タイトル: 治の力
探究領域: 社会寄与
セントラルアイディア:私たちは私たちを私たちのために治めている。
「おかしな意見、安易な意見に流されない民主政治を実現するにはどうしたらいいだろう?」
これが今日の「議題」です。すぐに
「みんながしっかり判断できるようにならないとダメ」
「じっくり考えて判断しないとダメだと思う」
すぐに「正解」が出てきます。しかし、だれもがすぐに思い浮かぶ「正解」がありながら、なぜ現実にはそうならないのでしょう。
「だって考えるの大変じゃん」
「いちいち考えてたら時間ばかりかかっちゃう」
「違う意見の人がお互いの意見を認めるのは難しいよ」
これもすぐに思いつく。だってこれは子どもたちがいつも直面していることだから……毎日のように大なり小なりトラブルが起こる。そのトラブルは、きちんと考えず、衝動的に判断したがゆえに間違いにつながっている。「意識を意識する」というのがTCSの合言葉だが、それがすっぽり抜けてしまうから起こる。つまりちょっとしたことでさえ「判断」することは難しいのである。
トラブルではなくても何かイベントを行うときでも、複数の意見が出てまとまらない。自分の思いつきを通したいと思ったとき、どうしたって相手意見を論破して、つぶして、自分のアイデアを通したいと考える。うまく論破しても、多数決をとってみたら、アイデアの質自体ではなく、アイデアを出した人が好きか嫌いかが判断基準となり、自分がどうもみんなからの受けがよくないと負けてしまう……そんな不条理を日々経験しているのだから、「きちんと判断する」というのは難しいと実感している……
「人間の持っている能力っていうのがあるからそれを超えていくのって難しいんだよね。たとえばどんなにジャンプしたって人間の飛べる高さって限界あるでしょ。トレーニングしてもさ、オリンピック選手だってある程度までしか飛べないじゃん。だからDNAがもうこれ人間じゃないよ!ってぐらい変化しないと難しいと思う」
いきなり鋭い意見が飛び出した……
「能力だけじゃないよ。人間は神話の世界から抜け出られないからね」
おいおい、いきなり何を言い出すんだよ。おまえ本当に小5か……
「タレスが言ったんだよ」
「タレスって哲学堂公園にいたよね」
「三祖の一人だよね」
新学期始めに Fieldwork してなんとなく残っていたタレスが、突然、算数の時間に「ピラミッドの高さを測る」ということで現れたので、いったいタレスって何者?って思ったそうだ。そこで、授業後、自分の i-pad でタレスのことについてググってみたら「さるでもわかるタレス入門」という記事が出てきたた。そこには、何故、タレスが世界で最初の哲学者と呼ばれたかが書かれていた。人々が、先祖代々語られてきたそれぞれの部族の「神話」を頭から信じこんでいたのに対し、多様な人々の集まる貿易都市に住むタレスは、それぞれの人々が異なる「神話」を持っていることをまざまざと目撃し、いったいどれが正しいのか?そもそも正しい神話なんてあるのか?という「懐疑心」を抱き、そもそも「神話」は空想だと気づいた。
「目の前にあるリンゴをリンゴだと見て終わりにするのでなしに、なぜリンゴは赤くなるのか?という問いを持つことこそ大事」
ということをタレスは言い、世界の成り立ちについて自分で考え始めた。ゆえにタレスは最初の哲学者だというのだ。
「親や先生の言うことも含めて、前の時代の人々の持つ神話をそのまま受け継ぐだけじゃあ、判断しようなんて心育つわけないよね」
この話を聞いていたある子が突然、ひらめいたように語ります。
いやあ、スゴイ展開になってきたぞ。
「物はどんどん進歩するけど、人はなかなか変われないということかもね」
なんとなくどんよりする子どもたち。民主政治によって人を「治める」ことの困難さに早くも打ちひしがれそうです。
ここまで本質に迫ろうとする子どもの「議論」のスゴさに改めて感動!朝までなんとかだの、なんとかタックルだの、大人って本当にバッカじゃないの?ってつくづく思ってしまう。
いやあ、子どもの話についていけるよう大人も感性と知識を磨かねばと思ってしまいました。
RI
※TCS2015年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
探究領域: 社会寄与
セントラルアイディア:私たちは私たちを私たちのために治めている。
[5・6年生]
私たちは、「最悪」と呼ばれながらも、現状では「いちばんまし」な民主的な政治制度を採用しています。先週の話し合いに出てきたように、単に「多数決」だけで判断する民主政治は大変危ういものです。ポピュリズムと揶揄されるように、そのときみんなに受けた意見、よさそうに思える意見に多くの人々がひきずられ、後から冷静に考えればとんでもない考えが採用されてしまうことがあるからです。「おかしな意見、安易な意見に流されない民主政治を実現するにはどうしたらいいだろう?」
これが今日の「議題」です。すぐに
「みんながしっかり判断できるようにならないとダメ」
「じっくり考えて判断しないとダメだと思う」
すぐに「正解」が出てきます。しかし、だれもがすぐに思い浮かぶ「正解」がありながら、なぜ現実にはそうならないのでしょう。
「だって考えるの大変じゃん」
「いちいち考えてたら時間ばかりかかっちゃう」
「違う意見の人がお互いの意見を認めるのは難しいよ」
これもすぐに思いつく。だってこれは子どもたちがいつも直面していることだから……毎日のように大なり小なりトラブルが起こる。そのトラブルは、きちんと考えず、衝動的に判断したがゆえに間違いにつながっている。「意識を意識する」というのがTCSの合言葉だが、それがすっぽり抜けてしまうから起こる。つまりちょっとしたことでさえ「判断」することは難しいのである。
トラブルではなくても何かイベントを行うときでも、複数の意見が出てまとまらない。自分の思いつきを通したいと思ったとき、どうしたって相手意見を論破して、つぶして、自分のアイデアを通したいと考える。うまく論破しても、多数決をとってみたら、アイデアの質自体ではなく、アイデアを出した人が好きか嫌いかが判断基準となり、自分がどうもみんなからの受けがよくないと負けてしまう……そんな不条理を日々経験しているのだから、「きちんと判断する」というのは難しいと実感している……
「人間の持っている能力っていうのがあるからそれを超えていくのって難しいんだよね。たとえばどんなにジャンプしたって人間の飛べる高さって限界あるでしょ。トレーニングしてもさ、オリンピック選手だってある程度までしか飛べないじゃん。だからDNAがもうこれ人間じゃないよ!ってぐらい変化しないと難しいと思う」
いきなり鋭い意見が飛び出した……
「能力だけじゃないよ。人間は神話の世界から抜け出られないからね」
おいおい、いきなり何を言い出すんだよ。おまえ本当に小5か……
「タレスが言ったんだよ」
「タレスって哲学堂公園にいたよね」
「三祖の一人だよね」
新学期始めに Fieldwork してなんとなく残っていたタレスが、突然、算数の時間に「ピラミッドの高さを測る」ということで現れたので、いったいタレスって何者?って思ったそうだ。そこで、授業後、自分の i-pad でタレスのことについてググってみたら「さるでもわかるタレス入門」という記事が出てきたた。そこには、何故、タレスが世界で最初の哲学者と呼ばれたかが書かれていた。人々が、先祖代々語られてきたそれぞれの部族の「神話」を頭から信じこんでいたのに対し、多様な人々の集まる貿易都市に住むタレスは、それぞれの人々が異なる「神話」を持っていることをまざまざと目撃し、いったいどれが正しいのか?そもそも正しい神話なんてあるのか?という「懐疑心」を抱き、そもそも「神話」は空想だと気づいた。
「目の前にあるリンゴをリンゴだと見て終わりにするのでなしに、なぜリンゴは赤くなるのか?という問いを持つことこそ大事」
ということをタレスは言い、世界の成り立ちについて自分で考え始めた。ゆえにタレスは最初の哲学者だというのだ。
「親や先生の言うことも含めて、前の時代の人々の持つ神話をそのまま受け継ぐだけじゃあ、判断しようなんて心育つわけないよね」
この話を聞いていたある子が突然、ひらめいたように語ります。
いやあ、スゴイ展開になってきたぞ。
「物はどんどん進歩するけど、人はなかなか変われないということかもね」
なんとなくどんよりする子どもたち。民主政治によって人を「治める」ことの困難さに早くも打ちひしがれそうです。
ここまで本質に迫ろうとする子どもの「議論」のスゴさに改めて感動!朝までなんとかだの、なんとかタックルだの、大人って本当にバッカじゃないの?ってつくづく思ってしまう。
いやあ、子どもの話についていけるよう大人も感性と知識を磨かねばと思ってしまいました。
RI
※TCS2015年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。