を下ると川がある”
「東京発見伝」のテーマ学習で歩いたときの地形感覚が活きてきます。
大久保通りを渡ると橋があります。でも、川は見当たりません。

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「ここに桃園川があるんだよね。」
「川が見えるかな。」道の端にあるますの穴を覗きます。
「う・・・。すごい臭い。」
人口増加により汚染されたことは知っているため、やはりこの川は汚れてひどい状態なのかと想像しながら、神田川を目指します。

2017_2_kandagawa_IMGP8650.jpgところが、神田川の水は意外にきれい。
泥やごみは多少ありますが、
上澄みの水は透明になっています。
また、川が全面に顔を出したのに嫌な臭いは全くしません。いったいどういうことなのか、それを確かめることはできるのでしょうか。


神田川沿いを北に向かい、下落合に。
目的地の落合水再生センターに到着です。

2017_2_osui_IMGP8658.jpg 家庭で排水された水がここに届きます。
試しに臭いを嗅いでみると、
「目が痛くなる。」
「鼻がツーンとなる。」と
桃園川緑道で嗅いだ「公衆トイレの臭い」よりも
きつい臭いと言います。


自分たちの使っている水はどこからきて、どこに行くのか。
水道の水が消毒されていることは知っているため、川からの水がダムで貯められ、浄水場できれいにされていることは想像できます。そのため、汚した水も薬による消毒できれいにされているというのが子どもたちの予想でありました。

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お話の中で、水は薬品ではなく微生物によってきれいになることを聞き、
「微生物のおかげなんだね。」と見えない部分が見えてきます。
アメーバやクマムシなどの多数の微生物が汚れを食べて沈むことで上澄みの水がきれいになっていきます。

2017_2_biseibustu_IMGP8673.jpg 見えないけれど、無数の微生物がこの中で水の汚れを食べています。 サンプルを見せてもらったあとは、実際の現場に行ってみます。
「臭くはないけど何か臭う?」
反応槽と呼ばれる場所。微生物の臭いがします。
田んぼでも同じような臭いがするとの説明を聞き、
「あー。Tさんちの田んぼの臭いと似てる。」
サマーキャンプの田んぼが連想されます。

これで十分きれいな水ができあがり。
でも、終わりではありません。さらに砂濾過して真水にします。
水再生センターの役割は排水をきれいにして川に返すことと、雨水を管理すること。落合水再生センターでは神田川に水を放流します。

「こんなにきれいにする必要はないのだけど。」

行政で決められた神田川の水質基準を守るために、砂濾過作業をしているのはここ落合水再生センターの特徴だといいます。

2017_2_mamizu_IMGP8675.jpg 必要以上にきれいにした水は透明度も高く、見た目もきれいです。ミネラルも取り除かれてしまうため、飲んでもおいしくない水だといいます。
この水で育った魚がこの前、卵を産んだそうです。
なにかモヤモヤを感じます。



見学後は、落合から妙正寺川沿いを歩きます。この川は中野再生センターから放流された水です。少ない水量ながらもきれいな川の水にカモが数羽止まっている様子が目に止まります。

桃園川の下は、今は下水道となっています。自分たちが嗅いだ臭いは汚水の臭い。一方、神田川の水は落合再生センターから出てきたきれいな水ということになります。

きれいにし過ぎているのは、汚し過ぎている反動でしょうか。
課題としては、やはり排水が通る下水道を汚さないこと。雨水が多くなれば、汚水はそのまま川に流れ出されてしまいます。また、老朽化に伴う工事が追いついていないのも現状です。

下水道管破損による事故のニュースをみると、管が汚れで細くなっている映像が出てきます。キッチンから流し出された油が管に固まってこびりついてしまうことが原因だという再生センターの人の話が思い起こされます。

2017_2_gesui_IMGP8690.jpg

TCSのキッチンの排水口を覗いてみると、すぐに異臭と固まった油が発見されます。 汚している当事者であることに気付かされます。
見えていない部分をみることで視野が広がってきています。

AN

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激動の100年の歴史を辿る

タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:人権は自由、正義及び平和の基礎である。

[6年生]

今週も引き続き、「新・映像の世紀」を通じて、20世紀の戦争と紛争の歴史をたどってゆきます。
1930年代、第一次世界大戦の戦後賠償でドイツが貧困にあえいでいるなか、
アメリカの石油メジャーを仕切っているロックフェラーなど
「グレートファミリー」
が世界をリードし、覇権を高めてゆく様が描かれてゆきます。

そして、「ファシスト」と「共産主義・社会主義」を天秤にかけた結果、
はじめは「ファシスト」を擁護し、「共産主義・社会主義」の打倒を掲げた、ヨーロッパ、アメリカ世界であったのですが、
日本の参戦によって、「ファシスト」に対する打倒が強まり、第二次世界大戦への火蓋が切って落とされるのです。

日本、イタリア、ドイツの三つのファシズムによって支配される国が同盟を結んだことは、歴史上の事実としても、有名なことです。

しかしながら、このような「第一次世界大戦」からの流れから引き起こされていることである、という認識は通常の歴史の授業では生まれないのではないでしょうか。

特に、「Borderless World」のテーマでは、「人権は自由、正義及び平和の基礎である。」というセントラルアイディアを通じて、20世紀の戦争、紛争の歴史をみてゆきます。

第二次世界大戦が終わったとしても冷戦と「代理戦争」によって、「紛争」がやまず、朝鮮半島、ベトナム、アフガニスタン、中東、アフリカ、様々な地域に戦争の火花が飛び移り、日がついたのです。
また、この冷戦によって強く分断されたのは「ドイツ」でした。

ベルリンが壁によって或る日突然分断され、もう行き来ができなくなってしまったのです。
ベルリンの壁は分断されてから28年、分断されたままでした。
その間、お互いの壁の向こうの行き来ができず、お互いに国を行き来することもできず、会うことすら許されず、東西のベルリン、特に東側から亡命する若者も崩壊直前には多く出ることとなったのです。

様々な地域の紛争や分断によって、「人権」は侵害されていました。

罪のない民間人が殺されたり、「テロ」の被害にあったり、戦争とは関係のない人ですらその標的となったのが現代です。

新聞を開けばすぐにこの「第一次世界大戦から続く100年の悲劇」の延長線上のニュースが現れる、それが現代なのです。

これらの知識を毎日まとめ、考えてゆくために先週から始めた「ジャーナル」も日に日に内容が進歩しています。
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新聞やインターネットで得られるAFPなどの国際ニュースサイト、様々な情報ソースから調べたことで、自分の仮説を検証し、まとめる。
毎日繰り返していくことがチャレンジですが、さらに毎日質を高めるための努力が欠かせません。

新聞からの情報をシェアしたり、お互いに気になった情報をシェアしていきます。
来週からは「世界人権宣言」を元にしてそのできた背景を考え、人として生まれたからには当然持ちうる権利にはどのようなものがあるのか、考えてゆきます。

TY

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2017年02月17日

「ありがたい」ことが「あたりまえ」?

タイトル:ありがとうにありがとう
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはおかげさまで生きている。」

[1年生]

「おかげ」は「影」、「おかげさま」は「陰」

というように、漢字に表して考えてみると深い意味が見えてきます。「かげ」だけでなく、そこに「お」と「さま」という言葉がくっついているのですから、とっても「ていねい」に表さないといけないことだとわかります。

「『お』は、『お』にぎりとか『お』ふろとか、いうように大事だよというもののうえにくっつけるんだよ」

「『さま』もえらい人につけるよ」
「おかげさまはすごいよね。『お』も『さま』も両方るいてるもん」
「お日様とかお月様とかお星様とか、宇宙のものに両方つくのが面白いよね」
「神様も仏様も『様』だけで、『お』神様とは言わないよ!」
「神様よりお月様の方が上なのか……」
「あれ?でも『お』かみ『さん』とは言うよね」
「おかみさんってお母さんだったり、お店の女の人に使う」
「やっぱりお母さんはえらいんだ」

いやあ、この話題だけで全然話が止まりません。やはり「ことば」の意味を深堀りしてゆくのは、それだけで好奇心をひきつけるものなのです。なのに、「国語」の授業ということで形式化された瞬間、つまらないものに変貌してしまうのです。

「ことば」への感度が高まったところで、「おかげさま」というのは、私たちを庇護してくれる、大いなる「陰」への感謝から発せられる言葉だということについて考えてゆきます。

「『ありがとう』って『ありがたい』っていう言葉からできたんだ」

こう一言発しただけで、

「どんな漢字書くの?」

という言葉が子どもたちから返ってきます。「かげ」を漢字に直して意味を発見していったのがよほど面白かったのでしょう。もう一度、同じことができるのではないかと興味津々というところでしょうか。

そこで模造紙に

有難い

と書きます。もちろん一年生が習っている漢字ではないし、結構「難しい」漢字です。

「どっかで見たかも……」

確かにどちらの字も日常よく使われるので、身の回りで見ているはずです。そこでいくつかこの漢字を使った言葉を並べてみます……

有名、有楽町

「ああ『ゆうらくちょう』だ!」

鉄の男子はすぐに反応します。もうひとつは「ゆうめい」って読むよ!と言った途端に、「ああ」という声がもれます(笑)。

「でも、『ゆう』とは読まなくて、これは『ある』と読む。もうひとつの漢字『難』は『しい』という送りがなをつけて『むずかしい』と読むんだ」

「あることが難しい=有難い」

そうか……あることがむずかしいってことはなかなかないんだ。めったにないことが「有難い」ということ。

「おかげさまは有難いっていうのは、おかげさまというときって感謝するときで、ああこんな よいことを私にくださいましてありがとうございましたという気持ち。それはなかなかないこと。あたりまえじゃない!っていうことだよ」

「ありがとう」と言うのは、「あたりまえじゃないんだ!」と高らかに宣言していること。誰かから親切にされたり、恩恵を受けたり、助けてもらったり……いやいや人だけじゃなくて、病気が治ったり、作物が実ったり、いい天気になったり、自然のすべてが私たちの「陰」として、目立たず支えてくれている。しかし、それは、あたりまえのことではない。なかなかないことが眼の前に起きているんだよということを常に常に、口に発する度に、思い起こさせることばが「ありがとう」だったのです。

「ありがとうって言う言葉を使うときって大変だなあ……」

ある子がつぶやきました。置き忘れてきた筆箱を誰かが持ってきてくれたとき、その子の顔も見ずに、ただそっけなく「ありがとう」とぼそっと言って受け取るだけ。ただ、それでもまだ「ありがとう」というだけマシかもしれない……ただ黙って無造作に受け取るだけかも。さらに悪くなれば、みんなお互いに無関心で人の忘れ物なんてわざわざ届ける人など一人もいない。

自分はそもそも「ありがとう」って言っていただろうか。言っていたとしてもただ反射として感謝の気持ちのかけらもなく発していただけではないか。

「そんなにみんな悩むことないよ。だって、ありがとうなんていちいち言わなくたって、君たちのために何かをしてくれる人はいるんだからさ。構わないじゃん」

出た、おっちゃんの「挑発」!だという顔で私のことを見ます。一年生諸君もだいぶわかってきましたねえ。

そんなわけないに決まってるじゃん……でも、現状、そうなってるから痛いところつかれたなあ……

「おかげさま」の意味も、「ありがたい」の意味もわかった。それが「あたりまえ」じゃないことも「知っている」。でも、「あたりまえ」だと思って普段行動していて、全然、おかげさまの気持ちもありがとうの気持ちも伴っていない……じゃあどうすればいいのだろう。そもそもどんな「ありがたさ」の中に生きているのだろう。この2つの疑問についての探究が始まります。

RI

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町にはどんな音があふれてるかな?

タイトル:目からうろこ
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:我感じるゆえに我あり

[2年生]

先週、”五感”の存在を意識し始めた子どもたちはいくつかの種類のリンゴの”かおり”と”味”の違いをより意識するために目隠しをして食べてみたり、また目を隠したまま様々なものに触れることで”感触”でどんなことを区別できるか挑戦してみました。

そして今週はまず聴覚にフォーカスし、街でどんな音をつかまえられるか、ということで『Sound Hunting』に繰り出しました。

ところどころ立ち止まってhuntingした音をメモに残しながら一行は住宅街や商店街を抜け、北口のサンモールを目指しました。

『Sound Hunting』では聞いた音をなるべく聞いた通りに表現することを目指します。
日本語ではさまざまな声や音が擬声語や擬音語となって表されていますが、実際に耳で捉えている音とは異なるものです。
例えばすずめの鳴き声は「チュンチュン」ではないはずです。
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鳥の声、袋が擦れる音、足音、レジの音、マンホールの下を流れる水の音、電車のモーター音、トランクを引っ張って歩く音などなど。
注意深く”耳”に意識を集中すると町にはたくさんの音があふれていることに気がつきます。

「あ!あの灰色の鳥の声面白い!チーチリリリリ。」と鳥の鳴き声を真似てみています。みんなそれぞれにキャッチした音を記録し、その音を呟きながら歩を進めていきます。

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スクールに戻り、フィールドワークで聞き集めた音をみんなでシェアするとかなりの数になりました。
それぞれの音を子どもたちが再現して表現してみると聞こえている音にも個人差があり、もちろん再現される音にも違いがあることに気がつきました。

また音だけではなく私たちがふだん見ている世界も人それぞれに見え方の特徴があることを知るためにいくつかの錯視アートを鑑賞しました。

来週は五感を意識して自然の中をフィールドワークするとどんな発見があるのか、高尾山を目指します!

YI

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食器洗い改革!

タイトル:Be Water
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:上善水の如し。

[3・4年生]

キッチンから流れてきた油が下水道管を汚し、管の幅を狭めてしまうことを
落合水再生センターに行ったことで映像やお話により知ることができました。
「油を流すなんて」と思っていた矢先、
スクールの排水口を除いてみると、そこには映像で見たものと同じ油の塊が付着しています。
さらには、異臭もしています。
周りにいた下級生たちは「わ、汚い!」「臭い!」と騒いでいますが、
3・4年生の反応は違っていました。・・・絶句です。
自分たちが汚している当事者であるとは思いもしていなかったからです。

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「これって、TCSだけじゃないよね。」

誰もが汚そうなどという意識などなく、自然に知らないうちに汚してしまっていることが問題であることを目の当たりにします。

「洗わないと!」水で流そうとする子にストップがかかります。
「水で流しても、下水道で固まっちゃうよ。」
「拭き取らないと!」

「洗う=水を使う」のは漢字からも語られています。その場をきれいにするため、ついつい洗い流してしまうことが癖のようになってしまっています。汚れを「拭く」改革の始まりです。

スクールでは週に1回はみんなで同じ昼食をいただく会席の日があります。
水曜は1・2・6年生、木曜は3・4・5年生に、救世軍ブース記念病院のカフェテリアから お弁当を届けていただいています。1年生のテーマ学習でちょうど作っている様子を見学に行っているところでもあります。

2017_3_tabenokoshi_.jpg 「みんなに油汚れを流さないでもらうよう呼びかけたい。」 まずは、どう洗うのがいいのかを自分たちで実践してみるべく、 その日に会席だった人のおべんとう箱を回収してみます。
集めてみると、おや?まだ食べられのに野菜やご飯粒の残しがあるものが目立ちます。いくつあるのか調査です。


2017_3_mizu_.jpg3年生は1年生のときにカフェテリアに行き、お弁当の作られる様子や食器洗いの様子を見てきています。安全のために、何度も洗っていること、食洗機も使うから食べカスや大きな汚れを取ってほしいと言われていることも知っています。
「お米の入っていた入れ物で洗えば、お米も取れるし汚れもだいたい取れる。」
「冷たいからお湯の方がいいかも。」
「こんなに入れる必要なかったね。」
実践でわかることが出てきます。


野菜の食べ残しは23個中19個もあり、計算すると約83%になります。 また、使っている水の量は、1人分を使いすぎに意識することなく洗ってみたときが 2770ml。一方、溜めた水で食器を洗い、返却しない箸とお椀だけは洗剤を使って仕上げにきれいな水ですすぎ洗いしたときの1人分は、729ml。1人あたりで約800mlもの差。この日は23人分だったので、いつものように一人ずつ洗っていた場合との差は18リットルにも及びます。

2日目の調査でも、同じように野菜の食べ残しが68%ありました。さすがに3・4年生は意識してきれいに食べていたことを考えると、この数値は高いことが伺えます。まだ食べられるものがあることに気づかないのか、もういいやと思ってしまうのか、わざと残しているのか、いずれにしても食べられるものをごみにしてしまっていることに変わりはありません。

前日の反省を活かして、食管に入れる水をお湯に変え、分量も半分で洗うことができました。その結果、使った水の量は一人当たり352ml。使わないようにすればするほど減らせることがわかります。

排水口の汚れ拭き取り作業も2日間かけて、ここまできれいになりました。
この状態がどのくらい保たれるのかが今後の観察ポイントでもあります。

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油汚れを拭き取ることで、排水口への油流しを防ぐと同時に使う水量も減らせます。
実証できたところで、次は、誰にでもできるようにしていく段階へと進みます。
会席日以外の日にもお弁当を注文して食べている人に試験的に協力してもらいました。
一緒にいればやってくれるものの、「なんでやらなきゃいけないの?」と
嫌そうに言われてしまっています。確かに水をたくさん使った方が楽であり簡単です。

2017_3_awa_.jpg掃除の時間。たっぷりの洗剤にたっぶりの水。
そう、たくさん水を使えることはとても便利。便利な方がいいのは誰でも思うことです。そんな環境に自分たちがいることを改めて実感します。悪気はないのに使ってしまう、汚してしまう現状に向き合い、食器洗い改革を並行させていきます。



AN

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「人権」の裏にある「感情」と「論理」

タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:人権は自由、正義及び平和の基礎である。

[6年生]

今週は、「映像の世紀」に描写された世界で巻き起こされる人権侵害、それらから生まれた「世界人権宣言」を読み解きます。

今回は世界人権宣言がまとめられている「人権パスポート」を一人一冊持ち、みんなで読みながら議論を進めて行きます。
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世界人権宣言の冒頭には、「はじめに」という章があり、世界人権宣言の全体像をよく表している文章がまとめられています。

はじめに
ひとりひとりの人間は、生まれながらにしてかけがえのない値打ちと平等で奪うことのできない権利を持っています。それを認めることが、自由で公平で平和な世界をつくる基本です。

... (中略) …

国際連合に加わっている国と、その国が責任を持つ地域の人びとのあいだで、こうした権利と自由が大切にされるように教え、また、国の中でも、国と国のあいだでも、一歩一歩前に進むような方法で、すべての人がしっかりとこうした権利を認めるように、社会のひとりひとり、そしてひとつひとつの機関が、いつもこの宣言を頭において努力しなくてはなりません。そのときに、この世界人権宣言は、すべての人とすべての国が達成しなくてはならない共通の基準となるのです。
ー世界人権宣言 前文 より


「国際連合」が第二次世界大戦を経て、1948年12月10日に宣言したのが、この「世界人権宣言」です。
映像の世紀を観たキッズたちもわかったように、第二次世界大戦の後に多くの紛争と人権侵害がありました。

前文(はじめに)を読めば、その歴史となりたちがそこに記されているのです。
まず、この前文をみて一言、あるキッズが発したのは、
「これがすべて守られている世界はつまらないんじゃないかな?」

という言葉でした。

もっと詳しくその意見について聞いてみると、
「全部守られていたら全部の人が「いい人」ってことでしょ?失敗もないんでしょ?」

なるほど、「綺麗事」では済まされない「現実」と「理想」の話を分けて考えている、そんな言葉が溢れ出てきたのでした。

そこからどんどん他の章へと広げます。
1条1条例をあげながら読んでいくと、次に引っかかったのは、

第3条「安心して暮らす」
ちいさな子どもから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、わたしたちはみな自由に、安心して生きる権利をもっています。
ー世界人権宣言 第3条 より


という部分でした。特に引っかかったのは「死刑」についてです。

日本では未だに「死刑」が執行されています。アメリカ合衆国でも同様に執行されています。

しかし、この第3条は「死刑」に反するものである、と「アムネスティインターナショナル」は解釈し、ここに死刑制度についての記載をしているのです。

「死刑に賛成する?反対する?」という質問を投げかけてみると。。。

反対3票、賛成1票でした。
それぞれの意見を聞いていくと、反対側の意見は、
・死はやりすぎ
・勉強すれば元に戻れる
・犯人を死なせてもどうもならない
というものでした。逆に、賛成側の意見は、
・残虐な犯罪を犯した犯人が外にいるのが怖い、再犯するんじゃないか
・何回も起こすよりはいなくなった方がいい、迷惑だ

というもっともな意見でした。

「死刑」というのは「犯罪の抑止効果が薄い」という研究もあるほど、
なかなか議論も多く難しい問題でした。
もし自分の肉親や大切な人が殺されてしまったら、「死刑にしてほしい」という復讐心を抱かないとは言い切れません。
しかし、「死刑」はやりすぎなのかもしれません。

「人権」は感情の問題と論理の問題の二つの問題が絡み合う、微妙な領域だったのです。

みなさんは「死刑」についてどう思われますか?

TY

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2017年02月22日

English Presentation Day (3/2)

English Presentation Day(見学日)のご案内

これまで、英語クラスの出し物は、TCSミラクル・ハイパーステージ(MHS)のプログラムのひとつとして組み込まれていましたが、2015年度より、単独のプレゼンテーションとして年一回開催しています。

低学年は詩の朗読、中学年はドラマ、高学年は独自のPresentationになります。
日頃の英語クラスとは別の位置付けで、TCSの子どもたちにとっては大きなチャレンジの機会です。

日本語でのプレゼンテーションの土台があるからこそ成し得る、見応え・聞き応えのあるパフォーマンスを披露してくれることでしょう。

見学ご希望の方は、どうぞお気軽にお問い合わせください。

               記

【日にち】 2017年3月2日(木)
【時 間】 午前9:10~10:30(開場 9:00)
     ※この日はプレゼンテーションのみの見学となります

【場 所】 東京コミュニティスクール 2階(受付1階)
     (東京都中野区中野1-62-10)地図
     ※JR・東京メトロ「中野駅南口」より徒歩9分
     ※車・自転車でのご来校はご遠慮ください。

【お申込み・お問合せ】
 東京コミュニティスクール(担当:真脇・永易)
 TEL:  03-5989-1869
 e-mail: school#tokyocs.org
 ※メールアドレスは「#」を「@」(半角)に変更してから送信してください。

  お申込みの際は、件名を「Eプレゼンテーション見学希望」とし、
   以下の事項をお知らせください。
     1.見学希望日:3月2日(木)
     2.見学希望者氏名(すべて記入ください)
     3.お子さんの現学年(保護者の方)
     4.e-mailアドレス
     5.電話番号(日中最も連絡のとりやすい番号)
     6.TCSを知った経緯(知人、ネット検索、新聞名・雑誌名など)
     7.質問事項等(あれば)




NPO Tokyo Community School 
特定非営利活動法人 東京コミュニティスクール 


〒164-0001 東京都中野区中野1-62-10 
TEL: 03-5989-1869  FAX: 03-5989-1649 
e-mail: school@tokyocs.org