今週も子ども裁判官たちの「判決」からスタートしました。
2本目の判決文は、当然ながら、最初よりも「出来」がよくなっています。
言葉遣いも、言い回しも、まとめ方も練れてきました。
子どもたちも手ごたえを感じています。
「充実感」にあふれているからこそ、さらにレベルアップするチャンス!
「こんなもんでいいんだ……」という気持ちに陥らないように
みんなで意見を出し合って、判決文の「改善」を行いました。
「同じ事件なのに、判決が違っちゃうんだよね?」
「だって、どの証拠を信じるかによって判断変わるじゃん」
絶対に正しい判断はあり得ないことを子どもたちは気づいています。
同時に、できるだけ正しい判断に近づけたいとも思っています。
「得られる証拠、つまり、手に入れた情報によって判断は変わってしまうよね」
被害者の傷一つとっても、胸を刺されたか、防御するために出した上腕部を
刺されたか、もみあった際についたと考えられる細かいかすり傷か、によって
「殺意」についての「判断」は全く異なります。
さらに、そこに目撃者の「証言」がからんできます。
検察側の証人と弁護人の証人とでは、言い分が食い違うケースもあります。
どんなに最善を尽くしてもすべての証拠を集めるわけにはいかない以上
手持ちの情報の「信憑性」を判断した上で、合理的な判断を導き出さざるを得ません。
判断を聞いた人が、なるほど!そういうことか!と納得する!
それを「正しい判断」とするしかないことがわかってきました。
If 〇〇 is true, then △△
条件が変われば、判断も変わります。
どの条件がいちばん信頼できるか、納得できるか、まず「判断」し
次に、どんなことが、なぜ起きてしまったのか「判断」します。
「裁判」の場合は、「被告」にどのように罪を償わせるのが妥当か、更生可能性、
社会への影響、さらには、被害者の家族の思いも考慮して決定しなくてはなりません。
「判決文を読んで、その後で、どういうポイントに基いて判断したか説明しようよ!」
今週末のテーマ発表会で何をメインに発表したいか聞いたところ
子どもたちがいちばん伝えたいと思ったことは、「判決文」を書くことを通じて
どうやって判断するかを学んだことでした。
裁判所見学が中心だった「前半」と打って変って、後半は、「デスクワーク」に終始し
文書で示された「証拠」を丁寧に吟味して、ひたすら「判断」し、文章化し、
出来上がったものを読み返しては、書き直す作業の積み重ねでした。
「実体験」を「知識化」することに専念したと言えるでしょう。
「今回のテーマ学習では裁判について学びました。
この学びの目的は、判断するのは難しいけど、責任持って判断することから逃げずに
しっかり判断するにはどうしたらよいか追究することでした。」
「判断」と「責任」とは表裏一体で、面倒に巻き込まれたくないので逃げたい……
でも「判断」から逃げたら、よりよい社会は創れない。
「裁判で学んだことは、普段の生活でも使えると思います。」
このことを彼らは深く実感したようです。
さあ、あとは学んだことをどれだけわかりやすく伝えられるか……
土曜日のテーマ発表会が楽しみです。
RI