タイトル: 信じるカネ?
探究領域: 社会寄与
セントラルアイディア:価値の移転は信頼によって成り立つ。
技術が進歩に伴い、私たちの生活は間違いなく安定し、豊かになりました。と同時に、個人は、大量のモノや情報が循環する巨大システムの中の一部、いわゆる歯車の一部となり、仕組みがどう動いているか見えない「ブラックボックス」のまま生活しています。
「まあ、生きていかれるからいいじゃん!」
と日々惰性に流されてもがあまり害が起きなかったのは、人が「貧」から「富」へのプロセスを体感していたから。あんな貧しい中から、よくここまで来たよなという実感があったときは「お金」の「価値」に感謝できました。さらには、お金のおかげで手に入れられた「ささやかな幸せ」に感謝できました。しかし、高度成長でみな豊かになり、ベーシックな幸福では満足できず、もっと、もっとと「欲望」を増大させ始めておかしくなってきたのです。そんな大人たちのむきだしの「欲望」の傍らで、苦労知らず、貧しさ知らずで、「毎日、食べられるのは当たり前だよ!」「お金出してよ、お金で買えるでしょ!」と、あたかもみんなが「打ち出の小槌」を持っているかのような幻想の中で育ちつつある子どもにとって、「お金」のやりとりの「背景」で循環している実態を知り、意識することは、とても大事な探究テーマです。
彼らが直面しているのは「成長」が期待できない社会。むしろ「縮小」しつつ、みなで限られらパイを分け合って生きてゆく社会です。そんな社会でも、心豊かに生きてゆくときに注目されるようになったのが地域通貨のようなコミュニティマネーでした。なぜ、ローカルでしか流通できない「お金」をわざわざ使うとよいのか……「お金」の歴史を逆まわし再生して、わざわざ物々交換の時代に戻すなんてどうして?
ということを子どもたちともに考える一週間でした。
「円とかドルとかはいつでもどこでもどんなモノやサービスに対しても使えるよね」
「でも、コミュニティマネーは、ある特定の場所と、人々としか使えない」
なんで、そんな不便なことをするのか……その「理由」を探り出そうとしますがもちろん子どもにはピンと来ません。わざわざ面倒なことをするメリットはなんだろう……
そこで、ちょっと perspective を変えてみます。
「お手伝いにしろ、いらないもののやりとりにしろ、わざわざお金を使わなくても『おたがいさま』っていう感じでできるんじゃない?」
「むしろ、そこにお金が関わると、お金のためにやってるっていうことになってよくないんじゃないかな?」
お互いにポイントを貯めあって、なにかをしようというのは、なんとなく楽しそう。だから「TCSコミュニティマネーをつくってみたい!」という気持ちは満々。でもそれってポイント集めゲームしたいだけで、そんなことしててても信頼なんて生まれないんじゃないか……
このゆさぶりに対して、子どもたちは大いに反発します。
「お金のやりとりが生まれるから仕事になって責任感がかえって出るんだよ」
「もし、もめるようなことがあったら、その時点でお金を使えなくなるし、仲間には入れないわけだから、気をつけるようになると思う」
なるほど、「信頼」をつくりだす装置としてコミュニティマネーは役立つのではないかという主張ですな。でも、やっぱり、それでも「お金」のような「ポイント」をもうけないとそのような関わりができないというのはちょっと悲しいような……
やりたいことだけでなく、やるべきことをきちんとする「自制心」を持ち、質の高い「仕事」を「継続」することで「信頼」になることはわかった。しかし、そもそも「信頼」がない状態から「信頼」を生み出す方便がはっきりしない……だったら、レコーディングダイエットがうまくいくように、数値化されたポイントを稼ぐことに没頭してゆくうちに、「価値」がしっかり移転された「仕事」ができるようになるんならいいじゃないか。
「TCSコミュニティマネー」を導入して、いちいち「数値化」し、「価値」の移転を評価することが、そのうち、自発的に質の高い仕事に没頭することにつながるんじゃないか……う〜ん、なんか言われると、そういう理屈もあるかもしれないけど、はたしてどうかなあ……まだモヤモヤ……
とはいえ、次週は最終週。ここまで考えてきたことをまとめ、「価値の移転は信頼によって生まれる」ということについてどう理解したかを明らかにしてゆかなければなりません。ああ6週間hは早いなあ!
RI
※TCS2015年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
探究領域: 社会寄与
セントラルアイディア:価値の移転は信頼によって成り立つ。
[3・4年生]
お金の歴史を追究してゆくと、「金貨」だろうが「紙幣」だろうが、モノやサービスのやりとりをするときに「信頼」関係がないとどうにもならないということがよくわかってきます。「お金」が私たちに与えたインパクトは、顔の見えない人、普段関わりのない人、遠く離れた人との「取引」を可能にしたことです。身の回りの、気心の知れた人だけとの「取引」では実現できない、さまざまな種類のモノやサービスを効率よく循環することが、「お金」のおかげでできるようになり、経済活動は活発化しました。技術が進歩に伴い、私たちの生活は間違いなく安定し、豊かになりました。と同時に、個人は、大量のモノや情報が循環する巨大システムの中の一部、いわゆる歯車の一部となり、仕組みがどう動いているか見えない「ブラックボックス」のまま生活しています。
「まあ、生きていかれるからいいじゃん!」
と日々惰性に流されてもがあまり害が起きなかったのは、人が「貧」から「富」へのプロセスを体感していたから。あんな貧しい中から、よくここまで来たよなという実感があったときは「お金」の「価値」に感謝できました。さらには、お金のおかげで手に入れられた「ささやかな幸せ」に感謝できました。しかし、高度成長でみな豊かになり、ベーシックな幸福では満足できず、もっと、もっとと「欲望」を増大させ始めておかしくなってきたのです。そんな大人たちのむきだしの「欲望」の傍らで、苦労知らず、貧しさ知らずで、「毎日、食べられるのは当たり前だよ!」「お金出してよ、お金で買えるでしょ!」と、あたかもみんなが「打ち出の小槌」を持っているかのような幻想の中で育ちつつある子どもにとって、「お金」のやりとりの「背景」で循環している実態を知り、意識することは、とても大事な探究テーマです。
彼らが直面しているのは「成長」が期待できない社会。むしろ「縮小」しつつ、みなで限られらパイを分け合って生きてゆく社会です。そんな社会でも、心豊かに生きてゆくときに注目されるようになったのが地域通貨のようなコミュニティマネーでした。なぜ、ローカルでしか流通できない「お金」をわざわざ使うとよいのか……「お金」の歴史を逆まわし再生して、わざわざ物々交換の時代に戻すなんてどうして?
ということを子どもたちともに考える一週間でした。
「円とかドルとかはいつでもどこでもどんなモノやサービスに対しても使えるよね」
「でも、コミュニティマネーは、ある特定の場所と、人々としか使えない」
なんで、そんな不便なことをするのか……その「理由」を探り出そうとしますがもちろん子どもにはピンと来ません。わざわざ面倒なことをするメリットはなんだろう……
そこで、ちょっと perspective を変えてみます。
「お手伝いにしろ、いらないもののやりとりにしろ、わざわざお金を使わなくても『おたがいさま』っていう感じでできるんじゃない?」
「むしろ、そこにお金が関わると、お金のためにやってるっていうことになってよくないんじゃないかな?」
お互いにポイントを貯めあって、なにかをしようというのは、なんとなく楽しそう。だから「TCSコミュニティマネーをつくってみたい!」という気持ちは満々。でもそれってポイント集めゲームしたいだけで、そんなことしててても信頼なんて生まれないんじゃないか……
このゆさぶりに対して、子どもたちは大いに反発します。
「お金のやりとりが生まれるから仕事になって責任感がかえって出るんだよ」
「もし、もめるようなことがあったら、その時点でお金を使えなくなるし、仲間には入れないわけだから、気をつけるようになると思う」
なるほど、「信頼」をつくりだす装置としてコミュニティマネーは役立つのではないかという主張ですな。でも、やっぱり、それでも「お金」のような「ポイント」をもうけないとそのような関わりができないというのはちょっと悲しいような……
やりたいことだけでなく、やるべきことをきちんとする「自制心」を持ち、質の高い「仕事」を「継続」することで「信頼」になることはわかった。しかし、そもそも「信頼」がない状態から「信頼」を生み出す方便がはっきりしない……だったら、レコーディングダイエットがうまくいくように、数値化されたポイントを稼ぐことに没頭してゆくうちに、「価値」がしっかり移転された「仕事」ができるようになるんならいいじゃないか。
「TCSコミュニティマネー」を導入して、いちいち「数値化」し、「価値」の移転を評価することが、そのうち、自発的に質の高い仕事に没頭することにつながるんじゃないか……う〜ん、なんか言われると、そういう理屈もあるかもしれないけど、はたしてどうかなあ……まだモヤモヤ……
とはいえ、次週は最終週。ここまで考えてきたことをまとめ、「価値の移転は信頼によって生まれる」ということについてどう理解したかを明らかにしてゆかなければなりません。ああ6週間hは早いなあ!
RI
※TCS2015年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。