タイトル:Dear Editor
探究領域:意思表現
セントラルアイディア:「編集によって情報の価値は変わる。」
「腹いて〜」
すごく集中してキーボードを打ち込む作業の最中に突然、爆笑し始めます。下級生の書くクリエイティブ作文は、子どもらしい意表をつく展開、荒唐無稽なストーリー、そして独特の表現で満ちています。
これから出版する本ですので、ネタバレにならない範囲で書くと、
新たな擬音語を考え出したり、ええ、そんなのあり得ないよ〜というような突発的な事件が起こったり、バカバカしいけれど、ホッとする部分もあり、わあ、これは考えつかないよな!というファンタジーにあふれているのです。
ただ、ひとしきり笑った後、この面白さとは裏腹の、わかりにくさに直面します。部分としてとらえてみれば、メチャクチャ面白いけれど、文章全体で考えてみると、いったいどこへ行くのかわからない。どこへ行くのかわからないどころか、途中経過も飛びまくりで、なぜこの場面になったのかがわからないのです。
「盆栽」にたとえてみれば、自然の造形の面白さを出したいものの、剪定しないと形がはっきりしない。とはいえ、剪定ばかりしてしまうと、形は整うかもしれないけれど、当たり前のものになってしまう……
わかりやすいものにするためにストーリーを整理してみる
きっと書きたかったのだろうけれど表現できていなかったり、飛躍してしまったりして、通じなくなっていることを推測して埋めてみる
しかし、オリジナルに書かれたその子らしさを残すようにする
実は、大人の書き手の文章を読み解き、手を入れるよりも、子どもが思いっきり書き散らした文章を編集する方が、単に「文章がうまくない」ということで片づけられない難しさがあるだけにとても難しいのです。
「きっとこういうことを言いたかったんじゃないかな」
ホワイトボードにストーリーの流れを書き出して、この子が言いたいことを、どう面白く表現するか考えます。編集メンバーでう〜んと頭をひねっていると、タイミングよく卒業生がたずねてきました。TCSの探究を骨身にしみて理解している卒業生は、さくっと討議の輪に入ります。
「じゃあ私が読者の目で読んでみるね」
面白さと文章の構成とのバランスをいかに図るかという視点を持って読み進めてくれます。
「ねえ、ちょっとコメント書いていい?」
感じたことやもっとこうしたらよくなるんじゃないかということを付箋に書いてくれるなんて。ああスバラシキTCS卒業生。
今回、子どもたちの編集作業を見ていて気づいたことがあります。それは不完全な文章を読み解き、どうしたらもっとよい文になるだろうと考えることが、文章を読解し、表現する力を大いに育てるということです。国語教育というと、名文やお手本になる文を読ませます。確かに「うまい部分」をパクリ、自分の表現のストックにするという点でこのやり方は意味があります。 ただ、この場合、自分が文章表現の使い手として向上したいという強烈な気持ちがない限り、どうしても「知った」で終わってしまい、「身について使える」というレベルには達しません。ところが、自分たちの仲間が書いた文章をもっとよくしたいと思ったとき、カワイク無邪気な後輩たちを育ててあげたいなというモチベーションが高まったとき、頭がぐるぐるし始めます。スカスカにスキマの空いた論理をどう埋めるか、そのためにどんな出来事をどんな順番で表現したらよいか、語彙の使い方がおかしいとき、どんな言葉に変えたらよいか、必死に考えようとするのです。このプロセスが、単に「知った」ではない「使える力」を育んでゆくのです。
情報の価値を編集によって変えてゆくというコンセプト通り、子ども達の書いた「らしさのキラリと光る面白い文章」の価値をさらに高めるために、いかに文章を再構築するかの探究に没入してしまっている。子どもたちの燃え上がる炎は勢いを増すばかりです。
RI
※TCS2014年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
探究領域:意思表現
セントラルアイディア:「編集によって情報の価値は変わる。」
[5・6年生]
「うわあ本当におかしいよね」「腹いて〜」
すごく集中してキーボードを打ち込む作業の最中に突然、爆笑し始めます。下級生の書くクリエイティブ作文は、子どもらしい意表をつく展開、荒唐無稽なストーリー、そして独特の表現で満ちています。
これから出版する本ですので、ネタバレにならない範囲で書くと、
新たな擬音語を考え出したり、ええ、そんなのあり得ないよ〜というような突発的な事件が起こったり、バカバカしいけれど、ホッとする部分もあり、わあ、これは考えつかないよな!というファンタジーにあふれているのです。
ただ、ひとしきり笑った後、この面白さとは裏腹の、わかりにくさに直面します。部分としてとらえてみれば、メチャクチャ面白いけれど、文章全体で考えてみると、いったいどこへ行くのかわからない。どこへ行くのかわからないどころか、途中経過も飛びまくりで、なぜこの場面になったのかがわからないのです。
「盆栽」にたとえてみれば、自然の造形の面白さを出したいものの、剪定しないと形がはっきりしない。とはいえ、剪定ばかりしてしまうと、形は整うかもしれないけれど、当たり前のものになってしまう……
わかりやすいものにするためにストーリーを整理してみる
きっと書きたかったのだろうけれど表現できていなかったり、飛躍してしまったりして、通じなくなっていることを推測して埋めてみる
しかし、オリジナルに書かれたその子らしさを残すようにする
実は、大人の書き手の文章を読み解き、手を入れるよりも、子どもが思いっきり書き散らした文章を編集する方が、単に「文章がうまくない」ということで片づけられない難しさがあるだけにとても難しいのです。
「きっとこういうことを言いたかったんじゃないかな」
ホワイトボードにストーリーの流れを書き出して、この子が言いたいことを、どう面白く表現するか考えます。編集メンバーでう〜んと頭をひねっていると、タイミングよく卒業生がたずねてきました。TCSの探究を骨身にしみて理解している卒業生は、さくっと討議の輪に入ります。
「じゃあ私が読者の目で読んでみるね」
面白さと文章の構成とのバランスをいかに図るかという視点を持って読み進めてくれます。
「ねえ、ちょっとコメント書いていい?」
感じたことやもっとこうしたらよくなるんじゃないかということを付箋に書いてくれるなんて。ああスバラシキTCS卒業生。
今回、子どもたちの編集作業を見ていて気づいたことがあります。それは不完全な文章を読み解き、どうしたらもっとよい文になるだろうと考えることが、文章を読解し、表現する力を大いに育てるということです。国語教育というと、名文やお手本になる文を読ませます。確かに「うまい部分」をパクリ、自分の表現のストックにするという点でこのやり方は意味があります。 ただ、この場合、自分が文章表現の使い手として向上したいという強烈な気持ちがない限り、どうしても「知った」で終わってしまい、「身について使える」というレベルには達しません。ところが、自分たちの仲間が書いた文章をもっとよくしたいと思ったとき、カワイク無邪気な後輩たちを育ててあげたいなというモチベーションが高まったとき、頭がぐるぐるし始めます。スカスカにスキマの空いた論理をどう埋めるか、そのためにどんな出来事をどんな順番で表現したらよいか、語彙の使い方がおかしいとき、どんな言葉に変えたらよいか、必死に考えようとするのです。このプロセスが、単に「知った」ではない「使える力」を育んでゆくのです。
情報の価値を編集によって変えてゆくというコンセプト通り、子ども達の書いた「らしさのキラリと光る面白い文章」の価値をさらに高めるために、いかに文章を再構築するかの探究に没入してしまっている。子どもたちの燃え上がる炎は勢いを増すばかりです。
RI
※TCS2014年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。