タイトル:ありがとうにありがとう
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはおかげさまで生きている。」
というときは、眼に見える誰か・何かの恩恵で、自分が守られたり、お世話されたり、助けられたりする。でも、おかげさまは、
「おかげさまで30年」
「おかげさまで元気になりました」
というように、誰か一人だけではなく、いろいろな人だったり、時代の流れだったり、自然の回復力だったり、神や仏のご加護としか言いようのないことも含め、大きなものの「おかげ」があるときに言う。
そもそも「かげ」ってどういうものなのよ……
「自分の影を見に行くか!」
おっちゃんの一声に、もちろんみんなも
「イェーイ!!」
天気がとってもいいんだから、「おかげさま」ならぬ「お日様」「お天道様」のつくるかげを見に行こう!
ありがたいことを感謝する「おかげさま」を学ぶことと、影を見る学びにどんなつながりがあるのか……
そう考えてしまうのではなく、
知ったつもり、わかったつもりになっている身近なものを改めて「観察」してみると、思わぬ「発見・気づき」、もっと言えば実感の伴った深い理解に到達するのでは、と考えるのです。それが探究マインドを活性化するジェネレーターの思考回路です。
「手を動かすとこんなふうに映る」
「片足あげたら足が一本になった」
「ジャンパー持ち上げるとこうもりみたいだ」
いろいろなかっこうをしてみて自分のかげの形を見つめます。
やがて……
「そうかこっちに影があるのはあっちに太陽があるからか」
「太陽って真上にないんだね」
「あしたの朝来たら、同じかな」
観察して揺さぶられた心から素直に疑問が湧いてきます。
「おっちゃん、でもね、ビルの影に入るとね、ぼくの影は消えるんだ」
そうつぶやく子の声を聴いて、「そうか、大きなものの影の中に入っているときは自分の影は見えないんだ」
「かげ」に対する2つの見方に自ずと気づきが生まれました。
そして再び部屋の中へ……
「実はねえ、『かげ』には漢字が2つある。ひとつは『影』」
こういうとき、本当に私たちは「漢字」を持っていることが大きいなあと思います。一年生が習ったばかりの漢字で分解してゆくとそのまま今日、体験したことそのものです。
「日っていう字が入ってる」
「太陽がかげつくるからだよね」
「右のチョンチョンチョンって光線だよ」
確かに!今日のように斜めから差し込んでいる感じに見えるではないか。
「東『京』の『京』も入ってる!」「そっか、これ立ってる人だよ」
いやいやまさに。立ってる人が「京」。そこにお「日」様の「光線」が三本さしこんでいる。こうしてできるのが「かげ=影」。ということは、「◯◯のおかげで」の「かげ」は「影」なんじゃないか!
一見、外に出て影遊びをしていただけのように見える活動で頭ぐるぐる状態になっているところに「漢字」という触媒が入ると、一気に「発想」が花開くから面白い。こういうストーリー感を子どもと持てる人が探究をみちびくジェネレーターなのです。
(じゃあ、自分のつくる「かげ=影」じゃない「かげ」、大きなものの「かげ」に入っちゃうときはどうなんだ……)
そんな子どもの素直な頭の動きを見透かすように「陰」という漢字を模造紙に書きます。光が遮られることで現れるのが「影」、見えなくなったところが「陰」となる。みんなの体で光をさえぎったからきみたちの体の形が現れた。それが「影」。でもね、光が当らなくて見えなくなってしまった部分が「陰」。だから大きなビルの「陰」になってきみたちの「影」は見えなくなったんだ!
「だからおかげは見えやすいのに、おかげさまは見えにくいんだね」
なんと、なんと、早くも「おかげさま」の本質に近づいてきてしまったではないですか。それも自分の「実感」とつなげて理解が深まったのだから言うことなしですね。
だんだんわかってきたときは、ここでちょいと突き放す一言を……
「ということは、おかげさまが何のかげ=陰になっているのを見つけるのは大変そうだぞ。そのうえ、自分の影が見えないということは、誰が自分のために何かをしているのかを見つけるのも大変だ。きみたちに見つけられるかな?」
子どもたちは、本当にそうだな……という感じになり、ちょっとシュンとします。しかし、そこから次のステップの探究が動き始めます。
自分が受けている「陰」=「お陰さま」を見つけよう!
シュンとしていたのも束の間、なんか面白そう!の顔に戻ります。
今日は昨日のように晴れてはいない。だからお日様の「影」が映るわけがない……同じ場所に行ってみると、案の定、「影」は見えない……
しかし
「水に影が映っている!」
「本当だ」
諸君、君たちの心がこの「水」のように澄んでいれば、太陽の「影」が見えなくても、自分に陰を与えている存在がきみたちの「影」の向こうに見えるだろう!
このセリフ、もともと考えてはいませんでした。単に今日は影はないね。ただ雲の陰になってるね。ということを確認するだけのつもりだったのにそんなことに気づいてしまった。これも子どもたちの「おかげ」。こうして子どもとともにジェネレーターも探究を進めてゆくのです。
RI
※TCS2016年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはおかげさまで生きている。」
[1年生]
「きみのおかげで助かったよ!」というときは、眼に見える誰か・何かの恩恵で、自分が守られたり、お世話されたり、助けられたりする。でも、おかげさまは、
「おかげさまで30年」
「おかげさまで元気になりました」
というように、誰か一人だけではなく、いろいろな人だったり、時代の流れだったり、自然の回復力だったり、神や仏のご加護としか言いようのないことも含め、大きなものの「おかげ」があるときに言う。
そもそも「かげ」ってどういうものなのよ……
「自分の影を見に行くか!」
おっちゃんの一声に、もちろんみんなも
「イェーイ!!」
天気がとってもいいんだから、「おかげさま」ならぬ「お日様」「お天道様」のつくるかげを見に行こう!
ありがたいことを感謝する「おかげさま」を学ぶことと、影を見る学びにどんなつながりがあるのか……
そう考えてしまうのではなく、
知ったつもり、わかったつもりになっている身近なものを改めて「観察」してみると、思わぬ「発見・気づき」、もっと言えば実感の伴った深い理解に到達するのでは、と考えるのです。それが探究マインドを活性化するジェネレーターの思考回路です。
「手を動かすとこんなふうに映る」
「片足あげたら足が一本になった」
「ジャンパー持ち上げるとこうもりみたいだ」
いろいろなかっこうをしてみて自分のかげの形を見つめます。
やがて……
「そうかこっちに影があるのはあっちに太陽があるからか」
「太陽って真上にないんだね」
「あしたの朝来たら、同じかな」
観察して揺さぶられた心から素直に疑問が湧いてきます。
「おっちゃん、でもね、ビルの影に入るとね、ぼくの影は消えるんだ」
そうつぶやく子の声を聴いて、「そうか、大きなものの影の中に入っているときは自分の影は見えないんだ」
「かげ」に対する2つの見方に自ずと気づきが生まれました。
そして再び部屋の中へ……
「実はねえ、『かげ』には漢字が2つある。ひとつは『影』」
こういうとき、本当に私たちは「漢字」を持っていることが大きいなあと思います。一年生が習ったばかりの漢字で分解してゆくとそのまま今日、体験したことそのものです。
「日っていう字が入ってる」
「太陽がかげつくるからだよね」
「右のチョンチョンチョンって光線だよ」
確かに!今日のように斜めから差し込んでいる感じに見えるではないか。
「東『京』の『京』も入ってる!」「そっか、これ立ってる人だよ」
いやいやまさに。立ってる人が「京」。そこにお「日」様の「光線」が三本さしこんでいる。こうしてできるのが「かげ=影」。ということは、「◯◯のおかげで」の「かげ」は「影」なんじゃないか!
一見、外に出て影遊びをしていただけのように見える活動で頭ぐるぐる状態になっているところに「漢字」という触媒が入ると、一気に「発想」が花開くから面白い。こういうストーリー感を子どもと持てる人が探究をみちびくジェネレーターなのです。
(じゃあ、自分のつくる「かげ=影」じゃない「かげ」、大きなものの「かげ」に入っちゃうときはどうなんだ……)
そんな子どもの素直な頭の動きを見透かすように「陰」という漢字を模造紙に書きます。光が遮られることで現れるのが「影」、見えなくなったところが「陰」となる。みんなの体で光をさえぎったからきみたちの体の形が現れた。それが「影」。でもね、光が当らなくて見えなくなってしまった部分が「陰」。だから大きなビルの「陰」になってきみたちの「影」は見えなくなったんだ!
「だからおかげは見えやすいのに、おかげさまは見えにくいんだね」
なんと、なんと、早くも「おかげさま」の本質に近づいてきてしまったではないですか。それも自分の「実感」とつなげて理解が深まったのだから言うことなしですね。
だんだんわかってきたときは、ここでちょいと突き放す一言を……
「ということは、おかげさまが何のかげ=陰になっているのを見つけるのは大変そうだぞ。そのうえ、自分の影が見えないということは、誰が自分のために何かをしているのかを見つけるのも大変だ。きみたちに見つけられるかな?」
子どもたちは、本当にそうだな……という感じになり、ちょっとシュンとします。しかし、そこから次のステップの探究が動き始めます。
自分が受けている「陰」=「お陰さま」を見つけよう!
シュンとしていたのも束の間、なんか面白そう!の顔に戻ります。
今日は昨日のように晴れてはいない。だからお日様の「影」が映るわけがない……同じ場所に行ってみると、案の定、「影」は見えない……
しかし
「水に影が映っている!」
「本当だ」
諸君、君たちの心がこの「水」のように澄んでいれば、太陽の「影」が見えなくても、自分に陰を与えている存在がきみたちの「影」の向こうに見えるだろう!
このセリフ、もともと考えてはいませんでした。単に今日は影はないね。ただ雲の陰になってるね。ということを確認するだけのつもりだったのにそんなことに気づいてしまった。これも子どもたちの「おかげ」。こうして子どもとともにジェネレーターも探究を進めてゆくのです。
RI
※TCS2016年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。