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「Dear Editor」5年生 テーマ学習 〜レポート

 

 

【探究領域】意思表現
【セントラルアイディア】編集によって情報の価値は変わる。

<テーマ学習> 〜レポート

<あれもこれもどれも編集?>

テーマ初回の火曜日。始まるまでの雑談。「激怒してたよね。」とあるスタッフが話題にあがっていました。(実際には激怒してなかったのですが)

なぜ、そのように断言できたのでしょうか。彼らの思考過程は、こうでした。

・2階では1−4年生がミラハイ(*)に向けた合唱練習をすることになっていた
(*ミラクル・ハイパーステージ(MHS)…TCSスクールコンサート)

・5年生は3階でダンス練習を定時で終えてワークゾーンへ移動

・2階に降りると練習時間は終わっているのに車座になって全員が座っている

・その中で一人スタッフは手を組んで正座している

・何か問題が発生して練習どころではなくなってしまったのではないか

雑談の中で、すでにテーマ学習が始まっていたわけであります。今回の学習を通して獲得していきたい概念(セントラルアイディア)は、

「編集によって情報の価値は変わる。」ということ。

私たちは、いつでも編集して情報を得ています。編集によって、事実ではなくなってしまうことも。

「勝手に決めつけちゃってた。」

新たな情報を得ることで、編集は更新されていきます。続けて、よくある編集場面をもうひとつ紹介。

・低学年のMちゃんが泣いていた

・スタッフが見つけて理由を聞くと「Tちゃんに叩かれた」と

「あー、これよくある。」

「でも、叩いた方が本当に悪いかどうかはこれだけじゃわからないよね。」

「相手にも聞いてみないと。」

先ほどの決めつけからは一転した見方をしてきます。

・Tちゃんに聞いたら「Mちゃんに叩かれたから」と言う

・Mちゃんは、Tちゃんに嫌なこと言われてムカついて叩いてしまったとのこと

「あー、やっぱりね。あるあるだ。」

「Mちゃんは嘘ついているわけじゃないけど、自分は悪くないって言いたいんだよね。」

「私ってかわいそうみたいな。私もそうだったからよくわかる。」

「でも、低学年だから自然に出ちゃったんだよ。」

「そうそう、3・4年くらいになると計算して言う場合もある。」

なんと、そんなふうに考えるなんて。こわいな。

悪気なく、けれども、相手を悪くしてしまう。編集によって価値が変えられてしまっています。

では、いったい「価値」とは何なのか。

「必要な情報には価値があるってこと?」

「ものの見方ってことかな?情報でその人の印象が変わるから。」

なかなかほかの言葉に置き換えるのが難しい。なんとなくわかった感じになっていて捉えどころがない言葉であります。

編集によって価値を変えていく。

これが今回のミッションでもあります。

「やったー!文集でしか作文読めないけど、できる前にほかの子の作文をたくさん読めてうれしい。」

「Dear Editor」といえば文集。そんなイメージが子どもたちにはあるようです。では、編集=文集って思っているのでしょうか。編集に対するイメージも聞いてみます。

「漫画家と編集者の関係もあるから、漫画も編集されている。」

「動画編集もある。ユーチューバーは編集してる。自分でやる人もいれば、編集者がいるときもある。」

「写真も編集してる。加工、トリミング、コントラスト、スタンプつけたりもする。」

iPadで撮った写真をベースにアレンジすることに慣れているだけに、写真の例はいちばんしっくり。元の写真がどんどん変わってしまうことに対しては、「こうしたい!って思うように作れば、元が変わってもいい。」といいます。

意識的に「こうしたい」と思って行うのも編集。無意識に「こうありたい」と思って行うのも編集です。

同じものを見たときに自分たちがどの部分をトリミングして、どう解釈するのか実験してみることに。ちょうど授業参観weekであったので、自分たちも参観者になって感想を書いてみました。

 

「意見が活発、近くで意見交換、楽しそう。一方で、話を聞いていない、集中してない。」子どもたちへのGood&Betterを見ている視点。

「汚い水なら飲むの心配」と一参加者となる視点。

授業全体の進め方を見て「その環境を作り出しているスタッフさんもすごい」という視点。

 

保護者のような視点になってみたという遊びもありつつ、書いていることには共通点はあっても選ぶ言葉はそれぞれ。誰もが「編集」していることがうかがえます。見たもののを一言でまとめてみると、

「水飲み比べて楽しそう。でも一体感もあるといいね。」となりました。

彼らの中に、授業が楽しいのはいいことでも、勝手にばらばらやっていること、話を聞いていないことに物言いしたいという「価値」が見え隠れします。

しかも、これは10分間見ただけ。授業自体も切り取って見ています。一部だけ見て一体感があるかないかは断言できません。

「こうありたい」気持ちが編集作業を動かしていること、その気持ちや編集のあり方も人それぞれであることを感じた実験でありました。

編集という行為について、先行研究にも触れました。参考にしたのは、松岡正剛氏の『知の編集工学』。「編集はどこにでもある」の一節を読んでいきました。

 

「ニュースや記事をナマのままだとおもってはいけない。事実そのものではない。そこには編集が加わっている。」

「客観的事実をそのまま伝えるなんて、しょせん不可能なものだ。そこが逆に各紙の腕のみせどころにもなってくる。」

ニュース報道や商品広告の場での編集を例にあげられてた上で、その〈編集力〉はいろいろなところに潜在しているといいます。

「「トンネル事故」だったら、あー事故があったんだー、大変だったねって感じ。」

「「トンネルで惨事」だと、やばい!ぐちゃぐちゃになっちゃった?カオス?どうなったの?って気になる。」

「テレビだったら、CM挟みそう。」

「「首相、苦悩の決断」は、悩んで決めたこと、やっと決めたから、いいことじゃないけど、決められたことは明るくて、でも暗いニュースってイメージ。」

「「首相、ついに決断」の方は、時間が見える?結構かかったのかな?いいことにも聞こえる。ついに決めたぞ!って感じ。」

伝える側も編集していれば、受け取る方も編集しています。実際に、初日のスタッフ激怒の真相は事実ではなかったわけですし、3・4年生に求める一体感もないわけではありません。ただ、伝え方次第でどう受け取るかを変えることはできます。

編集によって価値は変わる。

点々とある認識がどうつながっていくのか、期待ふくらむスタートとなりました。

<編集ってどうやるの?>

さぁ、いよいよ意識的に編集をしていきます。素材はクリエイティブ作文。子どもたちが「書く」の時間に取り組んでいる作文です。全キッズに今年度作った作品から1つ選んでエントリーしてもらいました。その中から厳選し、編集を通して磨き上げ、1冊の文集をつくりあげていきます。ミッションは、編集によって価値を変えていくこと。もちろん、目指すは価値を高める方の「変える」であります。

エントリーされた50作品をすべて読まないことには始まりません。読み進めていくのと同時に、どんな文集にしたいかを考えていきます。それによって、選ぶ基準も変わってきます。

「作品の世界に一緒にいける物語を選びたい。」

「続きが気になるくらい、その世界に惹き込まれる、楽しめる文集にしたい。」

「菜波の作品は、ふつうに考えたら面白くないけど、アニメっぽく考えると面白い。感動系を書きたかったのかなって感じ。」

書きたかったのかなということは、書ききれてはいないということ。これは編集のしがいがありそうです。

「何が起きているのかわからないのはつまらないけど、何が起きるのかわからない、予想外な展開になるのは面白い。」

「自分で消化して終われるのがいい。」

「次どうなるって、続きが気になるから、どんどん読みたくなる。」

「自分だったら絶対しないようなキャラクターが出てくるのは面白い。」

面白さのポイントは、自分の想像を超える「予想外」とのこと。繰り返し読みたい、続きを妄想して楽しむなど、じっくり味わうことができる物語を選びたい。そういった気持ちが見えてきました。

自分たちと同じような気分を味わってもらいたい。編集者自身が魅力を感じた作品を集めた文集にしていく方向になっていきました。編集作業の中心は「推敲」になります。作品へのLove、推しの強さが、よりいいものにするために敲き、練り上げていく上での原動力になります。

この話とっても面白い!この作品のよさを多くの人に届けたい。でも、わからないところもあるから、もっとよくしたい。だから、担当編集者になりたい。そんな思いが湧いてきているのかな?と思い、ほぼすべてに目を通せたところで、編集希望の作品を聞いてみると即座に挙手する子が。どのくらいの思いがあるのか、その場で1分間スピーチをしてもらいました。

   

すごい熱いぞ。こんな思いをもっているならば、それを考慮しないわけにはいかなくなってしまいました。推敲に欠かせないのは、作家と編集者との「対話」です。相手がどんなことを考えているのか、こちらの考えをどう伝えたらいいのか、その意思表現の仕方を試行錯誤していきます。どんな組み合わせがいい学びにつながるのかを考えた上で、担当編集者を決定いたしました。

(担当表)
 

編集委員たちが選んだ7作品に編集長権限で3作品を加え、文集に載せる9作品が決まりました。

早速、作家さんに挨拶です。

これからのやりとり、相手は他学年。テーマの時間にはできません。自分で時間とタイミングを見つけて声をかけていきます。作家さんたちに、彼らの第一声がどんなふうに届いたのかスタッフが調査してみると、

「文集に選ばれたと思うんだけど、今回の編集者は私だよ、よろしくお願いします。って言ってた。」

「昨日、選んだとか。なんとか言ってたけど、よく覚えてない。」

「ナレーションがなんとかかんとか。やるねっていってた。編集って何のこと?」

「よろしくお願いします。それでいなくなった。」

おやおや。あの熱いスピーチはどこへやら。あの意気込みや思いが作家さん自身には伝わっていないことを伝えました。

「そんなふうには言ってないんだけど。」

「そう伝わってるんだ・・・。」

聞いたことをそのまま覚えていることの方が難しいもの。伝えた言葉そのものは無意識的な編集によって変わってしまいます。心に残るのは、どう伝わったのかであることがわかります。

「編集っていったい何をどうすればいいの?」

「どこをどう直したらいいかわからない。」

いざ、原文を目の前にすると、どこから手をつけていいかわからないといった疑問が出てきました。

まずは音読してみるところからスタート。いいところと違和感があるところを見つけていきました。

また、実際の編集者はどうしているのか、編集を生業にしている人が何をどうしているのか、今回は、2人の達人から学ぶことにしました。

ひとりは、幻冬舎の石原正康さん。「プロフェッショナル 仕事の流儀」を視聴。

そして、イシス編集学校 学林局 局長の佐々木千佳さんをスクールにお招きして、編集の捉え方についてお話を伺いました。

 
石原さんの仕事ぶりを視聴して印象に残ったことは「思い」の部分でした。

・直した方がいいところよりも、いい作品であること、いい部分をどんどん伝えていく

・この作品が好きだという思いを全身全霊で伝える

・自分から作家との関係をつくっていく

作家はときに自信をなくしてしまう。変えた方がいいことばかりを言われ自分のよさが見えなくなり書く気力がなくなってしまうなら、自分の担当作家さんたちはなおさら。スピーチで語った「よさ」をもっとストレートに伝えていかなくては。


佐々木さんは、現場の編集者ではなく、「編集」を広めている仕事をしていらっしゃいます。

コップという「もの」もひとつの情報。見方を変えるともっと編集できる。食器、飲み物入れ、ガラスの入れ物、ゴミ箱にあれば廃棄物。

情報がひらかれることで見方が変わり、そうした情報は「連想」によって生み出されるといいます。2つの「もの」を物語によって動かしてみるワークを2種類体験させてもらいました。

「侍」と水に浮いた「板」。それぞれの連想によって、みんな違う物語が生まれてきました。

2人の登場人物を決め、6つの枠に交互に人物を動かしていく、ショートストーリーづくりでは、できあがった物語に佐々木さんがひとつずつコメントしていきます。

【木と土が登場人物】どちらも感情をもってなさそうなのに、感情の関係性が面白い。共存関係にあって、林の中にという設定で私たちのことに思える。

【ハサミとカッターが登場人物】刃物ではなく、ことばの切れ味のよさが表現されている。人間がからんでなくて面白い。

今までに見たことのない世界をつくることに価値があり、どういった価値になっているのかという視点で感想を伝えてくださっていました。

質疑応答の時間では、日頃の悩みが中心に。

「担当作家とはいつもは話さなくて。だから話が進まない。どうしたらいいですか。」

その人の物語をどうしてあげたいってありますか?

「話の展開がすぐ終わっちゃってるから、細かくゆっくりにしたら面白くなるんじゃないかな。どきっとさせたいところがある。」

今日のワークみたいに、型があるといいかもしれない。相談シートみたいな用紙を見せながら自分の思いを伝えてもいいのでは?


「どこをいい感じにすれば、物語がよくなるのかわからなくて。」

作家さん自身が好きなところ、こだわっているところはどこか。そこを足場にして、膨らませるところ、削れるところが決められるといいですよね。


「こだわりの強い1年生がいて。「もっとスピードでなイの?」ってカタカナ表記にこだわっていて。でもそれは物語には関係なくて。」

それ自体をワールドモデルにしてしまうのはどうでしょうか。そういう話し言葉のキャラクターという設定にしてしまう。みんなに読めるようにするより、みんなに伝わるようになればいい。

「もの」が情報となり、情報と情報の関係が変わることが編集。つまり、単に「直す」ことが編集ではないということ。なんとも奥が深い。

ふりかえりでは、次のような発言が出てきました。

Rさん:ワールドモデルってそこで通用している言葉にしちゃうって設定って意外。

Kくん:直すじゃなくて、ふくらませるとか加える視点はなかった。

Tさん:コップはコップとして思ってなかったけど、見方を変えるといろんな言い方ができるって意外だった。

Sさん:2人しか登場しないのに6コマしかないのに無数の展開が考えられる。

Yくん:これからの編集でも、連想していけば、いろいろ広がるって思った。「どうしたい?」だと黙っちゃうけど、「どうなるかな?」「この登場人物ならどうする?」って連想で聞いてみると話してくれるかも。

Dくん:連想ってストーリーの順番が変にならなそうって思った。

Mさん:墾の作品はナレーターがないからわかりにくくなってるけど、5つの要素を使うと話しやすいかも。

子どもたちの中で、「どう直していいか」という見方に変化が表れたようです。

一度作文から離れて、例文で編集練習をしてみると、その変化がはっきりと見えてきました。


「〜のように」という表現を使うことでわかりにくくなっている3つの文。

どうすれば、より読者にわかりやすくなるのか考えてみました。すると、1つ目の例文ではいくつもの案が出てきました。

真美は、走って部屋を出た。

真美は、急いで部屋を出た。

真美は、せかせかと足を早めて部屋を出た。

真美は、超特急で部屋を出た。

「走る」だけに限らず連想された言葉を出しているのが大きな変化でした。こうした提案が作家にできれば、作家の連想もふくらみそうです。

また、作家との関係づくりへの努力にも成果が見えてきた様子。

「毎日挨拶してる。向こうから話しかけてくれるようになった。」

「こういうのはどうかなって、きてくれた。」

「フリーだから声かけると、最初嫌そうだったけど、今は嫌がらずに楽しそうにしてくれてる。」

「お昼に近くに行こうとしたら、隣はいつも埋まってる。後ろで食べててストーカーぽいけど、編集のときは話してくれるようになった。」

実際に作家の声を聞いてみると、編集者の作品を推している思い、一緒に推敲していきたい思いが伝わってきた感があります。

「俺のクリエイティビティがみんなに伝わるって面白い。」

「言い方が私にとってわかりやすい。これでいい?って聞いて巻き込んでくれてる。」

「自分がお気に入りの部分をほめてくれてうれしかった。」

「最初は表情が普通だったけど、ときにつれてやさしくなった。やわらかい表情になってポジティブになった感じ。」

新たな情報を盛り込み見方を変える。作家から「こうしたい」と新たな文章へとつくり変わっていくときのうれしさは一入です。

編集作業が、「直す」から「推敲」へと質が上がっていっています。残された時間の中で、どれだけ対話できるか。終わりがないだけに、ますます自分の行動が問われてきます。


<推敲だけが編集じゃない>

一方、編集会議では文集の目次とタイトルを決めていきます。9つの物語をどの順番にするかで、編集者の思いを込めることができます。


「やっぱり、最後は結夏がいい。この後どうなるの?って余韻が楽しめる。」

「そうそう、次の物語に行かれちゃうと、そこで切れちゃう。」

「Aさん の物語でほんわかして終わるのもいいと思う。」

ここはどんな文集にしたいかに立ち戻ります。

繰り返し読みたいってなるには?

日頃、本を読んでない人に空想の世界を楽しんでもらうにはどの物語から読んだらいいか?

「最初はAさんかな。1年生でこんなすごいこと考えられるんだって驚きがある。」

「ほかの物語も読んでみたいってきっかけになる。」

「次は、周子より強めの期待を裏切る感じの響。」

「間にふわっとほのぼのした、ひなたの物語がいい。」

「味変で現実味がある、菜波の誘拐話がいい。」

とんとんと進んでいったものの、ここで行き詰まり。

最後をどの物語にするかも2案出たまま平行線です。

「期待を裏切る」「ふわっとほのぼの」「味変」などの発言から、小見出しを立てて何章かに分けてみる方法を提案してみました。

やはり見方が変わると変わってきます。

「最後は、日常の中に物語の世界を入れて欲しい。物語は続くよどこまでもって感じ。そうすると結夏の物語がいい。」


「こういうのって、アレに似てる。」TCS本棚にある、仕切りに書かれた言葉。

いくつかの作品を組み合わせて考えていくと、順番が決まり、それに合わせた小見出しをつくっていきました。

さぁ、あとは文集のタイトル。これらを総称する言葉をつくりだします。どんな物語の集まりなのか、どんな思いを込めるのか、連想しながら思いつくことを出していきたいところではありますが、いい案を出そうとしているのか、なかなか意見が出てきません。

沈黙の中、出るのは呟きの独り言や隣への囁き。所々でそれが始まり、全体としての流れは停止してしまいます。ここに「話し合い下手」の要素があるようです。

ふふっとひとり笑い。どうしたの?と聞いても「いや何でもない。」の返事。

思いついたことはみんなに聞こえるように発言することを促しました。

連想から新しいものが生まれるって達人が言うのだから信じてまずはやってみる。

何でもないと言わずに、笑った理由を聞いてみると、

「奇想天外って言葉が使えないか考えてたら、奇を「こ」にしたら「こそうてんがい」って変だなって笑った。」とのこと。連想しているではないですか。

奇想→予想外→夢の世界→自分の頭の中→人の頭の中に行って帰る→頭の中が増えていく→・・・・

タイトルは決まっていくのでしょうか。

そして、プレゼン内容を決めることも、編集作業のひとつであります。

「明日天気になーれ!」では5年生だけで構成を考え披露していました。今回のプレゼンは、どのように進めていくのか、彼らだけで話し合いを進めてもらいました。

「目的はどうする?」

「そうだ、目的決めたよね。思い出してきた。」

「文集の宣伝はおかしいよね。」

「自分たちのやってきたことを認めてもらって読みたいと思ってほしい。」

「目的は、読みたいって思ってもらうだね。」

「担当作家のラブ語るベェはいれたい。」

「前回は、雲へのラブが足りなかったんだよね。」

「今回の文集は9こだけ選ばれたって言わないと。」

「うちらがつくりたい文集を言って、それにあった9作品を選んだって。」


「個の尊厳」のときのように、ファシリテーター役を決めて進めています。これまでの学びを振り返りながら、思ったことを出し合って「話し合い」ができていて、成長を感じます。こうやって力がついていくのですね。

どんなプレゼンになるのでしょうか。楽しみです。


<プレゼン&ふりかえり>

どう話せばいいかにこだわってしまうと、何が正しい話し方なのかを探って、言葉が出なくなってしまいます。すると、自信が持てなくなり、自然と視点が下へ。全体的になんだか暗い雰囲気に。練習中は、そんな悪循環に陥っていました。

プレゼンで伝えたいのは、作品そのものとそれらが合わさった文集へのLOVEであります。うまい説明より、熱量を伝えることに重きをおきました。正解や正確性を追求する必要はなく、思ったことを口にするのがいちばん。噛み噛みになってしまうことを恐れる彼らに、そこは問題ではないこと、自分の言葉になっていれば、思いは自然と聞き手に伝わるものだと伝えました。

 

 

スライドづくりでも、編集は欠かせません。

「前、カズさんから話すことは書かなくていいって言われたから、プレゼンテーションっていうのはいらないか。」

「文字は少ない方がいいんだよね。」

前回のアドバイスを思い出すと同時に、1枚のスライドを初めて見た人はどう思うか、見る人の視点で磨いていきます。

作品名、作家、担当編集者、推敲している様子、すべてを1枚に入れるのは詰め込みすぎです。話す内容も入れたら、情報が多すぎて見聞きしている人には不親切。いちばん伝えたいことに絞っていきました。

そして、色。「サインを受信せよ!」で色に込められたメッセージは学習しています。何も考えずに無意識で選んでいたというので、どの色がいいのか考えて変更していきました。

本番は、ご覧の通り。オーディエンスからは、「読んでみたくなった。」「楽しそうに語っていたのが印象的で、」「その作品が好きという気持ちが伝わった。」「それぞれの作品を紹介するみんなが、まさに推しって感じなのがよかった。」などなど、大好評でした。象徴的だったのは、ある1年生のリフレクションシートに、「寛太、いい声だった。みんないい声です。」と書かれていたことでした。冒頭から端切れのよい、明るい感じに始まり、その雰囲気が次々に引き継がれていった様子がこのコメントから窺えます。何を言っているかはよくわからなくても、「いい声」で話していることは伝わったということでしょう。嬉しい褒め言葉です。これらのコメントを受け止め、改めて気持ちを伝える大切さを実感し、成功体験を得ることができました。ふりかえり時、5年生たちの満足感のある笑顔がなんとも印象的でした。本番でやりきる力には感服です。さらにパワーアップしたことで今後に活かせていくことでしょう。


6年生から「みんなの編集はものごとをよくする方だったけど、編集がものごとを悪くすることはありますか?」という質問が書かれたものがありました。これは、まさにセントラルアイディア「編集によって情報の価値は変わる。」に迫る問いであります。

「あるある。写真とか加工のしすぎは別人になって、実際に見たときに幻滅しちゃう。これって、自分の価値を下げてる。」

「写真そのものの価値は上がってるかもしれないけど、編集した人の価値は下がってるよね。」

「やりすぎじゃなくても、みんなと写っている写真で自分だけ編集する人っているでしょ、あれって、編集によって自分の価値を上げて、他の人の価値を下げようとしてると思う。」

「でも、そういう人って性格悪って思うから、価値は下がってる。」

「作文の編集でも、作家の思いが入っていなかったり、イシスの佐々木さんがいっていた本人の作文力の範囲を超えてしまうことをしたら、作文を悪くしていると思う。」

編集によって、情報は良くも悪くも価値を変えることができる。だからこそ、作家の思いを引き出せたときに嬉しくなれた。学びの成果を感じられる発言だったと思います。

6週間は経ちましたが、編集作業は、まだ終わっていません。推敲のあとの校正へと続いていきます。

卒業式の日に文集が配布できるよう、編集者のみなさんは、もうひとがんばりです。

 

AN


(参考) TCSテーマ学習について、以下よりご覧ください。
2022年度 年間プログラム(PDF)運用版
テーマ学習一覧表(実施内容)

 

 

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