特定非営利活動法人 東京コミュニティスクール

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東京コミュニティスクール

振り返り探検

タイトル:東京発見伝
探究領域:時空因縁
セントラルアイディア:探検は歴史や価値観、存在意義の洞察につながる。

[3・4年生]

スクールから谷戸小学校までを歩いた中で発見したことを振り返ります。
外に行かなくても、「探検中」であります。
準備し、歩いて、振り返る。今回の探検はこの3つをセットにすることにしました。
どんなことを考えながら歩いてきたのか共有していきます。

「人が少なかった。」

人・もの・地形のうちの「人」に関することから話は始まりました。
東京は人が多いまちとイメージしていたため、少ないというのは予想外だったのかもしれません。その中でも、子どもたちはどんな人がいたのかを「見て」「話して」「記録して」いました。

「工事の人にあった。」
「人通りの少ない道だけど、外国の人が7〜8人通ったって言ってたから、
外国の人が多いって言えるんじゃないのかな。」
「その工事の人、この辺は大きい公園も多いけど、
ビルも多いから空からみたらビルばかりになるねとも言ってた。」

大きい公園が多いってどうして知ってるのかな?
「あ。聞いてみればよかった。」

話が止まってしまったり、何を話していいかわからなくなってしまったとき、
思い出したいのが「key-concepts」です。
functionなら「今している仕事はどんな仕事?」だったり、
causationなら「なぜ工事をしているの?」だったりと、
key-conceptsで考えると、もっといろいろなことが聞き出せたことに気付いてきます。

「ベビーカーに子どもを乗せて歩いてるお母さんと話をしたよ。」
「化粧が濃かったな。」formを見ていたのですね、、。

この辺は子ども連れの家族が多いのかを聞いてみたところ、「23区では少ない方で、埼玉の方にはもっといっぱいいる」という返事をもらったとのこと。「その人はなぜそんなことを知っているのかな。」「どうして中野は少ない方なのか。」これも後々考えてみると気になるところです。ただ、他の区と中野を比べてみるという見方は、この方と話をしたことで得た収穫であります。人口を比較してみるのもいいかもしれません。調べたいことへと繋がっていきます。

「お米やさんは、60年間お店をしていて、昔のときの方が近所の人たちとの交流があってみんな知り合いだったけど、今では、住む人が変わって知らない人が増えたって言ってた。」
米屋もこの辺はここだけになったといいます。昔から住む人が少なくなり、なおかつ、近所同士があまり関わらなくなったということでしょうか。ほかの人にも同じことを聞いてみるのもよさそうです。

「お店が少なく、家が多かった。」という「もの」についての発見もありました。
「谷戸小学校は88周年って書いてあった。」
「城山公園にこんな看板を見つけたよ。」
どんな「もの」を「見た」のかがあがっていきます。

2016_9_11_atsu_IMG_0020.jpg読んでみると、
このあたりが「城山町」という名前だったこと、
中野村であったこと、
谷戸運動場はひとつのお屋敷だったことなど、
1576年の記録に城山と記されていることや、
戦国末期は堀江氏の土豪屋敷だったことといった、
昔、この場所に何があったのかが書かれています。

読むことで新たな発見や疑問が出てきます。
振り返りの「型」として、「読む」ことは必須となってきます。
「大きなお家があったんだね。」「トイレいくつあったのかな?」
「城山町っていうことは、お城もあったのかな?」
「ここは谷になっているのに、城山なの?」

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「城山公園にも看板があったよ。」
「東京府立 農事試験場の跡」という題が付いています。
江戸末期から大正12年まで、
この土地が農業発展の発信地であったといいます。
都市化の波に押されて立川へ移転されたと書かれています。

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また、今回の資料として使っている本によると、
川が地面を削って凸凹の地形をつくっていることがわかり、
実際に地図をみると、川に沿って谷ができています。
「桃園川は神田川とぶつかってる!」
「桃園川って緑道になってるよ。」
「今でも流れてるの?」

インターネットで検索してみると、桃園川に限らず、東京都市部は戦後宅地化が進み暗渠化された川は多く、下水道へと変わっていったことにたどり着きました。

「都市化で立川に農事試験場が移る前は、桃園川もあったから、野菜が育てやすかったのかな。」
「醤油、味噌、そば粉もここで作られて運ばれたって本に書いてある。」
製粉にするための石臼が残されている場所が中野坂上にあるとも記されていたため、
実際に見にいってみました。

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宝仙寺にある石臼塚。
「使っていた人たちが見たら、こんなふうに積み上げられてて、
水まで溜まっていてビックリするだろうね。」

2016_9_7_atsu_2%E9%80%B1%E7%9B%AE__006%20%281%29.jpg桃園川緑道。
川の形が道となって残っています。
「昔は川の水を使って、味噌とか野菜とかつくってたのに、
今は人が増えて、川に蓋をしちゃったり、神田川も汚れちゃったりして
川の水を使えなくしちゃったんだね。」

それって、昔の人はどういう人たちが多くて、今の人たちはどう変わったって
いえるのかな?と聞いてみると、

「昔の人は、どんなものでも使い道がある、工夫しようって思ってる。」
「今の人間は、贅沢ばかり望んでるんじゃない?自分たちも含めて。」

見てきたこと、話したこと、記録したきたことをもとに、それらを整理し、わかったことを共有し、調べたいことを確認し、確かめたいことを見にいきました。地形を利用した人々の暮らしがあった過去や、人の暮らしに合わせて地形が変えられた経緯を知り、そこから見えてくる人々の価値観にも迫っていきたいところです。この周辺が清らかな水の恵みで栄え、農事の発信地であり、物資の行き交う場所としての存在していたという歴史は見えてきたものの、今の特徴はまだ見えてきません。「中野がなくても困らないんじゃない?」そんな発言すら出てきています。中野を出て、ほかのまちとの比較をすることで見えてくるかもしれません。彼らの大きな目的は東京というまちを捉えること。来週は、いよいよ中野から範囲を広げていきます。

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TCS2016年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。

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