タイトル:東京発見伝
探究領域:時空因縁
セントラルアイディア:探検は歴史や価値観、存在意義の洞察につながる。
[3・4年生]
先週は、スクールから南東に向かって歩き、坂が多いことを実感してきました。
資料をもとに周辺の地形を調べてみると、川があったことで谷戸ができたこと、
今では都市化が進んだことで川が暗渠化され、坂がそのまま残されている状態であることが見えてきました。自然の力で地形がゆっくりと動き、変化してきたことがわかります。
「谷戸小の子たちは中野の昔のことって知ってるのかな。」
「友達いるから聞いてみようかな。」
「中野の昔」という言葉から、中野の歴史に関して何かわかることはないかインターネットで
検索してみると、中野区のホームページに、歴史に関して中野区立歴史民俗資料館長が語っているページがありました。
「今から約7~10万年前の東京は、西は青梅、南は現在の多摩川の辺りまで一面が海でした。その後、世界的な大氷河期が訪れて、海面が後退していき、12000年前頃、現在の形になったと考えられています。この動きとほぼ同じ時代、関東周辺では富士山・箱根山が盛んに噴火を続けて、大量の火山弾や灰を噴き出していました。噴煙は偏西風に乗って東側に流れて、細かな火山灰(関東ローム層)がはらはらと降下していました。この噴火は、約12000年前まで数万年間続いていました。1週間1か月の単位ではありません、毎日毎日火山灰は降下を続けていますので少しずつ積っていき、そして現在のように台地が出来上がったのです。」と書いてあります。
また、この時代から中野には人が住んでいたというから驚きです。
「火山灰が降っているところに人は住んでないよ。」という意見が
ほとんどだっただけに、旧石器時代の人たちがどんな気持ちで暮らしていたかは
想像しがたいところであります。
人が住んでいた証拠となる石器の発見により、過酷な自然環境の中で暮らしていたことが見えてきたわけです。セントラルアイディアの中にある「歴史」という言葉を「昔のことが残っていることかな。」と解釈した子がいました。確かに、昔のことが残っていると、そこからその時代の様子が紐解かれていきます。
今週は、武蔵野台地の東の端まで探検に出かけました。
行き先は「大森」。京浜東北線を通ることで武蔵野台地の端沿いを進みます。
海だった「昔」、地形を活かした「昔」が残されている場所を探しに行きました。
まずは、凸凹地図で歩く場所を確認します。
台地の境になっているところはどのくらい急な道なのか楽しみです。
少し凹んでいる地帯、凸凹道、海岸沿いだった場所を訪れます。
後半は、町工場としての顔にも触れていきます。
東京商業会議所大田支部の発行している「モノづくりのまち 大田マップ」によると、大田区は日本を代表する小さな町工場を中心とした産業のまちとあります。実際にどんなものをつくっているのか、工場の今・昔を尋ねてみたいところです。
さぁ、盛りだくさんの1日探検のスタートです!
「人・もの・地形」を「見る・話す・記録する」の「型」を
意識して歩いていきます。
大森駅の東口は海側、西口は台地側になります。
西口を降りると目の前が神社になっているのですが、そこには急な階段が。
「本当にボコってなってる。」
「神社がなぜ高いところにあるのかな。」
「景色がいいから?」
「津波がこないから?」
実際に見て、歩いてみたことで、疑問も浮かびあがってきます。
あとで凸凹地図で確認してみると、崖の場所に作られている神社がほかにもあることに気づきます。
地図上では四角く凹んだ場所。
以前は「大森射的場」という射撃場があったといわれているところに行ってみます。今はテニスコートになっていることが地図上でわかります。実際にこの場所で働いている人に話をしてみることに。「聞いてみたいことがある!」と直進していった数人がいました。
直接話をした子が以下のようにまとめています。
見たこと、話したこと、記録したことをもとに、後日、整理する「型」として今回はブログにまとめるという作業を入れています。調べたらわかる内容も含まれているものの、読むにはまだ難しい部分も多々あります。実際に話をしたり聞いたりする中での方が強く頭の中に残り、数日後でも覚えている内容を綴っていきます。
「本当に凸凹だ!」
「この坂きついなー。」
「富士山に比べたら楽だよ。」
今月始めに富士登山を経験しているため、上り下りはなんのその。
向かうは大森貝塚です。
海だった場所。貝殻が残っているところがはっきりとわかります。
「貝を食べて、貝殻をまとめて捨ててたんだ。」「ここはゴミ捨て場所だった?」
午後は大森西1丁目に移動。
事前の調べでは、町工場は蒲田付近では残っているところは多くありますが、この地域では少なくなっている様子です。5・6年生も現在テーマ学習の中でインタビューをしている真っ最中。断られることも多いとのこと。それを聞いて、仕事中にお邪魔することの状況を理解し覚悟の上で臨みます。
「なんか忙しそうで話しかけられないから他のところに行こう。」
「ちょっと怖そうだな、、、。」
「あ、たばこ吸ってるから休憩中かな。」
数人のグループに分かれての突撃取材です。
ほかの会社から頼まれた部品を作っている工場。どんな部品か聞いてみると、色を見分ける機械だといいます。「小学3・4年生かぁ。難しいかもなぁ。」と言いつつも時間をかけてゆっくり説明をしてくださいました。また、別のグループが訪ねた工場でも、「冷暖房の空気を通す箱型の管を作っているけど、実際に作るところ見た方がいいよね。」と言って、明日平塚に持っていくという部品をその場で作ってみせてくださいました。
どちらの工場も5・60年くらい続いていて今は2代目とのこと。
昔と変わったことを聞いてみると、こちらも共通していることが多く、道具・材料がよくなっていることが変わったことであり、住宅地が多くなったことで工場がだいぶ減ってきたものの、残っている工場同士での付き合いは昔と変わらず密接であり、試作品をお互いに渡しあっているそうです。
機械の性能がよくなり、ロボットでもできることが増えたけれど、ここでは手作りでやっている。それを誇りに思っているというのが子どもたちが得た印象でした。
「ロボットの方がいいとは思っていないみたいだった。」
「人によってコツが違うんだって。」
「すごいトンカチが上手な人がいた!」
「いい仕事してますね!だ」
そういった方たちと接する中で、それぞれ多くの人と話したわけではありませんが、情報を共有することで見えてくる共通項がありました。
「大田区の人は優しい。」
以前、3年生はテーマ学習『ココドコ』のプレゼンで中野区の人は優しい人が多いと発言していました。同じ「優しい」なのか聞いてみると、ちょっと違うといいます。
大田区の人は、こっちから話したら仲良くなれる。
中野区の人は、勝手に話しかけてくれる。
事前に計画し、実際に歩いて「見る・話す・記録する」を繰り返し、事後に振り返りをする。中でも「話す」という行為は偶然性や未知の部分が多く、思わぬ発見へとつながっていきます。積極的に話せる子もいれば、そうでない子もいます。また、話しかけることはできても話をつなげられない場合もあり、「「話す」は面白いけど難しい」ということを実感しつつ、「次はもっとこうしてみよう」とそれぞれの「話し型」を磨いていきます。
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※TCS2016年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。