タイトル:目からうろこ
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:私たちはみな、違う世界が見えている。
1年生のときに探究した I am Special You are Special は、自分がかけがえのない存在だということに気づき、自分がかけがえがないのなら、友達もまたかけがえのないものなんだとお互いを認め合う意識をつくりだす学びでした。
自信を持って My discovery を語れるようになっているのは自己効力感が育っている証です。人の顔色をうかがい、正解探しに汲々としているようでは探究などできません。「自分の見方」への自信が育っているのは、「そんなのおかしいよ」「あるわけないじゃん」というネガティヴな発言がない中で、安心して自分の考えを発表できる環境で学んでいるからです。しかし、それはまだ入口に過ぎません。自信は寛容な心へと拡張してゆくはず。My discovery とともに Your discovery 〜他者の見方〜を素直に受容できるようになってこそ本物です。そこで今回の自主自律の探究は、私たちは同じ物事であっても人によって違った見方をしていること。そして自分の見方にはクセがあること。さらには自分の見方を多面的にしてゆくことへの挑戦がテーマです。
「正直、よくわからない……」
私たちが見ている世界に違いがあると言われても子ども達はぴんと来ませんでした。そりゃあそうです。これまで自分がどんな見方をしているか、さらには相手がどんな見方をしているかなんてことを考えることなんかなかったわけですから当然です。
「じゃあさあぼくの持っている『筆箱』を見て」
頭がもやもやでいっぱいの子どもたちに問いかけます。
「『筆箱』って言われて見たものはみんな同じかな?」
続けてたずねると……
「ぼくは筆箱についている鉛筆削りのところ見てた」
「私は筆箱の横のところ」
「私も横のところだけど○○ちゃんとは反対の方」
なるほど、おっちゃんから向かって左側に座っている○○ちゃんと、右側に座っている自分とでは、当然、側面と言っても見える部分が確かに違ってしまう。相手の見ている側面は陰になって見えないことに気づきます。
(こりゃあ面倒なことになったぞ……)
子どもたちの沈黙と顔つきが訴えているように私には見えました(もちろんこれも私の「主観」ですが……)。
同じ物を見ているなら、誰でも同じ見え方をしているはずだという考えが一気に崩れ去りました。と同時に、共通に「筆箱」と認識していて、だからみんなが同じ「筆箱」を見ていると思いこんでしまう。だからまあいいのかなあ?……でもなんか腑に落ちない……いきなり「わけわからん」世界に突入。Welcome to 探究 world です。
最初からあまり飛ばし過ぎると疲れてしまうので、気分転換。私たちの見え方に影響を与える、私たちの「外」の存在に注目します。その代表は、子どもたちもよ〜く知っている鏡です。鏡はそのままを反射して返してくれる。だからそこに映っている像は、現実の像?……とはならないで、左右逆になっています。それは子ども達も、わかっていました。
1枚の鏡に映った「像」は左右逆。でももう一枚の鏡に映せば「逆の逆」だから元の像に戻る。さらに2枚の鏡でも、開く角度をせばめてゆけば、鏡の中に鏡が映り、その鏡の中の鏡がさらに映り、「像」が増殖してゆきます。1個の将棋の駒しか置いていないのに、鏡の中には何枚もの同じ駒が映っています。
「こうやってトリックできるんだね」
そう、鏡をうまく使えば人の見え方を欺くことができます。
自分は外界にある事物そのものを見ている……と安易に考えることはできなくなってきました。私たちはだまされないようにしっかり見なくてはならない。しかし、私たちは「意識」さえすればちゃんと見ることができるのでしょうか?追究は続きます。
RI
※TCS2014年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:私たちはみな、違う世界が見えている。
[2年生]
自主自律という探究領域は、探究するマインドの根幹を育てます。自分という存在のユニークさに気づき、どこまでいっても不可解な自分をなんとかコントロールするすべを知り、そして、志を抱いて未来に立ち向かってゆく。自主自律はそんな流れで探究し続けてゆきます。1年生のときに探究した I am Special You are Special は、自分がかけがえのない存在だということに気づき、自分がかけがえがないのなら、友達もまたかけがえのないものなんだとお互いを認め合う意識をつくりだす学びでした。
自信を持って My discovery を語れるようになっているのは自己効力感が育っている証です。人の顔色をうかがい、正解探しに汲々としているようでは探究などできません。「自分の見方」への自信が育っているのは、「そんなのおかしいよ」「あるわけないじゃん」というネガティヴな発言がない中で、安心して自分の考えを発表できる環境で学んでいるからです。しかし、それはまだ入口に過ぎません。自信は寛容な心へと拡張してゆくはず。My discovery とともに Your discovery 〜他者の見方〜を素直に受容できるようになってこそ本物です。そこで今回の自主自律の探究は、私たちは同じ物事であっても人によって違った見方をしていること。そして自分の見方にはクセがあること。さらには自分の見方を多面的にしてゆくことへの挑戦がテーマです。
「正直、よくわからない……」
私たちが見ている世界に違いがあると言われても子ども達はぴんと来ませんでした。そりゃあそうです。これまで自分がどんな見方をしているか、さらには相手がどんな見方をしているかなんてことを考えることなんかなかったわけですから当然です。
「じゃあさあぼくの持っている『筆箱』を見て」
頭がもやもやでいっぱいの子どもたちに問いかけます。
「『筆箱』って言われて見たものはみんな同じかな?」
続けてたずねると……
「ぼくは筆箱についている鉛筆削りのところ見てた」
「私は筆箱の横のところ」
「私も横のところだけど○○ちゃんとは反対の方」
なるほど、おっちゃんから向かって左側に座っている○○ちゃんと、右側に座っている自分とでは、当然、側面と言っても見える部分が確かに違ってしまう。相手の見ている側面は陰になって見えないことに気づきます。
(こりゃあ面倒なことになったぞ……)
子どもたちの沈黙と顔つきが訴えているように私には見えました(もちろんこれも私の「主観」ですが……)。
同じ物を見ているなら、誰でも同じ見え方をしているはずだという考えが一気に崩れ去りました。と同時に、共通に「筆箱」と認識していて、だからみんなが同じ「筆箱」を見ていると思いこんでしまう。だからまあいいのかなあ?……でもなんか腑に落ちない……いきなり「わけわからん」世界に突入。Welcome to 探究 world です。
最初からあまり飛ばし過ぎると疲れてしまうので、気分転換。私たちの見え方に影響を与える、私たちの「外」の存在に注目します。その代表は、子どもたちもよ〜く知っている鏡です。鏡はそのままを反射して返してくれる。だからそこに映っている像は、現実の像?……とはならないで、左右逆になっています。それは子ども達も、わかっていました。
1枚の鏡に映った「像」は左右逆。でももう一枚の鏡に映せば「逆の逆」だから元の像に戻る。さらに2枚の鏡でも、開く角度をせばめてゆけば、鏡の中に鏡が映り、その鏡の中の鏡がさらに映り、「像」が増殖してゆきます。1個の将棋の駒しか置いていないのに、鏡の中には何枚もの同じ駒が映っています。
「こうやってトリックできるんだね」
そう、鏡をうまく使えば人の見え方を欺くことができます。
自分は外界にある事物そのものを見ている……と安易に考えることはできなくなってきました。私たちはだまされないようにしっかり見なくてはならない。しかし、私たちは「意識」さえすればちゃんと見ることができるのでしょうか?追究は続きます。
RI
※TCS2014年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。