[5・6年生]
ちょうど今週の授業が始まる週に、次の国会での成立を政府が目指している「特定秘密保全法案」へのパブリックコメント受付が締め切られました。これは、国家の安全に影響を及ぼすと判断された情報を公にした場合、国家公務員はもとより政治家そして一般市民も、最高で懲役10年の罪に処せられるという法案です。憲法で保障された「表現の自由」を奪う可能性が大いにあり得る重大な法案について、わずか2週間、国民全体の議論がわきおこることもないまま、パブリックコメントは打ち切られたのです。先週、「憲法とは権力者を見張り、国民の基本的人権を守るためにある最高法規」ということを知った子どもたちに、この法案についてどう思うかたずねると、当然のことながら、憲法の保障する「表現の自由」に違反するのではないかという意見がすぐに飛び出しました。
「国家の安全っていうけど、それを判断するのはだれ?」
まったくその通り。子どもたちもまずこの点に疑問の目を向けました。
「半沢直樹的なときはどうなるの?」
大人だけでなく子どもたちもはまっている人気ドラマを例に挙げて、内部告発のような、弱者や一般人が大きな組織に都合の悪い情報を明らかにしようとしたとき、それは「特定秘密」だ!ばらしたらつかまえるぞ!となってしまうんじゃないかという危険性を子どもたちはすぐに感じ取ります。
確かに、国家の安全に関わるっていうと、なんとなく説得力があるように感じる……でも、それは国家を揺るがす機密だからダメ!という言い訳は、無限に拡大解釈できる危険性が大!……そうなると、わたしたちの「表現の自由」は大幅に制限されるし、そもそも私たちが民主的に判断する根拠となる「情報」が公開されなくなってしまいます。
「なんか怖い感じがするな」
じわじわと不気味な影が迫ってくるのを敏感に感じ取った子どものつぶやきです。
「表現の自由が保障されないと、民主的な仕組みはつくれない!」
大人たちはいったい子どもたちの世の中をどれだぐしゃぐしゃにすればいいんだという憤りが子どもたちの中に巻き起こりつつあったある日。子どもたちの中で事件が起きました。それは今ヒット中の映画『風立ちぬ』に使われている荒井由実の『ひこうきぐも』という歌を巡るトラブルでした。
『風立ちぬ』に感動し、その世界観とつながるユーミンの歌が素晴らしいと夢中になっている女の子の前で、ある男の子が『ひこうきぐも』のかえ歌を歌ったのです。自分のイメージをぶち壊されたと思った女の子は、「歌うのやめてよ!」ときつい調子で男の子に訴えました。男の子は、そんな女の子をからかおうという意図もありつつ、やめずに歌い続けました。それを見ていた周りの子たちが、「いやだと言ってるんだから歌うのやめなよ!」と男の子を責め始めます。すると、男の子は、逆ギレし、「なんでよってたかってオレの歌がいやだっていうんだよ!おれの自由だろ」と叫んだのです。しかし、女の子は周囲のみんなが自分を味方してくれていると感じとったのか、
「映画の世界にもぴったりで、みんなもいいなあと感動している歌をあんたの歌うように変えられるとむかつくの!」
明らかに女の子側の意見が優勢です。
こんな authentic なチャンスを学びに取り入れずしてどうする!突然ではありますが、本日のテーマ学習の予定を変更して、憲法の表現の自由をめぐる『ひこうき雲かえ歌訴訟』について徹底討論することにしました。
討論は、実際の裁判と同じスタイルで行いました。
男の子は神妙な面持ちで開口一番
「私が嫌だと言っている人の前でさらにからかうように歌ったことについては、気分を害してしまったと思うので謝罪します……」
おお、スゲエ。どこでそんな高度な作戦身につけてきたの?いきなり本物の法廷での論戦がスタートしたかのような滑り出し。これだから子どもの力は侮れません(authentic な学びだからこそこういうことが生まれるとも言えますが……)。まさか謝罪をされるとは思っていなかった女の子サイドはちょっと面食らった感じです。からかったのは悪かったけど、かえ歌自体は決してネガティヴな内容ではない!と訴えてきました。
「でも、多くの人がいい歌だなあと思っているのを変えてしまうのはどうかと思います!」
女の子は負けずに言い返します。すると男の子が
「あなたは私のかえ歌の一部しか聞いていません。全部をきいたらぼくの気持ちもわかると思います!」
男の子はその場で、自分のかえ歌を歌い始めました。すべての歌詞を聞いてみると、決してひどいものではありません。むしろ独自の世界観が示されていて興味深いぐらいです。
さあ、いよいよ裁判長たるおっちゃんの登場です。女の子におもむろにたずねます。
「男の子のかえ歌が気にいらないあなたの気持ちはよくわかりますが、それはあなたの好き嫌い、あなたの都合ではありませんか?」
すると、賢い女の子の顔がさっと変わります。
「そっか……難しいな……」
女の子は気づいたのです。あれだけ「政府は危険」「大人はひどい」と言っていたことを自分もやろうとしていたことに……。表現の自由を考えることはとても難しいことに子どもたちは気づき始めたのでした。
これは正しいからいい、これはちゃんとしてるからいい、これはふまじめだからダメ……ともっともらしい判断を私たちはしがちですが、結局それは自分たちにとって都合のよい考え方に過ぎないのではないか。その結果、多様な考えを抹殺しているんじゃないか。さらに始末が悪いのは、そのことに気づかず、自分たちには「正義」があると簡単に思ってしまう。そのワナにまんまとはまってしまう……
なぜ「表現の自由」が大事な権利として憲法で保障されているかと言えば、権力者のみならず私たちも簡単に他者の「表現」を気に入らないという理由で受け入れないということがあるからでしょう。権力者は、その大衆心理をうまく操作して、「民意」をつくりあげ、あるひとつの「表現」を是とする方向に持っていきがちである。その防波堤として「憲法」は「表現の自由」を認めているのです。
表現の自由、憲法は、大人の世界の他人事どころか、自分たちの日々の生活に深く関わっていることだと実感する貴重な学びになりました。
RI
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