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「東京発見伝」3年生テーマ学習リポート1

【学年】3年生
【探究領域】時空因縁
【セントラルアイディア】歴史の痕跡の発見は、時代の変化を洞察する旅に私たちを導く。

<テーマ学習レポート>
G3テーマ学習「東京発見伝」: introduction

今回のテーマ学習では「歴史の痕跡」を見つけ出し、「時代の変化」を感じ取ります。

舞台は「江戸湊エリア」現在の築地周辺の地域で、江戸時代に築かれた場所。2020年に向けて最もホットな場所である、「築地〜佃島〜晴海〜豊洲」の四つの地域を巡り、東京に隠された歴史を目の当たりにすることでしょう。

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<テーマ学習レポート>
G3テーマ学習「東京発見伝」: 東京にあるもの、ないものってなんだろう?

東京発見伝では、まず、東京にあるもの、そしてないものに対して仮説を立てます。

そして今回はYチャートを使い、上の欄には、「東京の地図」を書きました。

東京駅は真ん中。ただ、さすが元埼玉県民ということもあって、埼玉の位置は完璧です。

あるものも、ビルや遊園地ということで、人工物、

逆に東京にないもの、というとダムや山、海、森などが浮かんで来ました。

やはり動物が気になってしまうかな?

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<テーマ学習レポート>
G3テーマ学習「東京発見伝」:

江戸湊フィールドワーク〜築地本願寺に行こう〜

今回のセントラルアイディアは、「歴史の痕跡の発見は、時代の変化を洞察する旅に私たちを導く。」です。舞台は江戸湊エリア。築地を出発して、まずは築地本願寺に「歴史の痕跡」を探しに参ります。

築地本願寺で昼食を取ろうと、ベンチを探すと、その周りには、たくさんの石碑とお墓がありました!いきなり「歴史の痕跡」を大量ゲットしました。

まずは、森孫右衛門の供養塔です。この築地一帯にある「佃島」を築いた人で、日本橋の魚河岸を始めた人でもあると書いてありました。徳川家康、秀忠の時代に生きていた人です。いきなりその地域を作った人の供養塔に出会ってしまいました!

お次は、間真六の供養塔。赤穂浪士として、吉良邸に討ち入りした人の一人です。これもまた有名な人の供養塔でした。

そしてさらに、大きい歌碑がありました。歌碑には、九條武子という名前とともに

おおいなる
もののちからに
ひかれゆく
わがあしもとの
おぼつかなしや

という歌が刻まれていました。ここまで大きい歌碑があるとなると、かなり偉大な方のものなのではないかと推測…。

なにやら大きい像があるぞ! そこには、築地本願寺の浄土真宗の開祖、親鸞の像がありました。

本日のメインイベント。築地本願寺へとお参りをします。

築地本願寺のいたるところに彫刻が飾られています。ある柱には、玄武、青龍、朱雀、白虎の四方位の守り神、馬や象、猿などの彫像などもありました。

浄土真宗の御本尊は「阿弥陀如来」です。脇には親鸞の絵、そして親鸞が憧れを持っていた「聖徳太子」の絵が飾られています。

「あそこに絵があるね!」と言っていると、先ほどの方が、「特別にお坊さんしか入れないところにある鐘を見せてあげよう」と特別にいつもは見ることのできないものを見せていただけました!

実は、一番気になったのはこの建物。

キッズは「本当にこれお寺なの?」「お城みたいだよ」と、確かにひとめではお寺というふうには答えにくいなんとも立派な作りをしているのです。

伺って見ると、「関東大震災で元々のお寺は焼けてしまったのですが、そのときに助けた人たちの寄付が集まってこの建物ができました。1934年に現在の建物が完成したんです」とご丁寧に教えていただきました。建築家の方は伊東忠太さんという方で、「教会」の建築も手がけたことがあるそうです。

実は築地本願寺には「パイプオルガン」があったりして演奏会もなされているそう。なんとも不思議な感覚です。
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(2) 〜佃煮をめぐる冒険〜

江戸湊エリア、今回は築地駅を出発して、目指すは佃島の佃煮を食べたい! ということでフィールドワークに出かけました。

前回のフィールドワークで散策した築地本願寺の前からスタートです。通りをまっすぐ行けば、「築地市場」がある!ということで、築地市場を目指して歩きます。

外部市場にはたくさんの商店が。お魚や鰹節、いろいろな食べ物が安く売られていて、外国人観光客も目立ちます。

歩いていると、お寺に出会いました!ここも、「浄土真宗」と書いてあり、築地本願寺と同じ宗派だということに気づきました。

さらに奥まで進むと、「卵焼き」が!築地市場と言ったら卵焼き。早速卵焼きを食べます!ひんやりしていて、甘くって美味しい!卵焼きには鰹出汁が入っていました。

さて、今回は佃煮をゲットする旅。築地には佃煮はあるのかな?ということで、お店で客引きをして入るおじさんに聞いてみました。

「あっちのほうにある、菊屋さんだよ!」親切に教えていただき、探しに行きました。

ちょっと迷ってしまいましたが、なんとか到着! 一番のおすすめ、「マグロの佃煮」を試食させてもらって、マグロの佃煮を購入!購入したら、築地市場へ!

何かを出している人がいたので、何か、質問してみることに!

「お仕事中すみません、これは何を出しているんですか?」
「これはね、氷だよ」
お塩かな、と思っていたら氷でした!

触ってみたら薄くなってる!ということで、ちょうど暑かったのでみんな帽子の中に氷を入れていました。(笑)

道を歩いて入ると、「水神社」が! ここは交通安全、大漁を祈願した神社で、築地市場の真ん中にある神社でした。お参りを済ませて、築地市場の内部に潜入!

市場へと入っていくと、吉野家の「なりたち」の説明があります。これも「歴史の痕跡だー!」と興奮してみんなで読んで行きました。吉野家の牛丼は初めは漁師さんのために出されていたんですね〜

築地市場内部はもう、せりなども終わって片付けの様子でした。排気ガスが多くて、気持ち悪くなる子がいたので、すぐに出て、「佃島」を目指します!

勝鬨橋を目指して歩いていくと、「かちどきのわたし」の碑がありました!これも歴史の痕跡だ!ということで、読んでいくと、元々は、橋ではなく、渡し船があったところで、「勝どき」は日露戦争に勝ったことをお祝いして「勝鬨のわたし」と名前を変えたそうです。

少々のお昼タイムを経て、「勝鬨橋」を渡って佃島へ!

勝鬨橋は跳ね橋なので、その中間地点は柱がなく繋がっていません。ということは大きい車が来たらゆらゆら揺れます。。

勝鬨橋をわたったら佃島に到着!月島川にかかる「西仲橋」の杭が、ベンチに再利用されていました!これもまた、歴史の痕跡です。


月島もんじゃすとりーとを歩いて入ると、柳通りのようだね〜と柳を見つけてつぶやく姿があったり、あの細い道面白そうだからいってみよう!ということで、横道に逸れたり、色々な道を行きました。

さて、月島駅についたとき、そろそろ「佃島の佃煮を買おうよ!」という声が。

「あれ、あそこに不動産屋さんがあるから、聞いてみようか!」という真彩の提案に、「確かにそれはいいかもしれない!」とみんなで納得して、聞きに言ってみることに。不動産屋さんの優しいお兄さんが、マップをくれて、それを手掛かりに佃煮屋さんを目指します。

地図を見ながらさまよって、途中で工事のおじさんに質問したり、フィールドワークを楽しみながら、無事、目的の佃煮屋さんに!今回の佃煮屋さんは創業天保8年、元祖佃煮やさんの天安に到着です!「じゃこ」と「こんぶ」の佃煮を無事GETして、ミッションコンプリート!

明日お茶漬けにして食べるぞ〜!

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(3) 〜今話題の市場を目指せ!〜
江戸湊フィールドワーク、第三弾は最終目的地、「豊洲市場予定地」を目指します!

今回の出発地は佃島の真ん中にある、勝どき駅です!

道を歩いていると、なにやら古そうなそば屋さんがありました。近づいてよーく見てみると、「創業明治四十二年」とありました!歴史の痕跡、一つ目の発見です!

さらにそこから歩いて行くと、勝どきには古めかしい家がリフォームされて、おしゃれな料理屋さんやバーになっていました。メロンパンやもありましたが、まだ時間が早く、開店していませんでした。

「あ、あの寿司屋も古そう!」ということで近寄ってみたところ、確かに古そう。でも、お店自体は新築工事されてしまうようでした。このお店も新しくなるので、どのような建物になるのか、楽しみなところです。

さらにそこから歩いて行くと、これは古そう!という家が。子どもたちが、なにやらポスターを貼っていたおじさんとおばさんにインタビューしてみたところ、なんと、90年も昔からここにある家だということがわかりました。木造の家屋は東京でもあまり目にすることがありませんが、こんなところにも、歴史の痕跡は残されていました。

「あ!あれも歴史の痕跡じゃない!?」ということで、いつもの「歴史説明板」です。なんと、勝どき、佃島にある東陽院というお寺には、「十返舎一九」のお墓があったのです!「東海道中膝栗毛」は歴史の教科書にも出てきますが、東海道を旅する旅人の旅行記を書いた作者でした。もともとは、浅草にあった東陽院を関東大震災の後に、築地にうつしてきたとのことでした。

そういえば築地本願寺も浅草からうつしてきたので、結構築地には関東大震災や大火のあとに、お寺をうつしてくることが多いんでしょうね。

その隣には、「防災まなぶ不動明王像」がありました。佃島、勝どきのマンション火災で決死の人命救助をし、殉職された佐藤学さんの鎮魂のために、火災が起きぬようにということで建てられた像です。

晴海にむかって歩いていきます。そうすると立派な「オリンピックロード」が建設されていました。道路もガラスで囲われていて近未来的です。

晴海と佃島のあいだの橋で一休み。お昼を食べたら晴海に上陸です!

晴海にわたると、とんがった屋根が目に入りました。そしてあたり一面は工事車両ばかり。大きなダンプカーが走っていたり、たくさんのクレーンがあったり、工事ばかりされています。

あれはなんだ!? 近くに寄って見てみると「晴海旅客ターミナル」と書いてありました。船に乗るためのターミナル、つまり駅だったのです。ただ、この日はなにか客船とは違う船が止まっていました。

工事のおじさんが教えてくれたのは、「あそこに、ニュージーランドのイージス艦がとまっているよ!」 え!なぜこんなところに軍艦が!?しかもニュージーランドの?

ニュージーランドのイージス艦の奥には日本の護衛艦「たかなみ」が停泊していました。軍艦が二隻も停泊していて少し雰囲気は暗くありました。

さて、海の向こうに見えた「豊洲市場」を目指して、晴海ターミナルを離れます。そうすると大きな立て看板に「選手村建設地」と書いてありました。オリンピックの選手村はこの晴海の地域にできるんですね!

長〜い、豊洲大橋を渡って、晴海から豊洲へと向かいます。

晴海では新しい建物が多かったのですが、豊洲大橋から下を見ると、草が生い茂っていて全く手入れがされていませんでした。

川の向こうに見えるのは、オリンピックロードの橋。豊洲市場まで向かう橋でした。一瞬渡ろうとしましたが、警備員の肩にバツじるしを出されてしまいました。。

川を渡るとすぐ豊洲市場!青果市場も魚市場もどちらもまだ使われていませんでしたが、工事は着々と進んでいます。今後の築地市場から豊洲市場移転問題はどのようになっていくのか!

「歴史の痕跡よりも、未来のものが多いね!」というキッズの感想とともに、無事ゴールの豊洲までたどり着くことができました。

この日は長い距離を歩いたので、キッズ達もお疲れ模様でした〜。

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