タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:「人権は自由、正義及び平和の基礎である。」
[5年生]
模造紙一枚にまとめてみて感じることは……とたずねてみると、2つのことを子どもたちは答えました。ひとつは、「人権」を侵害されることは自分の身にもふりかかる可能性があること。もうひとつは、自分だけでなく他者の「人権」を守ろうと意識して行動すれば、それが平和への近道ではないかということでした。
「逮捕されるって悪いことしたからとは限らないんだね」
警察に捕まるのは、悪いことをしたことがバレて捕まるものだと決めつけていた子どもたちでしたが、疑いがあるだけで、犯人扱いされ、取り調べもまともにされない危険性があることを知りました。自白を強要したりせず、裁判も公正に行われて初めて、人権が守られた裁きになります。しかし、実は、そんなあたりまえと思えることでさえ、守られない可能性は十分にあり得る……冤罪や不当逮捕は決してひとごとではない……そんな意識が子どもたちの心の中にわき始めました。
「人権が奪われそうになったらそれをみんなに知らせる必要があるよね。だから表現の自由は必要なんだよ」
不当逮捕されることをも想定して、だからこそ、私たちは何かあったときに、私たちの考えを自由に発信できないといけない。
「法律がおかしく使われることがあったらそれを正すために声を上げる必要があるもんね」
言いたいことが言えるという「人権」がすべての「人権」の基礎になっているということに彼らは気づきました。
「権力者が都合の悪いことをしようとするのを防ぐために、何をしているのか、何をしようとしているのか知る権利があるんだ」「そうそう。知ったら、そのことを表現して、みんなに知らせる必要があるんだよ」
でも、それは権力者の立場になったら、厄介なことです。だからこそ、いろいろな手を使って、私たちに知らせないように手を打ってくる。それはある意味当然のことでしょう。
「知りたいと思っていなかったり、知ろうとしなかったり、他のことを知らせたりして、うまくごまかすんじゃないかな」
さすが。権力者の手口はすぐにわかりますよね。相手の手に乗らないためには、私たちの意識が問われます。しかし、私たちの方が、なんとなく安楽に暮らせているんだからいいじゃんという感覚で、権力者の動きをウォッチしようとしません。
表現の自由があったとしても、その人権を受け取っているものが、真剣に知ろうとする努力を続けない限り、それは制限され、奪われてゆきます。メディアは、私たちの意識を目覚めさせるためにありますが、どうもメディア側も、私たち民衆側も、知らせよう、知ろうという努力を怠っているところに、私たちの抱える人権の危機があるように思えてきました。
「せっかく人権を手にしたのにねえ……」
「不断の努力」という言葉が重くのしかかってきました。手にしただけでなく、手にした宝物を自分のモノにし続けるためには、努力が必要です。しかし、権利は得たらもうおしまいという意識が蔓延していて、これでは他の国の人々のことまで頭が回るはずがありません。
「私たちの人権って、私の人権ということだし、あなたの人権ってことか」
「ぼくたちというのは世界のすべての人たちってとらえないといけないんだな」
「もし、すべての人の人権が満たされたら争わなくなるかなあ……」
「住むところを奪われる、信じたいことを信じる、っていうことと同時に、じゃあ自分の人権が満たされたとき相手の人権は満たされるかって考えたら、今よりはよくなりそうだけどね」
自分が自由で幸せ、相手も自由で幸せ。確かにこの条件が満たされない限り、争いはやまないでしょう。闘って相手をつぶそうとすればするほど、つぶされた相手の憎悪は増し、新たな戦いの芽となる。負の連鎖を永遠に断ち切れなくなる……
勝つことや征服することではまったく解決しない。なんでこんな単純な理屈が、国際政治となるとまかり通らなくなるのか。相手の人権を守る動きをつくりだす覚悟。遠回りに見えて一番の近道だとわかりそうなのに、それができない……
最後の最後にいたっても悩みは深まるばかり。しかし、この悩みを持ち続け、自分たちの手にしている「人権」をいかに守ろうとするか考えてゆくようになることが学びの目的だったのですから、目的は果たしたと言えます。
「終わりが始まりどころか、全然終わらないね」
こう言いながら、毎日のニュースや世界の動きをウォッチしないわけにはいかない、新たな目と認識に開かれた子どもたちがそこにいました。悩み続けること。しかし、自分なりの考えて、責任持って行動すること。その大事さに接近したテーマ学習になりました。
RI
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