タイトル:個の尊厳
探究領域:自主自律
セントラルアイディア: 私たちは私たちのために生きている
そこで次に取り組むのはこれから先25年、どのように生きてゆくか未来の歴史を描くことです。なぜ25年か?それは私、おっちゃんがこの世を去ることを想定しているからです。
そんな縁起でもない??ふざけすぎでは??いろいろな意見があるかもしれません。しかし、私はいたって真剣です。あと四半世紀与えられたら自分はいったい何を成し遂げたいのか、しっかり見つめるために子どもたちとともにフューチャーマップを描きます。
フューチャーマップなどというとかっこいいですが、実際のネーミングは、「人生楽ありゃ苦もあるさ年表」です。25年後、師の「死」に直面するというリアリティの高い状況設定と、先週からずっと考え続けている未来の社会像との両面が、子どもたちの探究スイッチをオンにします。
とはいえ、子どもには無理では……と思われるかもしれません。大人ですら何十年後の自分を思い描くことは難しいし、そんなこと意識せずに生きているからです。
しかし、子どもたちは、待ってましたとばかりに、口々に
「早く年表を書かせて」
と言うのでした。
キャリア教育の一環として、未来年表を書かせるということは決して珍しいことではありません。しかし、師の死をきっかけとして自分の人生をふりかえるという設定はしません。ただ、この設定を師がするには、今後 25年の前に、これまで 50年をどう生きてきたか、本気でふりかえり、赤裸々に子どもたちに示す必要があります。そこで、自分のこれまでの人生において、大きな影響を与えた事実を率直に書いた「おっちゃんのこれまでの人生楽ありゃ苦もあるさ年表」を見せました。
「わあ、そんなことがあったんだ……」
うまくいったときもあれば、さんざんな目にあったときもある。ただ成り行き任せで生きた部分があれば、じっくり考えて選択したこともある。人生には浮き沈みがつきものだとわかり、自分たちのこれからの25年を考えるに当たって、気が楽になり、率直に書いてみたいという気持ちに火をつけたのでしょう。
「苦」を考えるなんて子どもにネガティヴなイメージを植えつけてしまうんじゃないの?と思うかもしれません。しかし、私たちは、理不尽なこと、いやなこと、失敗、恥と無縁に生きることなどできません。そんなことがあっても、塞翁が馬ととらえ、悔し涙を流しつつも、あきらめずに粘るとその先に光明あり!というマインドセットこそ求められます。特に、与えられることが当然で、恵まれた生き方をしてしまっている子どもたちに、必ず困難にぶつかること、さらにその困難を自分の糧にすべく乗り越えてゆくこと、そのために人とどう寄り添ってゆくか考えなくてはならないことを気づくきっかけとして「失敗」に目を背けないのです。
もちろん、自分が大きな事故にあってしまうとか病気になるとか身内の死を予言するとか犯罪を犯すとか自堕落になるとか……というようなことを予想するわけではないことははっきり伝えます。
あくまでも前向きに生きていてもぶつかる困難、失敗(最初から成功しないとか、人とのトラブルとか)を「苦」として受け入れつつ、その先に必ず訪れる「一期一会」の「楽」を目指すのです。
「ここでうまくいかないんだよね」
「ここで失敗するんだよ」
子どもたちはつぶやきながら真剣そのもので書き進めます。闇があるから光がわかるのたとえのごとく、自分に襲いかかるかもしれない「危機」を意識することで、その「危機」をも乗り越えたいと思うほどの「夢」かどうかも明らかになります。
波瀾万丈な部分が人生にはつきもの。にもかかわらず、「安定」した人生が送れるのだと決めつけてしまっている……だからこそちょっとでも想定した人生から外れたら「もう終わりだ!」という「脅迫観念」にとらわれてしまうのではないでしょうか。
そもそも人生は予見不可であり、あれこれやってみて、うまくゆくときもあればそうでないときもある。なんだかわからないが打ち込まずにはいられないというものを見つけて生き抜いたときに、充実した生があるのかもなとちょっぴり子どもなりに気づくところがあったと言えるでしょう。
「おっちゃんはやりたいことやったんだ。それにしてもぶざまな部分満載だね。よくこれであきらめなかったね」
そんな歩みに触発されて子どもたちは、嬉々として年表づくりに取り組み始めました。いったい、子どもたちはどんなことを考え、どんな「人生」を描くのか……楽しみです。
RI
※TCS2016年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
探究領域:自主自律
セントラルアイディア: 私たちは私たちのために生きている
[5・6年生]
人には限られた時間しか与えられていません。そのうえ、偶然の出会いに支配され、自分の力ではどうにもできないことばかりです。そこに「人工知能」という、永遠の時間を生きることができ、不断の努力を厭わないスーパーマシンが人の仕事をどんどん代替してゆく流れが現われました。彼らのパフォーマンスは、中途半端な人間よりはるかに優れています。高度な人工知能の出現は、私たちの「個の尊厳」の意味をより深く考えさせることになったと言えましょう。そこで次に取り組むのはこれから先25年、どのように生きてゆくか未来の歴史を描くことです。なぜ25年か?それは私、おっちゃんがこの世を去ることを想定しているからです。
そんな縁起でもない??ふざけすぎでは??いろいろな意見があるかもしれません。しかし、私はいたって真剣です。あと四半世紀与えられたら自分はいったい何を成し遂げたいのか、しっかり見つめるために子どもたちとともにフューチャーマップを描きます。
フューチャーマップなどというとかっこいいですが、実際のネーミングは、「人生楽ありゃ苦もあるさ年表」です。25年後、師の「死」に直面するというリアリティの高い状況設定と、先週からずっと考え続けている未来の社会像との両面が、子どもたちの探究スイッチをオンにします。
とはいえ、子どもには無理では……と思われるかもしれません。大人ですら何十年後の自分を思い描くことは難しいし、そんなこと意識せずに生きているからです。
しかし、子どもたちは、待ってましたとばかりに、口々に
「早く年表を書かせて」
と言うのでした。
キャリア教育の一環として、未来年表を書かせるということは決して珍しいことではありません。しかし、師の死をきっかけとして自分の人生をふりかえるという設定はしません。ただ、この設定を師がするには、今後 25年の前に、これまで 50年をどう生きてきたか、本気でふりかえり、赤裸々に子どもたちに示す必要があります。そこで、自分のこれまでの人生において、大きな影響を与えた事実を率直に書いた「おっちゃんのこれまでの人生楽ありゃ苦もあるさ年表」を見せました。
「わあ、そんなことがあったんだ……」
うまくいったときもあれば、さんざんな目にあったときもある。ただ成り行き任せで生きた部分があれば、じっくり考えて選択したこともある。人生には浮き沈みがつきものだとわかり、自分たちのこれからの25年を考えるに当たって、気が楽になり、率直に書いてみたいという気持ちに火をつけたのでしょう。
「苦」を考えるなんて子どもにネガティヴなイメージを植えつけてしまうんじゃないの?と思うかもしれません。しかし、私たちは、理不尽なこと、いやなこと、失敗、恥と無縁に生きることなどできません。そんなことがあっても、塞翁が馬ととらえ、悔し涙を流しつつも、あきらめずに粘るとその先に光明あり!というマインドセットこそ求められます。特に、与えられることが当然で、恵まれた生き方をしてしまっている子どもたちに、必ず困難にぶつかること、さらにその困難を自分の糧にすべく乗り越えてゆくこと、そのために人とどう寄り添ってゆくか考えなくてはならないことを気づくきっかけとして「失敗」に目を背けないのです。
もちろん、自分が大きな事故にあってしまうとか病気になるとか身内の死を予言するとか犯罪を犯すとか自堕落になるとか……というようなことを予想するわけではないことははっきり伝えます。
あくまでも前向きに生きていてもぶつかる困難、失敗(最初から成功しないとか、人とのトラブルとか)を「苦」として受け入れつつ、その先に必ず訪れる「一期一会」の「楽」を目指すのです。
「ここでうまくいかないんだよね」
「ここで失敗するんだよ」
子どもたちはつぶやきながら真剣そのもので書き進めます。闇があるから光がわかるのたとえのごとく、自分に襲いかかるかもしれない「危機」を意識することで、その「危機」をも乗り越えたいと思うほどの「夢」かどうかも明らかになります。
波瀾万丈な部分が人生にはつきもの。にもかかわらず、「安定」した人生が送れるのだと決めつけてしまっている……だからこそちょっとでも想定した人生から外れたら「もう終わりだ!」という「脅迫観念」にとらわれてしまうのではないでしょうか。
そもそも人生は予見不可であり、あれこれやってみて、うまくゆくときもあればそうでないときもある。なんだかわからないが打ち込まずにはいられないというものを見つけて生き抜いたときに、充実した生があるのかもなとちょっぴり子どもなりに気づくところがあったと言えるでしょう。
「おっちゃんはやりたいことやったんだ。それにしてもぶざまな部分満載だね。よくこれであきらめなかったね」
そんな歩みに触発されて子どもたちは、嬉々として年表づくりに取り組み始めました。いったい、子どもたちはどんなことを考え、どんな「人生」を描くのか……楽しみです。
RI
※TCS2016年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。