東京コミュニティスクール-探究型学習が教育の特長-全日制オルタナティブスクール(小学1年生から6年生)

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2016年02月 アーカイブ

2016年02月01日

「おかげさま」〜概要〜

タイトル:おかげさま
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはみんなのおかげで生きている。」  

[1年生]

「私たちはみんなのおかげで生きている。」

当たり前のように思えて、わかったつもりにはなっていないだろうか。
みんなって誰?おかげって何?

このセントラル・アイディアを掲げながら、その言葉のもつ意味をじっくりと探っていきます。

まさに、陰になって見えない状態の「お陰」に、光を当て、そこに何が隠されているのかを発見していくことがミッションです。

誰かのために何かをする。
自分のためにやったことが結果として誰かのためになっている。
人の行動が誰にどうつながっていくのか、遡ったり、追跡したりしながら、行為の一つひとつを分析していきます。

その上で、今回は、人の動きを「運動」「創造」「保守」の3つに分けて、分類していきます。

ただ人のしていることを観察するのではなく、この動きは何のため?と常に「?」のアンテナを フル活動させていきたいところです。

普段、見えていない部分を見ていくことで、目の前のあるものの「陰」の部分「おかげさま」が見えてくる。

視野や見方を広げ、自分の行為に立ち戻ったとき、どんな変化が起きるのか、社会寄与の第一歩を踏み出します。

YI

TCS2015年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
 

2016年02月02日

「目からうろこ」〜概要〜

タイトル: 目からうろこ
探究領域: 自主自律
セントラルアイディア:私たちはみな、違う世界が見えている。

[2年生]

私たちは現実を「曇りなき眼」で見定めることができるのでしょうか。

日常的で何気ない「見る」という行為は、簡単で単純なようですが、複雑な心の働きが関わっています。
人は感覚のほとんどを「視覚」に頼っているにもかかわらず、人は目の当たりにしたものを正確に見ることはできず、「自分の見たいものを見てしまう」生き物です。
では、その「視野」を広げることはできるのでしょうか。

「目」「見る」「観る」に関する言葉には、「見る行為」を示すものだけではなく、「ものの考え方」を表す言葉も多くあり、「思考」と切っても切れない関係があることは確かなことです。
例えば、「考え」のことを「了見」と行ったりします。「了見が狭いな」というと、「考え方が硬い、遊びがない」という意味にもなったり、別の言い方をすると「視野狭窄」ともいうことができます。なので、「ものの見え方」と「ものの考え方」は表裏一体のものなのです。

テーマ学習「目からうろこ」では人の「視覚」について科学的にわかっていることを緒にして、自分のものの見え方、考え方を振り返り、意識的な実践者となろうとチャレンジします。
「目で目は見えぬ」とは言いますが、目で目は見えないのならば、頭で見たり、他の人をうまく活用することで、自分のものの見え方に意識的になることができるのではないでしょうか。

TY

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「To Be or Not To Be」~概要~

タイトル:To Be or Not To Be
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:「意思決定とは行動を約束することである。」

[3・4年生]

私たちは日々意思決定をし続けています。
無意識に行動してしまうこともありますが、自分の中にある判断基準に基づいて意思を決定し、行動に移すことが求められる場面は多々あります。それがどんな結果をもたらそうとも自分の決定には悔いを残したくないものです。
そのためには、自分は何を基準に判断していこうかという判断基準なるもの、
自分がそのときに最優先して大切にしたいこととは何かという軸をしっかりと持つことが
必要となってきます。それは価値観といいかえることもできると思います。

判断基準には、欲望、正義感、損得、時間、親の判断、他者の判断、健康、他者の喜び、
世間体など様々あり、その時々で何を選ぶかが変わってくることもあります。
本テーマでは、自分自身の行動について、「どうしてそう行動したのか」「何がしたかったのか。」「いちばん大切にしたことは何か。」とその背後にある判断基準を探っていくとともに、友達の行動についても、なぜそのように判断するのかシェアし合ったり、
TCS必読百選にある『半パン・デイズ』を輪読して主人公の判断基準について考えたりしながら、人によって考え方が違うことにも触れていきます。

自分自身が意思決定の主役となり、自分で決める人になることを目指して、
「なりたい自分」をイメージしていきます。自分のどこを活かしていけばいいのか、
どこを変えていけばいいのか、自身の判断基準を見つめ直し、「こうしていきます!」という行動をプレゼンテーションにて決意表明します。

行動の根幹となる判断基準を掘り出していくことで、
いったいどんな自分が見えてくるのでしょうか。

AN

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「Borderless World」〜概要〜

タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:「人権は自由、正義及び平和の基礎である。」

[5年生]

Borderless World と聞いてみなさんはどのようなイメージを持つでしょうか。

国境なく人・物・情報が飛び交う社会。グローバル化した社会。しかし、国家としての壁は厳然としてある……

国際連合には、193の国(2016年1月現在)が加盟していて、それぞれが主権を行使しています。その一方で、民族・宗教といった、国家を超えたつながりが、ネット社会&グローバル経済の進展によって強まる一方です。

borderless になっている一方、世界は、友好関係を深め、平和になっているかというと、ISの問題に象徴されるように、むしろ 100年前に起こった歴史の悪夢を再現するかのように、紛争や対立が目立っています。

Borderless World とは、地球上のどこかで、自分たちとは遠く離れ、直接、関係なさそうな出来事が起きたとき、対岸の火事では済ませられないことを意味していると言えましょう。今回のテーマ学習では、この視点に立ち、私たちが Borderless World をいかに生き抜いてゆくか考えます。そのためのキーワードが「人権」です。「人権」という認識のメガネを通じて、、私たちが抱えているグローバルな課題をとらえてゆきます。

私たちは、自分たちの「人権」は守られていると安易に思っていますが、はたしてそうなのか。私たちは与えられた権利を本気で守っていこうとしない限り、ある日、突然、悲劇に見舞われるでしょう。

そこで、子どもたちと「世界人権宣言」が生まれた経緯、込められた思い、宣言の意味について、徹底的に理解することを目指します。そして、採取的に、「わたしたちは〜する。私たちは〜なります。」という表現で「私たちの人権宣言」を起草し、スピーチします。

人権が守られた世界を構築する道は困難しかないでしょう。ただ、世界の人々の人権を守らない限り、平和な世の中は来ないと信じ、1ミリでも近づいてゆく決意を明らかにします。

RI

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2016年02月05日

”おかげさま”ってどういう意味だろう?

タイトル:おかげさま
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはみんなのおかげで生きている」

[1年生]

今年度最後となるテーマ学習が始まりました。
タイトルは『おかげさま』。
1年生たちにテーマタイトルを伝えるとなんとなく意味は分かる気がするものの自分たちはあまり使ったことがない言葉のようです。

そこでまずは子どもたちに『おかげさま』と聞いてイメージすることを聞き、メタメタマップにどんどん書き込んでいきました。
するとある子が言いました。

「例えでもいい?聞いたことがあるんだけど、”誰かのおかげさまで料理が食べられる”って言うよね?」

その言葉に他の子どもたちも反応します。
この場合はどういう意味で使っていると思うか尋ねてみました。

「いつもお父さんお母さんが料理を作ってくれるでしょ。だから”やってくれる”のがおかげさま!」
「私はこんなことも聞いたことあるよ。彫刻を手伝ってもらった時に”おかげさまで速くできたよ。ありがとう”って。だから”手伝ってもらうこと”もおかげさまなんじゃない?」

するとどんどん他の子たちもひらめいてきたようで次々に自分たちが考える”おかげさま”のイメージを語りだしました。

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誰かが自分のために”やってくれる”、”手伝ってくれる”、”作ってくれる”、”お金を払ってくれる”、”子どもをあずかってくれる”、”お世話してくれる”などそういった場合に『おかげさま』と言うとのことでした。

「”おかげさま”って”ありがとう”の意味も入ってるね。でもなんか”ありがとう”と全部同じじゃないんだよな。」と男の子。

IMG_0054.JPG

そこで辞書の意味を見てみると、”神仏や人から受ける助けや情け”と書かれています。

「人だけじゃないのか〜。神様もか〜。あ!じゃあお参りする時にもおかげさまでありがとうございましたって言えるね!」

IMG_0055.JPG

”おかげさま”という言葉を漢字で書くと”お蔭様”となることを伝えました。
すると「あ!王様の様だ。」とある子が言います。
どんな場合に”様”をつけているかみんなに尋ねてみると最初は王様、お姫様くらいでしたがどんどん色々な言葉が飛び出してきました。

「はい!年賀状でも”様”って書くよね!あれは上品に書いているのかなあ?」
「お殿様とかおひな様は”偉い”から様をつけてる!」
「ホテルとかレストランとか病院でも”様”をつけて名前を呼ばれるよ!あれは”ていねいにおもてなし”してるんだ。」
「お父様とかは”年が上”だからかな。ぼくは父上ってたまに呼ぶんだよ(笑)」
「おてんと様とかお月様は人じゃないけど”すごい”から様がついているのかな。きっとそうだ!」
「奥様とかだんな様は”上品でていねい”に言ってるんだ!”奥様そうざますよ!みたいに。ははは。”」
「それで、”おかげさま”と”ごちそうさま”は”ありがとう”の気持ちをていねいにあらわす”様”だ!!」

と”様”についてディスカッションしてみると、どうやら年上の人につける”様”、”すごい”ものにつける”様”、お客さんなどをていねいにおもてなしする時につける”様”、上品かつていねいに表現するためにつける”様”、そして”ありがとう”の気持ちをあらわす”様”があるということを子どもたちの言葉で言い表すことができました。

また『お蔭様』の”お”にも注目し、やはりていねいに表現するために日本語では”お”を付ける場合が多いことに気づき”お”がつく言葉についても考えてみました。

そして何よりも”蔭”。子供達がイメージするかげは”影”です。
しかしこの”蔭”は辞書によると「人知れず、目の届かないところで」という意味があります。
つまりお蔭様には”目に見えるお蔭様”と”目に見えないお蔭様”があるのではないか、ということで更に議論が盛り上がりました。

「そうか!椅子を作ってくれた人のおかげで今この椅子に座れているんだ!」
「じゃあこの建物もそうだね!」
「食事もそうだ!お母さんがお弁当を作ってくれて、その中身の卵はお百姓さんのお蔭様だし、にわとりのお蔭様〜!」

今まで当たり前であまり考えたことがなかった人のお蔭で今があることに少し気づいたことで嬉しそうな子どもたち。
来週はみんなが一番お蔭様だと思っているお母さんが作ってくれるお弁当に注目してお蔭様を発見していきます!

YI

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目はどう見ているの?

タイトル: 目からうろこ
探究領域: 自主自律
セントラルアイディア:私たちはみな、違う世界が見えている。

[2年生]

テーマ「目からうろこ」のセントラルアイディアは「私たちはみな、違う世界が見えている」です。
まずは、このセントラルアイディアを聞いて、どんなことをイメージするか、メタメタマップで頭の中のアイディアを膨らませてゆきます。

「過去は見えるけど、未来は見えないなぁ」
「1日前は覚えてるんだけどね、1日後はわからないんだな。」

「じゃあ、現在は見えないの?」

「現在は一瞬で終わっちゃう」
「どんどん未来に行ってるんだよ、未来になっているというか。」

「あとね、夢も見る!」

「夢、ってこの目で見てるのかな?」

「うーん、目で見てるかな?」
「頭で見てると思う!」

「そういえばね、夢は三つあると思う。
一つ目は、将来の夢
二つ目は、寝てる時の夢
三つ目は、今、できるようになりたい夢


と話を膨らませているうちに。。。
「いつもはまとめてくれてるから、今度は自分たちでまとめてみたい!」

と、自分たちで、自分たちのメタメタマップをまとめ出しました。
まとめる時にはまた、自分たちのアイディアも付け足して、さらにそれぞれで膨らませてゆきます。

「みんな違う考え方をもっているっていうのは、にぎってるアイディアを誰かに渡して、それを持ってるっていうことなんだよ」
「私たちって、どっちかというと自分は見えないけど人のことは見えるんだよね。人のことばっかり言ってて自分のことはどうしてるの?それでいいの?って思う」
「一人一人違う特徴があるってことなのかな?」

議論も深まってきました。

自分たちの目はどんな構造になってるのかな?どう見えてるのかな?
と自分たちの瞳の色がどうなってるか、書いたり、鏡で実験をしてみました。

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「すごい!まわりが青みがかってるよ!」
「真ん中が黒くて外側が茶色なんだね」

鏡を見ながらいろいろなことを発見していきます。

では、「目」自体の構造はどうなっているのでしょうか?

五円玉と水とガラスを使った簡単なレンズの実験をしました。

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「すごい!大きく見えるよ!」
「水の量で大きさが変わる!」

と、水の量で大きさが変わることを体感しました。
実際に目の断面を見てみると、いろいろな部分からなっていることがわかります。

「たくさん水が入っている時にぽっこりしてるのは、目玉がぽっこりしてるのと同じなんじゃないかな??」
いろいろな光の面白さ、目の面白さに触れた一週間でした。

次週は「錯視アート」から「視覚の不思議」に触れ、自分たちの「ものの見え方」を考えます。

TY

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自分の行動には理由がある?

タイトル:To Be or Not To Be
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:「意思決定とは行動を約束することである。」

[3・4年生]

「To Be」ってどんなテーマ?
先輩やスタッフが口にしている「To Be」という言葉は耳に入ってきていても、
それだけではイメージもできず何のテーマなのかよくわかりません。
正式なタイトル名は「To Be or Not To Be」。

選択を迫られる場面や、何気なく行動しているときでも、人はそう動こうと自分で決めています。あるいは、行動しないという選択をしているときもあります。
その行動の背景には
「こうなりたい、こうしたい、こうはなりたくない、これはしたくない」
などの思いがあるはず!
自分はどんなときに、どんな行動をとっているのか。普段の行動を思い返してみることからスタートです。

「誕生日プレゼントを3つの中から選ぶのが大変だった。
スターウォーズのラジコンか、車のラジコンか、スケートボードかどれも欲しかったけど、 使えるもので、今持っていないものがいいと思ったからスターウォーズにした。」
「何もすることがなくて、ピアノに行った。」
「ついつい、髪の毛をいじっちゃう。」
「ムカついて、レゴを壊しちゃう。」
「お父さんのサングラスを壊して、湯たんぽのせいにしようと嘘ついた。」
「妹のマグロを食べた。あとでバレて謝った。」
「怒られているときに、ソファーに隠れて耳ふさいでた。」
「みんなが鬼ごっこしてても、自分はブランコに乗る。」
「算数の問題が合っていて、嬉しくて走り回った。」

選択肢がある中から選んだ行動や、悪いとわかっていながらしてしまった行動、気づいたらしている仕草などが出てきました。どうしてそういった行動をとったのか理由を聞いてみると、「それは自分の欲求が勝ってしまったからかなぁ。」と「欲求」という言葉が何度も登場します。

前回のテーマ「限りある資源、限りなき欲求」では、資源を巡る問題においては人間の欲求がいつでも絡んでいることを知り、自分たち自身も欲しいものはいつもあり、したいこともたくさんあることを自覚しています。やはり自分たちは欲求のままに行動しているのか・・・というモヤモヤが浮き出てきたようです。

嘘をつく理由としては、「怒られたくない」「褒められたい」という保身だけではなく、
「期待に応えたいから」という、親のためという意見も出てきました。
自分のために動くこともあれば、こういった誰かのために行動していることもあります。

「みんなが手をあげているときは、手をあげないようにしてる。
みんながあげてないときは、あげるようにしてる。」

誰のためというより、みんなのため、もしくは「場」を考えての行動ともいえます。
また、子どもたち自身からは出てこないものの、
時折耳にする「お母さんがいっていたから」というのも、
行動の理由としてあげられます。
「ママがしなさいっていうからマスクをしてるの。」
「パパにやれって言われてる宿題をやってる。」という子もいます。

自分の行動から、何のための行動なのかを追っていくと、
自分の欲求のため
誰かのため
誰かに言われたため
といった自分の行動を決定する上での理由があがってきました。

でも、まだまだ掘り出されていない感じがします。
自分の行動は、言われてみたり、何かきっかけがあったりすると思い出すものの、
普段の生活の中では、何気なく行動していることが多いのか、意外に出てきません。
理由を問われても、話せない場合もあります。

私たちは自分で意思決定していることすら意識していないのかもしれません。
この現状を踏まえて、この先1週間、自分の行動を意識してみることを心がけ、
翌週に振り返ることにしてみました。

51SMTVS91DL.jpgまた、TCS必読百選のひとつ『半パン・デイズ』を読み、
主人公ヒロシのとった行動からその理由や真意を探っていくことで、 自分に置き換えたり、同じような経験を思い出したりしていきたいと思います。 自分の行動をしっかりと捉えていくことに挑む前半戦の始まりです。






AN

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ボーダーレスってどういうこと

タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:「人権は自由、正義及び平和の基礎である。」

[5年生]

「北朝鮮が核ミサイルを発射した」
「シリアをロシアが空爆した」
「ヨーロッパに難民が流れ込んだ」

毎日のように報道がされます。しかし、それはどこか対岸の火事。

「大変だよねえ」

とは思うものの、われらごとではありません。

「北朝鮮、おかしいよ!」

挑発行為を繰り返す近隣国に対しては。厳しく非難はするものの、これもまた他人事。相手が悪いからこうなる!俺たちに被害を与えるな!という自己保身から発する言葉しか出ません。

今の日本は、なんだかんだ言って、自由だし、裕福だし、結構いい暮らしができている。そんな僕たちを邪魔しないで……そして、よその事には関心が向かない。向いたとしても「同情」までで、ともに解決しようという意識は高まらない……という内向きの発想が日本人を覆っていると言っても過言ではないでしょう。

今回のテーマ、ボーダレスワールドは、近くも遠くも関係なく、世界で起こっている紛争や貧困などの問題は、相手の問題ではなく、わたしたち全員に関わってくる問題。ゆえに「ボーダレス」で「グローバル」な問題なのだということを考えてゆきます。

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まず、現在、起きている国際紛争がどういう経緯で起こってきたのか。それを理解することから始めます。そのための教材は、NHKの『映像の世紀』。

大国が自国の覇権を拡張するために、そこに民族問題、宗教問題が微妙にからみあって、いかに「紛争」が準備されていったかを見ます。

ヒトラーが悪い!ととらえることは簡単だが、実は、第一次世界大戦後のアメリカの対応。それも政府ではなく、経済的実権を握っていたウォールストリートの思惑が、ドイツを追いこんでいった。それがナチスの台頭を許したのです。また、パレスチナでの問題は、イギリスがアラブの人々とユダヤ人との双方においしい話を投げかけ、最終的にはパレスチナ人を裏切る形で、イスラエルを建国してしまったことで、いまだ紛争が消えずにいます。さらに、石油のような資源をめぐって、民族自決という大義をめぐって、泥沼の対立が引き起こされ続けている。いつまでも終わらない、負のエンドレスループに「全世界」はがんじがらめになっている。これこそボーダレスワールドの本質なのだということがいきなり明らかになりました。

「紛争ってつくられてきたんじゃん」
「どこかで無理矢理、断ち切らないとみんなが納得するなんてあり得ないね」

問題をどうしたら解決するかという議論すら虚しくなるような、複雑かつ混沌とした状況に直面。いつもとは異なる、テーマ学習の展開に、子どもたちはとまどいます。

「今回はね、プレゼンテーションのときに、こんな解決策を自分なりに考えた!なんていうことは言わせないよ。それこそ浮ついて、言葉だけの虚しい意見に過ぎないからね」

こうしたらいい!というアイデアベースですら、これだけ混沌とした国際紛争の解決策を思いつくことは難しい。せいぜい、有名な先生やシンクタンクの「見解」をまとめるのが関の山でしょう。なので、今回は、紛争がなぜ起き、いかに終結に向けてゆくかを「人権」という切り口で考えてゆくという「制約」を課しました。つまり、平和の実現は、人権をすべての人々に確保することを志向すれば成立する。逆に言えば、それなくして平和はないと考えてゆこうというわけです。

そこで、今回は、日々、思いついたこと、調べたこと、知ったことをジャーナルとして記入することに挑みます。A4版のノートを渡し、1日、見開き2ページ。かなりの広さがあります。もちろん、最初からうまく使いこなせるとは思っていません。しかし、これまで流してきてしまった思考をまず記録してみる。もし記録できないとしたら、それは考えていないと同じ。さらには関心を抱いていないことの証明なのです。思いつきメモが習慣化すると発想がどんどん豊かになります。大人になっても学び続けるための必須条件と言えるぐらい大事な習慣です。その習慣づくりに挑みつつ、人権についての理解を深める。コツコツと考え、じわじわと記録し、浮ついていない知識を身につける「探究修行」スタートです。

RI

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2016年02月11日

TCSスキー合宿!報告

今年もスキー合宿に行って参りました。白馬スキー場に合宿先を変更して3シーズン目。とことん滑る!TCSのスキー合宿は、東京から白馬という決してアクセスが良いと言えないスキー場で、初日の滑走時間を確保する為に、6時25分新宿駅集合。普通の学校ではナイです…。

初日大快晴!アルプスの山々が美し過ぎる。
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2日目、一変して(前夜から)大雪!ふかふか雪がたんまり過ぎて、スピードが出ない〜。でも、TCSキッズは元気いっぱい!スキー楽しい、大好き!って思いが体全体から溢れ出てます。いいね〜!
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いつもは、悪天候の天気予報を晴天に覆すTCSですが、スキーにおいては雪があってこそ。2日目こそ大雪でしたが、雪不足の今シーズン、お陰でふかふかの雪に恵まれました。3日目の最終日には晴れ間ものぞき、子どもたちが笑顔で、「もっと滑りたいぃ〜!」と叫んで終わった大満足のスキー合宿でした。

2016年02月19日

身の回りにある気づいていなかったお蔭様

タイトル:おかげさま
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはみんなのおかげで生きている」

[1年生]

スキー合宿を一週間はさんで久しぶりのテーマ学習です。
初日はHWとなっていた「お弁当調査」のシェアを行いました。

1年生の子どもたちは毎日なにかを誰かにしてもらっています。
そのことに気がつくために日々の生活を振り返り、朝起きてから寝るまでの間にだれからどのようなことをしてもらっているのか考えて書き出してみました。
そうしたところどの子にも共通していたのはお父さんやお母さんがお弁当を作ってもらっているということでした。
子どもたちと話しているとお弁当を作ってもらっていること自体については”おかげさま”だという思いを持っているとのことですが、実際にお弁当を作るためにお父さんやお母さんがどのようなことをしてくれているのか尋ねてみると誰も知らないようでした。

自分たちの見えないところで、いつのまにかしてもらっていることはなんだろう。
それを探すべく、お弁当を作ってくださっているところを観察させてもらい調査してくるというのがお休みの間のミッションとなりました。

ひとつひとつの動作に着目し、どんな動きをしているのかを観察するために、動きを3つの種類に分類するという課題を出しました。

「運動」「創造」「保守」

言葉の意味を確認したあと、子どもたちなりに次のようにイメージしていました。

創造:何かをつくりだすこと
運動:体や手を動かす
保守:Balanced。健康や人の生活をよくするためにやること。

観察してきた動作を3つのシートに分けていきました。

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運動:ピーマンを切る/冷蔵庫から煮物を出す/フライパンを動かす
創造:とり肉をみりんと醤油につける/コロッケを揚げる/スパゲティをカレー粉とバターで混ぜる
保守:ヤーコンのゴマ和えをきれいにカップに入れる/ごはんを冷ます/トマトとパセリを洗う

集まった動きは、運動52こ、創造22こ、保守41こでした。

一つ一つの分類について「なんのために?」と話し合っていくことで最初は”運動”だと思っていた「ごはんを冷ます」動作も炊きたてのごはんだと水蒸気で中身全体が濡れてしまうから冷ましてから入れてくれている。ということはつまり私がごはんをおいしく食べれるように思ってやってくれているので「保守」。
また「ヤーコンのゴマ和えととり肉と合うかな?」とつぶやきながらお父さんが作ってくれていた。「なにが合うか考えていたのかな?」と問いかけると本人は考えた末、「ぼくのお口に合うかかな?」と答えた。すると他の子からは「色が他のおかずと合うか考えてたのかもよ?」、「栄養のバランスを考えてたのかもよ?」と別のperspectiveがでてきました。味・色・栄養のバランスいずれにしても「保守」。
こんなやりとりから子どもたちから「保守はBalancedなんだ!」という気づきが生まれました。

理由によって、分類先が違うことや「創造」でもあり「運動」でもあり「保守」でもある動作があることなどあれこれ思考する概念の学びにおいても、お弁当調査のお蔭様で視野が広がっていきました。

そこで、さらになんでそんなことをするのだろうと疑問に思うことを集め、深掘りしていくことにしました。
まだまだ気づいていなかった”お蔭様”は身の回りにたくさん溢れているようです。

YI

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視覚の不思議

タイトル: 目からうろこ
探究領域: 自主自律
セントラルアイディア:私たちはみな、違う世界が見えている。

[2年生]

「今、自分の目で見ているものは、事実と一致するのか?」
そんなことを考えたことがありますか?

目で見ているものと頭で認識しているもの、その二つが異なってしまうことがあります。
今週はそんな視覚のミステリーに迫る、「錯視・錯覚」を中心に
人間の視覚はどのようなメカニズムになっているか、考えていきます。

先週は「人の目の構造」について考えてきました。
週末に、「面白いことが浮かんだから実験してみるよ!」と、元気にいってくれた人の中から、3人も、自分なりに考えた実験の結果を教えてくれました。
・「お風呂でゴーグルをして、目の上半分がちょうど水面の上、目の下半分がちょうど水面のしたになるようにしてみたんだけど、下はぼやけてあんまり見えなかったな」
・「二人でおでこと鼻をくっつけるとね、相手の目が一つに見えるんだよ!いろんな面白い形になる!」
・「遠くに行くと、ものが小さくなってぼやけるってことを見つけたんだけど、これってもしかして、子どもの目は小さいから近くしか見えなくって、大人の目は大きいから遠くまでみえるってことなのかな?」

実験したものから、自分なりの仮説を立てたものまで様々に考えてきてくれました。
「人の視覚」に興味を持ち始めてからとはいうものの、自分の目と視覚の不思議さを面白がっているなんて、TCSキッズらしい!

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鏡を使って、合わせ鏡の実験をしながらも、目の不思議さにのめり込んでいきます。

では、もっともっと不思議な視覚の世界へとお連れしましょう。
「錯視」は、人間の視覚の研究でも最も面白い分野です。
例えば、カニッツァの三角形。
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上の画像には、くさび形と円形の二つの形しかないはずなのに、なぜか「白い三角形」が浮かび上がって見えてしまいます。

「錯視」とは、「事実とは異なったことが見えたり、感じたりすること」です。
実際には、白い三角形など、存在しないにもかかわらず人の視覚は空白部分や線を補ってしまい、線に見えてしまいます。

・「おー!すごい!」
・「本当だ!チカチカする!」
・「回ってないはずなのに、蛇が回って動いて見えるよ!」

錯視を通して色々な発見について語っていると...
・「これってもしかして人はぱっと見で決めちゃうってことなんじゃないかな?」
・「この錯視図形、なれちゃったら大丈夫になるよ?」

と、メタに錯視図形を見る自分を考えることばがチラホラ上がってきます。。

「事実とは違ったことが見える」ってどういうことなんだろう?

そんな疑問も生まれます。

・「作り話と本当のはなしってことの違いなんじゃないかな?そう考えると、昔話は事実なのかな?」
・「この前ママから聞いたんだけど、バスに酔うってことは、目で見たものと耳で聞いたものが違っちゃっていて、頭が混乱しちゃうから起こるんだって教えてくれたよ!」

「そうか、頭は目に影響するのか・・・」

じゃあ、「脳の世界を映像で旅しよう!」

その映像のテーマは「人は目ではなく脳で見ている」ということ。
当たる光の種類(太陽光、白熱灯、蛍光灯)に依存して「白」という色も様々に変わってしまうことや、
フォーカスが人間の目では瞬時に行われること、
上で紹介したカニッツァの三角形を使って「盲点」では見えないところを脳が補っていることを、紹介していく中でこの「人は目ではなく脳で見ている」というメッセージを伝えます。
・「じゃあ、結局目は飾りなの?脳で見ているんでしょ?」
・「色がどんどん変わるってことは臭いがどんどん変わるということと関係があるのかな?」
とアイディアが広がっていきます。

「脳」と「目」の関係が見え始めてきたキッズはまた来週どのような「脳と目の関係」を目にするのでしょうか。どのような心が視覚に影響するのでしょうか。

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TY

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判断基準は何だろう?

タイトル:To Be or Not To Be
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:「意思決定とは行動を約束することである。」

[3・4年生]

「スキー合宿の判断基準マップをつくってみたよ!」
1週目の翌週はスキー合宿でした。

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スキー合宿で自分がどんなときにどんな行動をしていたのか記録にとることを先週のホームワークにしていたこともあり、週明けに、こんなマップを作ったよと見せてくれました。




ゲレンデでほかのグループを見つけたとき、本気を出して滑った。
それは、速く滑るためではなく、ほかのグループの子に自分の滑りを見せたかったから。
つまり、かっこいいところを見せたかったから。

食事のとき、上着を脱いでスキー用のワンピース姿になった。
それは、暑いから脱いだのではなく、みんなに見せたくて脱いだ。
判断基準は、かっこいいかどうか。

部屋で寝る場所を決めていいと言われたとき、
テレビが近くにある下の階ではなく、上級生のいるロフトの階を選んだ。
それは、上級生の隣がよかったから。
判断基準は、上級生。

食事のとき、どこに座ろうか迷った。
上級生の隣を選んだ。
これも判断基準は上級生。

上記のうち2つの判断基準が「かっこいい」というのは、見た目を重視した判断基準と いえますが、あとの2つについては、どうでしょうか。 判断基準が上級生となると、上級生の判断したことが基準になるとも捉えられます。 上級生が言ったことには従うってこと?と聞くと違うと言います。 そうなると、なぜ上級生がいいのか、上級生の近くにいると何かいいことがあるのかを 考えていきました。

「上級生の誰もがいいとは限らないんじゃない?」
「優しくしてくれるからかな。」
「下級生といるより話が合うからかな。」
「合わせてもらっているかも?」

そうなると、何かをしてくれる人のそばにいたいということになってきます。
「かまってほしいから近くにいきたいとか?」
「助けてもらえるから?」
「それって楽(ラク)したいから?」
「楽しいからになるかなぁ。」

自分の行動の目的や意味を探っていくことで、自分が何をいちばんに重んじているか、 最優先にしていることは何かを見つけ出していきます。そこに、自分の価値観、判断基準が見えてきます。 始めは、上級生が判断基準と思っていたけれども、自分の楽しさが基準になって判断していたことが見えてきました。

「どの行動も、全部、自分の気持ちなんじゃないの?」
「かっこつけるのも、自分の気持ちだし、楽しさも自分の気持ちでしょ。
判断基準って全部自分の気持ちってことにならない?」

確かに自分の行動を左右したいるのは自分の気持ちです。
その気持ちがどう動くかを決定している元になっているのが「判断基準」。
自分の気持ちが「こうしよう!」と決定したときに人は行動に移していることになります。
それを「意思決定」と呼んでいくことを提示しました。

「あ、それってどっかに書いてあった。」
1週目に書いたセントラルアイディアの中に出てきた言葉です。
そのときにはピンとこなかった言葉がここで繋がってきます。
でも、セントラルアイディアそのものはまだ繋がっていない状態です。

意思決定と判断基準を別次元で捉えるために、 これまで思い返してきた自分の行動を状況・意思決定・その理由の3つに分けてみることで 判断基準を掘り出していくことにしました。

状況:Tくんのゴムが飛んできた。
意思決定:Kくんの手を思いっきりひっかいた。
理由:Tくんのゴムで遊びたくなり、取りたくなったから。

本人がわかっていても、この記録からは状況がまだ浮き上がってきません。
当人たちや見ていた子も含めて、そのときの様子を語ってもらうと、
書いていないことが次々に見えてきます。

Tくんがゴムを自分に向けて飛ばしてきた。
それを拾ったぼくはゴムを拾ってやり返そうとした。
そこで、Kくんに止められた。
この状況下で、ぼくがした意思決定は、Kくんの手を思いっきりひっかく。
その理由は、やり返すことを邪魔されたから。ゴムを取り返すためにひっかいたと言います。

結果、自分の気持ちは解決。すっきりした。でも、Kくんはどうだっただろう、また周りのみんなはこれを見てどう思っただろうかと聞くとわからないといいます。
Kくんに聞いてみると、「すごく痛かったよ。」
ほかの子にどう思ったか聞いてみると、
「優しくていいところもあるけど、こういうことがあると怖い人だなって思われちゃうよ。」と言います。

自分はよくても、相手の気持ちは解決しない。しかも、周囲が離れていく。という結果に なってしまっています。

他者からの刺激によって自分が暴力や暴言を吐いてしまうことは男女問わずあるのが実状。
友達のケースを自分の場合はどうだろうかと自分ごととして捉え、判断基準は何かを考えていきます。

「暴れるか我慢するかどちらかを選ぶってことだよね。」
「やり返したい気持ちがいちばんになってるよね。」
「判断基準は恨みを晴らすってこと?」
「仕返し?復讐?」

自分だけで振り返ってみると省略してしまう部分が多く、状況がつかみにくかったり、 理由がわからなかったりします。誰かのケースを例にとってみることで、 他者のことだから説明できることもあり、自分と重ねることもできます。本人だけでは気づかなかった判断基準が見えてきました。

「スキーの話だけど、滑ってくるのを見ていた方からすれば、
そっちのグループは威張ってるなって思ったよ。」
かっこつけて滑っていたのに、結果はあまりよく思われていなかったことも
聞いて初めて知ることになります。

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次週も自分や友達、そして『半パン・デイズ』ヒロシの行動を見ていくことで、
様々な場面での判断基準を考えていきます。


AN

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世界人権宣言

タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:「人権は自由、正義及び平和の基礎である。」

[5年生]

多くの犠牲者を出し、世界中が戦火に見舞われた悲惨な戦争の後、人が人として生まれただけで誰もが自由で、差別なく扱われることを認めようという機運が生じました。こうして国際連合ができ、世界の人々が「人権」を手にする未来を目指そうと宣言しました。1948年12月10日の国連総会で採択された「世界人権宣言」です。

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いったい世界人権宣言とはどういうものなのか。ひとつひとつ丁寧に追ってゆきました。ユネスコは人権教育を浸透させるために、子どもにも理解できる言葉で世界人権宣言を書き直しています。その日本語訳は、文部科学省のウェブページから手に入ります。これをプリントアウトして、みんなで読むことにしました。

「あたりまえのことばかりだよね……」

差別しない、拷問しない、どこに住んでもよい、職業を選べる、男だから女だからと言って扱いを変えない、みなが政治に参加できる……確かに人権宣言で保障しようとしている内容は、日本国憲法で言えば「基本的人権」に当たり、子どもたちからしてみれば、理解することが難しいものはひとつもありません。むしろ、守られてあたりまえのものばかりで、なぜそれが守られないのか不思議で仕方がないという様子でした。

そこで、逆に問い返します。

「なぜ、このあたりまえのことをわざわざ宣言したのかな?」

すると、すぐに、人権を無視して支配しようとする人や国があるからだと答えます。しかし、自分たちにはあまり関係ないな、人権が守られていない人は可哀想だなという意識しか持てていないことが明らかです。それを責めるわけにはいきません。ただでさえ、TCSの子は、恵まれた境遇の子ばかり。飢えるとか、仕事がないとか、自由に何かができないということを人生の中で実感したことがありません。せいぜい、自分がしたいと思っていた遊びを親にやっちゃいけないと言われたとか、友達との言い争いで自分の言い分が通らなかったという類のことしか経験していないのです。これでは、われらごととして人権をとらえるということは難しいでしょう。

ただ、映像の世紀を見て、強い国、お金を持ち、権力を支配している層が、個人を尊重しないで、戦争に走ったり、虐殺したりという歴史があったことはわかっています。また、テレビなどで報道される、北朝鮮の情勢や、ISの問題、シリアの紛争、難民の発生ということが今、起きているという事実は認識しています。

「積年の努力と不断の努力。この2つの努力があったからこそ今がある。でも、それはあたりまえではない」

こう語りかけると、少しだけ子どもたちの心も動きかけます。これまで先人がたくさん血を流し、苦労した歴史の上に今の自由があること。そして、今、自由だからと言って、安逸さにまぎれて、ぼやっと生きていれば、知らず知らず自由は制限されてゆくこと。そんな状況に生きていることは理解してくれたようです。しかし、やはり実感がわかないようです。

「みんなが手にすることなんて無理だよね」
「だって悪い人は消えないでしょう」

彼らの頭は、まだ「遠い世界」のこと、自分とは関わりないところで起きていることとして人権問題をとらえているようです。さらに、自分の力でなんとかしようと思っても変えることなんか無理じゃないの?というあきらめがうっすらと見えてきます。

ここは挑発のしどころだな……

「きみたち『公共の福祉』ってわかる?」

日本国憲法の基本的人権に関して、個人が権利を濫用しないように、みんなの迷惑になると思われたとき、権利を制限できるとしていることに触れます。都合が悪くなったとき、権力者は、個人の権利を認めなくてもよいような「言い訳」ができるようになっているのです。これには、さすがに子どもたちも敏感に反応します。

「じゃあプライバシーとか無視してスパイとかしてもいいんだ」
「それが公共の福祉を邪魔する!っていうふうにすればできるんじゃない」
「ずるいよ」

だから、私たちは、基本的人権を守るべく、政治家や権力を持つ者たちの動向をしっかり見張らなければならない。でも「情報公開」され、私たちにガラス張りになっていない限り、見張ることはできません。

「表現の自由と知る権利って大事だよね」
「でもそれがどんどん制限されてきてるよね」

政府が番組の内容にまでいちいち口をはさめるようになったり、特定秘密を保護するという名目で、情報公開をしなかったり、反政府的な活動を口にしただけで共謀罪で訴えることができるようになったり、さらには、非常時には憲法を超えて、政府が命令を出せるというような法解釈の変更にも着手している。せっかく手にした人権が、いまや守られるどころか、失われる方向に進んでいる……ようやく「人権」が自分たちにも深く関係していることを実感し始めました。

決して対岸の火事じゃない。自分の身のまわりに関わることだし、自分が他者の人権をふみにじっているときも、逆に自分の権利をふみにじられることもある。加害・被害どちらの立場にもなり得る問題だと気づいたようです。

来週は、人権問題の現状について、さらに理解を深めてゆきます。

RI

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2016年02月26日

目に見えないお蔭様

タイトル:おかげさま
探究領域:社会寄与
セントラルアイディア:「私たちはみんなのおかげで生きている」

[1年生]

いつもお父さんやお母さんが作ってくれているお弁当にはたくさんの仕事が込められていることに気がついた1年生たち。

他のおかずと混ざらないように小さなカップに煮物を入れてくれたり、自分で味付けできるように小さな入れ物にポン酢を入れてくれたり、栄養や色のバランスを考えてくれていたりと一つのお弁当を作るためには様々な考えと運動があることを知りました。

「お弁当一つとってみてもこれだけたくさんのお蔭様があることが分かってきたけど、お弁当についてのお蔭様は全部発見できたのかな?もう気づいていないお蔭様はないかな?」
と問いかけてみました。
すると少したってひらめいたようです。

「あ!おばあちゃん!いつもおばあちゃんがごはんは炊いてくれているんだ。」
「私もおばあちゃん。よくおかずを作ってくれて持たせてくれるから、私のお弁当にはおばあちゃんのおかずが入ってること多いんだ。」
「はい。ハタハタを釣ってくれた漁師さんのおかげでハタハタが食べられた。」
「トマトを育ててくれた人のおかげさま。」
「お百姓さんだよ!」
「そのトマトを売っているスーパーのおかげだ。並べてくれる人のおかげだし、レジで売ってくれる人のおかげ。」
「スーパーまで運んでくれる車の運転手さんのおかげもあるよ。」

どんどんお弁当の”蔭”で様々な人が働いてくれていることへの気づきが広がってきました。

「お弁当箱を作った会社のおかげでこのお弁当箱を使えてる!」
「私すごいことに気がついた!フライパンを作ってくれた人のおかげで鳥の唐揚げを食べることができた。」
「それにつなげて言いたいんだけど、フライパンを作る道具を作っている会社のおかげでフライパンができたんじゃない?」
「じゃあさ、フライパンって鉄でできてるでしょ?だから鉄鉱石を掘っている人のおかげだし、それを運ぶ道を作ってくれた人のおかげだし、鉄鉱石から鉄を作っている会社のおかげだし、そこで働く人の奥さんとかお母さんとかおばあちゃんのおかげなんじゃない?」
「わー!!そうだ〜!(笑)」と子どもたちは自分たちの発見に大盛り上がり。
話が遠くへいった感じはあったものの決してズレすぎているわけではありません。
どこまでも実は様々なつながりがあって、そのつながりが関わり合って私たちはこの社会で活かされているということはお弁当について視点を変えて考えて見ることで1年生たちも想像することができました。

そしてその後も火がついた彼らの想像力はとどまることを知らず。

「お腹をこわさないようにトマトを洗ったりする水が使えるのは水道を作ってくれた人のおかげ。」
「水があるっていうのは山のおかげだし。ていうことは地震や火山のおかげでもあるよ!表裏一体だ〜!」
「てことは、あ!すごいぞ!深すぎることが思い浮かんじゃった!地球のおかげだし、もっというとビッグバンのおかげだ〜!わ〜〜!ビッグバン〜!(笑)」
と盛り上がり、広がったところでもう一度視点を身近なところに戻して考えてみました。

では自分たちは誰かにお蔭様と思われるようなことをできるのだろうか?

子どもたちからはいくつかのやってみたいことや実際に自分がやっていることについてアイディアが出てきました。

・みんなの部屋をそうじする → お母さんがのんびりできる
・妹にかまってあげる →お母さんの時間ができるし、お母さんが何かしている時に妹が邪魔をしないから助かるはず
・自分の次にお母さんがお風呂に入るからそうじをしている →「ありがとう」と言ってくれる
・自分のお弁当を洗う → お母さんが楽になる?でも1〜2分しかかからないかな?
・おじいちゃんおばあちゃんの肩をたたく → 喜んでくれる
・お母さんが出しっぱなしにしたものを片づける →うれしいと思ってくれる

自分ができるお蔭様はどんなことなんだろう?このことはこれからもずっとモヤモヤと考え続けていくことになるテーマです。

今週はスクールの近所にあるホームセンターにも足を運んで”お蔭様探し”をしてきました。

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二人一組になってホームセンターで”お蔭様”を探し、それを後ほどスクールで運動・保守・創造に分けていきました。

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「運動でもあり創造でもあるものは間に貼ってもいいよね?」以前のテーマ学習で分類した時の経験を活かしてポストイットを貼る位置も考えています。

「自転車の修理をしている人がいて、その人はお客さんの困っていることを聞いてどんな修理をいつまでにするか人に伝えているんだよ。だからこのポストイットは保守と運動の間。」

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今までお店に入っても見ているようで見てなかった人の動き、考えていなかったその行動の理由や意味に対してだんだん自分なりに考えて気がつくようになってきたようです。
お弁当も世の中も見方を変えるとたくさんの気づいてなかったことが見えてきます。
来週は給食を作ってくださっている救世軍ブース記念病院の栄養科を見学させていただきます。
どのような発見が待っているのでしょうか?

YI

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「考える」と「見る」のつながり

タイトル: 目からうろこ
探究領域: 自主自律
セントラルアイディア:私たちはみな、違う世界が見えている。

[2年生]

先週までは、「錯視」の世界にどっぷりと浸かっていたキッズですが、今週は、先週も出てきた疑問、

「なんで実際とは違って見えてしまうんだろう?」
に迫っていきます。

「考える」ことと「見る」ことっていうのはどういう風に違うんだろう?
そんな疑問から、スタートした今週は自分の目と脳のつながりはどうなっているのか、という「Connection:つながり」に焦点が当てられました。

先週の終わりに見た映像には
「人は目で見ているのではなく、脳で見ているのです」
という一節がありました。

この「考える」ことと「見る」ことのつながりはどこにあるのか、というところに、「目と脳がつながっている画像」を見て、ピンときたのか、
「まずはね、
目で見てるでしょ?
その次にね、
その見たものを頭に教えるの。
そしてね、
最後に想像して頭の中で見てるの。」

と、認知科学者ばりの視覚の解釈論が展開されてゆきます。

「僕はね、それについて付け加えることがあって、
目で見てる、っていうことと
頭で考える、っていうことは
違うことだと思うんだよね」

と、触発されて意見が引き出されて行きます。

「あっ!思いついた!もしかして目と脳の間に信号があるんじゃないかな?」

その言葉をきき、「一度、科学雑誌で見た、電気信号、のことを言っているのかな?」と思い
「視神経でつながっているってことだよね?」
と返したところ、

「違うの、目と脳の間に信号機があって、青、黄色、赤っていう風に、見えやすいものとか、見えにくいものとかを頭に送るかどうか決めてるものがあると思うの。」

と驚きの解釈が出てきました!
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そこから話はどんどん広がっていきます。

*のび太は、1+1は「11」と答えてしまう。
 でもそれは「見ただけでパッと行ってしまう」だけなんじゃないか?

*錯視にあったヘビが動いて見えるっていうのも、これと同じなんじゃないか?

*「戻る信号」があったら、
 わかりそうなものは通り過ぎるんだけど、
 わかりにくそう、わからなそうなものは戻っちゃう

*どの信号も青だったら絶対事故になっちゃう。でも赤だったらみんな止まっちゃう

信号を上手いメタファーの種として人の視覚について考えを進めて行きます。

じゃあさ、青信号が出やすそうなとき・こと・ものって、あるかな?
自分につなげて考えてみます。
・ピントが合うものは青信号だな。
・好きなもの、面白いものは青信号になる!
・必要かもしれない、と思ってじっくり見ちゃう。
・「大丈夫かな?」って思って注目しちゃう

逆に赤信号は?
・嫌なものは見ないようにしちゃう
・声が聞こえない時は赤信号だな
・めんどくさい、何もやらないほうが楽しい時は赤信号かな

と、青信号、赤信号の話を進めていく中でそれぞれのものの見方があぶり出されて行きます。

さて、今まで科学的な事実的な「見る」について探究してきましたが、ここからは、自らの「ものの見方」の深みへと探究してまいります。
他者と自分のものの見え方、考え方の違いを知り、どのような自分でも気づかなかった「見え方・考え方」を発見することができるのでしょうか

TY

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意思決定の役割

タイトル:To Be or Not To Be
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:「意思決定とは行動を約束することである。」

[3・4年生]

先週は、意思決定と判断基準を別次元で捉えるために、
これまで思い返してきた自分の行動を状況・意思決定・その理由の3つに
分けてみることで 判断基準を掘り出していくことにしました。
でも、まだまだ一面的な部分しか出せていません。

今週も、引き続き意思決定した裏側にある、意味や意図といった役割を考えていくことで
判断基準を探していきます。
事例が多いほど、判断基準の特徴が浮かび上がってくるかもしれません。

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並行して、『半パン・デイズ』に出てくるヒロシの意思決定や判断基準を読んでいき、
自分ごととして捉えていきます。

ヒロシは上田くんの家に行くことと
吉野くんたちと海に行くことの2つの約束を同時にしてしまいます。
ヒロシからすれば、上田くんとプラモデルで遊ぶことは楽しいことではなく、
海で泳ぐことも苦手であり、吉野くんたちとも仲がいい関係ではありません。
そのような状況でヒロシは海に行くという意思決定をします。

「俺も同じようなことがある。」
3年生の一人から同時に2つの約束をしてしまったときの話が出てきました。
家で遊ぼうと言ってくれた友達はあまり好きではない。
映画に行こうと誘ってくれた友達は、いばっている。
そこで、彼がした意思決定はどちらの約束にも応えず無視をするという行動でした。
結果、友達関係は悪くなってしまい、お母さんにも怒られたとのこと。
振り返ってみると、そのときの判断基準は、そのときの気分だといいます。
だから、2つの誘いにどちらともいいよといってしまい、
どちらにも行きたくなくなって、行かなかったといいます。

さらには、
「俺の性格は最悪だ。」とつぶやきます。

「相手も嫌な気持ちにさせて、お母さんも嫌な気持ちにさせて、
自分も今でも嫌な気持ちになってる。自分に嘘をつくことになった。」

彼の発言の素晴らしさは、自分に嘘をついて嫌な気分になっていることを正直に
みんなに話せているところ。ただ、ネガティブになっているところは、
偏っているかもしれません。
人が怪我をしたり痛そうにしてたりすると、「大変だ!」と相手を気遣うところは
人一倍強いところがあります。決して最悪などではありません。
友達から具体例をあげてもらって、気づく部分も多々あります。

自分で思い起こせる行動を記録し、そのときの判断基準とそう判断したことで
出てくる問題点を記録していきます。そして、全体でのシェア。
今週はこの繰り返しとなりました。

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約束が守れないのには何かしら理由があります。
しかし、その行為は問題を生じることになってしまいます。

スクール内では年明けから百人一首が盛んでどんどん歌を覚えていて、
フリーの時間や放課後にも進んでやっている子たちがいます。
4年生の女の子が下級生と一緒にやる約束をしていたのに、
守ってもらえず、その子を半ば強引に誘い出します。
一緒にできて女の子は満足していますが、下級生の方は嫌々やっている様子です。
お互いがハッピーになれずに気まずくなり、問題点が出てきました。

そもそも、
なぜ、その子を誘ったのか。
その意思決定にはどんな意味や意図があったのか、意思決定の役割を考えることで、
判断基準を見つけ出していきます。

本当は言いたくないけど、実は、自分が勝ちたくて勝てる相手を選び、
相手の気持ちは考えなかったと泣きながら話してくれました。
一方で、下級生側にも「なぜ約束をしたのか」ということへの判断基準を
考えていく必要ももちろんあります。

いい人に思われたい。自分は悪くない。そう思いたい気持ちは誰にでもあります。
自分に嘘をつかずに、ズルい部分も思い切って出せるかどうかか。
また、自分の嫌な部分だけでなく、いい部分もしっかり受け止めることができるかどうか。

ありのままの自分を出していくことで、
後半の自分宣言につながっていきます。


AN

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English Presentation Day (3/4)

English Presentation Day(見学日)のご案内

これまで、英語クラスの出し物は、TCSミラクル・ハイパーステージ(MHS)のプログラムのひとつとして組み込まれていましたが、昨年2015年度より、単独のプレゼンテーションとして年一回開催することになりました。

低学年は詩の朗読やStory Telling、中・高学年は独自のPresentationになります。日頃の英語クラスとは別の位置付けで、TCSの子どもたちにとっては大きなチャレンジの機会です。

日本語でのプレゼンテーションの土台があるからこそ成し得る、見応え・聞き応えのあるパフォーマンスを披露してくれることでしょう。

なお、この日は一般公開の見学日となっていますので、その後も引き続きクラス見学をしていただけます。どうぞお気軽にお問い合わせください。

               記

【日にち】 2016年3月3日(木)
【時 間】 午前9:10~10:30(開場 9:00)
     ※引き続き15:30まで見学できます

【場 所】 東京コミュニティスクール 2階
     (東京都中野区中野1-62-10)地図
     ※JR・東京メトロ「中野駅南口」より徒歩9分     
     ※車・自転車でのご来校はご遠慮ください。

【お申込み・お問合せ】
 東京コミュニティスクール(担当:永易・若林)
 TEL:  03-5989-1869
 e-mail: school#tokyocs.org
 ※メールアドレスは「#」を「@」(半角)に変更してから送信してください。

  お申込みの際は、件名を「Eプレゼンテーション見学希望」とし、
   以下の事項をお知らせください。
     1.見学希望日:3月3日(木)
     2.見学希望時間:(9:00〜15:30をお勧めします)
     3.見学希望者氏名(すべて記入ください)
     4.お子さんの現学年(保護者の方)
     5.e-mailアドレス
     6.電話番号(日中最も連絡のとりやすい番号)
     7.TCSを知った経緯(知人、ネット検索、新聞名・雑誌名など)
     8.質問事項等(あれば)

人権は戦争によって破壊される

タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:「人権は自由、正義及び平和の基礎である。」

[5年生]

学校に通う。そんな当たり前のことすら満たされていない国があります。自分の好きなところに住む。そんなことすらかなえられない国があります。こんなごくごく基本的な人権すら守られないのはどうしてなのでしょう。

「貧しいからだよねきっと……」
「豊かになれば人権は満たされるのかなあ……」

豊かであれば人権が守られる。貧しいと人権は守られる。経済レベルと人権は密接に関係するのではないか。子どもたちの推測は至極まっとうです。

「じゃあどうして貧しい国はなかなか豊かになれないのだろう?」

人権が守られていないアフリカの国の例を追ってみることにしました。

すると、権力者層は、豊かな生活を送っていますが、多くの一般庶民はないがしろにされていました。また、内戦や隣国との争いやテロに巻き込まれて、政情が不安定であることもわかりました。

「ただでさえ貧しいのに爆弾で家が破壊されてる」
「兵器を買うお金をどうして市民にまわせないんだろう」

納得できない事実ばかりが浮き彫りになります。ただ、この状況をどう是正するかとなると、頭を抱えるしかありません。独裁者は今の地位を守りたい。多くの人に自由と人権を認めると自分の地位が危うくされるかもしれない。黙って自分の言うことを聴いていれば、そこそこのおこぼれをやるが、われわれにもの申す「自由」は与えないということになるでしょう。

また、戦争をやめられないのも、長年の遺恨にどう決着をつけるか、考え方の違いをどうお互いに認め合うか、やり方が見つからないからでしょう。こうしていつまでも争いは続き、衣食住すらままならず、日々、命の危険を感じながら生活する、「非人権的」なくらしを強いられるのです。

「戦争をやめれば……人権が守られるのかな……」

子どもたちの歯切れはどんどん悪くなっていきます。戦争をやめれば人権が守られる。でも、戦争を停める手立てがない。ならば、いつまでたっても人権は守られない。手をこまねいて戦争がなくなるように祈るしかない……それはちょっと違うのではないか……でもどうしよう……

子どもたちの思考は膠着状態に入ります。すると、ある子がパースペクティヴをひっくり返す発現をしました。

「人権を守る!ということを高らかに宣言して、戦争をとめるしかないんじゃないの?」

戦争があるから人権が踏みにじられる。だったら人権を徹底的に守るということで戦争を停止し、平和をつくりだすしかないというわけです。

「人権宣言ってそのためにつくられたんでしょう」

なるほど、面白い見方が出てきました。世界人権宣言は、人類の守るべきことの最高峰に「すべての人々の人権」をかかげる。その実現こそが他の何よりも優先される。これを世界中の人々に行き渡らせるしかない。

「でも、人権宣言は法律じゃないから、守れてと強制できないんじゃない」

おお、鋭いことを言いますね。ただ、人権宣言に付随して、人権法というのも考えられていますから、これとセットで考えれば、法的強制力を持たせることができるかもしれません。

「やっぱり世界連邦しかないのかな」
「国とか、民族とか、宗教とかで分かれるということが争いのもとじゃん」
「でも、それぞれの人々の心情や思想は認めるし、グループになってもいいっていうのも人権だよ」
「ただ、自分たちの人権は他者の人権を乱さない限りにおいて認められるんじゃないの」
「そうだよ!それは人権の濫用だよ」

いやあ、いろんなことをしっかり考えてるじゃないですか。でも、考えれば考えるほど、いろいろ複雑で、解決策はコレ!というふうにはなりません。

「おっちゃん、今回は自分たちなりのアイデアとか出さなくていいんだよね」

ええ、確かに、最初の日にそう言いました。今回のテーマは、簡単にこれが解決策だ!なんて打ち出せない。解決策をおざなりに見つけるぐらいだったら、徹底的に悩もう!というのが今回のテーマで目指すことだと。

「アイデアは出さなくていい。ただ、どんな人権問題が世界に山積みになっていて、それはどんなことが原因で起きていて、どう自分たちに関係あるかを徹底的に知るんだ」

無理だというあきらめではなく、安易にできるとかできないとか言わずに、問題の存在と、それが自分たちも責任を負うべき問題なのだということに気づくことを目指すのです。

「戦争ってどうしてしたがるんだろうな。あんなに悲惨なのに……」

子どものもらしたつぶやき。まったくその通りです。世界の人々がこの意識を持てば、直ちに争いは止まるのではないのか。実は、複雑に考え過ぎで、シンプルに考えれば即座に解決するのではないか。そんな思いが私も含め、みんなの心に去来したのでした。

RI

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