タイトル:理して利する
探究領域:万象究理
セントラルアイディア:則を学びて行わざれば即ち罔し、行いて則を学ばざれば即ち殆し
[3・4年生]
使える力は基本的に「位置エネルギー」。つまり「重力」。それをいかにコントロールして複雑な流れをつくり出すかがピタゴラ装置の醍醐味です。設計図にのっとって、仕掛けをつくっていきます。
「このゴム膜をコップの上にはって弾ませる」
「ビー玉を一個こっちに入れると滑車が動いてこっちの箱があがっていく」
設計図を頭の中でイメージし、さらにそれを形にしてゆきます。細かい作業で、精密さも要求されるので、作業は真剣そのもの。はさみで膜を切るのも、糸で箱をぶら下げるのも、丁寧に行います。ひとつ仕掛けができると、実際に試してみます。しかし……
きちんとつくってあるはずなのにうまく働きません。どこがおかしいんだろう……不具合を確かめながら、つくりなおします。絵で描けば簡単なことも、理屈では正しいことも、現実に実現しようとするとこんなにも難しいとは……しかし、まったくめげることなく調整し続けます。
ビー玉が道をころがって、落ちて箱に入る。すると重みでてんびんが動いて、次の道へビー玉を送り出す。そのビー玉が滑車エレベータで上に運ばれて、さらに転がり出す……着々と設計図通りにできあがってきます。
しかし、実際には「安定」しません。うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。こんなに不安定では装置とは言えない。たかがビー玉を転がす道をつくるだけなのに、なかなか調整がうまくいきません。ミリ単位以下の微妙な位置のずれ、角度のずれでビー玉は変な方向に飛んでいってしまいます。
「ピタゴラ装置をつくっている人って天才だね」
子どもたちは、精密でうまく作動する装置をつくることの大変さを肌で感じています。NHKでピタゴラ装置の作成に関わっている方にお話をうかがったことがありますが、ほんのわずかな部分をつくるだけで何時間もかけるし、撮影も困難を極めるそうです。しかし、そんな大変なことなのに、あきらめずに、挑みたくなる。そんな不思議な魅力がピタゴラ装置にはあります。
こんなもんでいいんじゃない、と適当にすませようという雰囲気は皆無。でも、普段のクセが出て、雑に動かしたり、乱暴に扱ったりすると、装置がすぐに動かなくなる。
「ああ、またやっちゃっや」
これが別の場面だったら、「えっ?おれそんなことしてないよ」
とか
「しょうがないじゃん、おればっかり責めないでよ」
と言い合って、小競り合いが起きるのですが、今回は、やってしまったことが如実に「結果」に表れてしまうので弁解できません。ああ、なんで雑なことしちゃうんだろう……と自ら反省しきりです。
「理」はわかっているのに、それを「形」にするのは大変だ
「理」はわかっているのに、自分のふるまいが「理」をぶち壊してしまう
そんな現実に直面し reflection するいい学びになっています。
「身のまわりにある道具や機械や施設だって同じだよ」
最近はブラックボックスになってしまい、どんな仕組み、仕掛けで動いているか見えない場合が多くなっています。だから普段、当たり前に使っていて、いや、使っている意識すらない装置のお世話になって私たちは暮らしています。そんな恩恵を「意識」する「きっかけ」になったでしょう。
精密に設計し、精密につくる。そして丁寧に維持する。それでも「現実」は思い通りにならない。永遠に生じる「不具合」に対し、前向きに、永遠に「調整」し続ける。義務ではありながら、やらされるというより、なんとか制御したいという人間の支配欲であり、またそれが面白いと思ってしまう遊び心でもあります。そんな人間の根源的欲求に突き動かされ、人間は「原理」を見つけ、「術」として活用する道を歩んできました。子どもたちは、ピタゴラ装置という「遊び」を通じて、人類の歩んだ道を追体験し、学んでいると言えましょう。
時間は刻々と過ぎてゆきます。果たして「装置」を実装することはできるのか……探究は続きます。
RI
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