タイトル:個の尊厳
探究領域:自主自律
セントラルアイディア: 私たちは私たちのために生きている
[5・6年生]
「おっちゃん、書きかえるからもう一枚年表ちょうだい」
これから25年をどう生きるかという「人生楽ありゃ苦もあるさ年表」を何度も書き直し、アップデートして、自分がどう生きたいかを真剣に考え続けている子どもたち。
ただなりたい、こうなったらいいな、という夢や願望のとどまらず、そこに立ちはだかる「自分の弱み」という最大の敵であり、同志である存在とどう共存してゆくかまで考えるようになってきました。
こうして25年を歩んだ自分になりきると、そこにシナリオがなくても自然に会話が生まれてしまいます。
「やあ久しぶり」
「おれ今、◯◯してるんだ」
「へえ、おれは△△だよ。でもねえ苦労してることもあってさあ」
なかなか面白い、リアリティのあるやりとりです。ただ、なんとなく物足りない。
「ここまで歩んできたプロセスが見えないんだよねえ」
子どもたちに「難題」をふっかけます。もちろん、困らせるためでも、自分の考えを押しつけるためでもありません。どうなったかの結果と、その途中に成功した、失敗したという事実の「点」は語れているだけで、その「点」にどのように至り、そして 25 年後の今から先、どう歩んでゆこうとするのかが浮かび上がってこないのがもったいないなと感じたのです。
そんなの子どもに要求するのは無理でしょ。そもそも大人だって、これから5年後の未来を想像してみよと言われて苦労するのに……と考えるかもしれません。
しかし、25年後の未来をああでもない、こうでもないと考えることに没入している彼らには、あともう一息の「挑発」が、さらに深く考えるきっかけとなるのです。
そこで、さらにブレークダウンした問いかけをします。
「自分の弱点を乗り越えるほどの情熱で続けられたのは、どんなプロセスがそこにあったからかな?」
すると、ちょっと困難にぶつかると逃げごしになりがちな男の子が
「やっぱりさあ、好奇心がスターなんだよね」
なるほど、まずは、とにもかくにも、面白そう!と飛びつく心がないと始まらないのは確かだ。でも、好奇心だけだと、飽きたり、つらくてやめたくなったりしないか……と問いかけると、別の男の子がぽつりと、
「欲望かな……」
「ぼくの場合は、やっぱりお金を稼ぎたいなという欲望が強いんだよね」
うん、素直でよろしい!お金のためなら続く……生活のためならやめられない……そういう側面はあるだろう。好奇心がスタートで、それが自分のなんらかの「欲望」とつながると続くというのですね。
「でも、それだと疲れちゃうんじゃないかな」
おお、別の子がカットインしてきました。
好奇心→欲望
だけだと「無理」が出てくるんじゃないかという至極真っ当な指摘。
では、疲れにつながらない「無理」ってあるかな?とさらに考えを進めてゆくと、
「もう面白くってたまらなくて、自分の人生のテーマになっているときだよ」
おお、面白いねえ。
「あのね、カレー食べたいなってつくってみるのが好奇心の段階。次に、いろんなカレーが食べたいってあれこれつくってみるのが欲望の段階。でね、カレー博士になってね、オリジナルレシピをつくらないといられないとなったら他者からみると無理に見えても、本人は全然大丈夫なんだよ」
カレーのたとえ話、うまいし、わかりやすいね。
そうか、プロセスを考えることってちょっとわかってきたかも……自分が25年後に実現している状態に至るまで、どこでどんな好奇心を抱き、どんな欲望を持ちながら、単なる欲望を超えて自分の人生の目標にしていったか、具体的にイメージすることなんだな。だったらアイデア浮かんできたぞ……
子どもたちの気づきスイッチONです。
そうなったところで、仕上げの問いかけをします。
「自分がしたいと心から思うことに没頭しているというのが最終段階かな?」
すると……
「だれかの為とか、よりよい社会をつくるとか、自分を超えたらさらにスゴイかも」
おお、さすが。「私」は「個の尊厳」の源だから大事。だけれど「個」は「私たち」のなかの「個」であり、「みんな」とつながってさらに輝きを増します。
「いきなり私たちのため、みんなのためと言ったって、個がしっかりしてないと、結局、きれいごと。一方で、自分のためにだけ生きていてもつまらない。好奇心と欲望からスタートし、自分はこれをせずにはいられないとなったことを世の中につなげて生きる。セントラルアイデア=わたしたちはわたしたちのために生きている という個の尊厳のあり方がクリアになってきました。
私から私たちへの階段。それは私たちから降りてくる階段でもあり、私から登ってゆく階段でもある。
残りはあと1週間のみ。フューチャーライフをシミュレーションする「劇」に没頭します。
RI
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