タイトル: 治の力
探究領域: 社会寄与
セントラルアイディア:私たちは私たちを私たちのために治めている。
[5・6年生]
これまで憲法のこと、権力を集中させない仕組みのことなど、世の中を民主的に治める仕組みについて学んできました。しかし、どこまでいっても「私」がどうしたいかという話から脱することができません。「私」が「私たち」になれない限り、民主的な世の中をつくりだすことなどできません。
ということで、これまで話し合ってきた「世の中」の話から、ごくごく身近なスクールの話について考えてみることにしました。
「スクールって民主的なのかなあ?」
「いろんなこと自分で決めろっていうから民主的じゃないかな」
「でも肝心なところはおっちゃんとくぼぼぼが決めちゃうんじゃん」
いやあ、まったくその通り。TCSは子どもたちの自主性を大事にする学校ですが、だからといって、なんでもかんでも子どもが決められるわけではありません。学びの中味、テーマ学習の内容、行事についてはもちろん、何か問題が起きたときに、最終的にどうするか決断するのはスクールです。
「きみたち、いいところに気がついたね。スクールは完全に民主的ではない。強いて言うならば、立憲君主制かな。三つの約束という最高法規たる憲法があって、その憲法にくぼぼぼもおっちゃんも従うけれど、国民にあたる君たちが最終決断できる権限はない。保護される立場に置かれているな」
それは民主的じゃないのか……もし、民主的じゃないとしたら、どこが民主的じゃないのか……
完全な民主制だと、国民がすべての判断をする。かりに大統領のような強力なリーダーに決定権を委ねるにせよ、そのリーダーを選ぶ権利が国民にあります。しかし、TCSの子どもたちは、スクール全体のリーダーを選ぶ権利はない。ただ、それは本当にスクールの運営やカリキュラムについてであって、日々の学びでの中でみんなをどうまとめ、率い、スクール全体を治めてゆくかは、上級生たる5・6年生に委ねられています。
「これだけ人数が少なくてもなかなかまとまらないよね」
「意見を聞いてなかったり、考えてなかったりするし」
「好き勝手なことしちゃうもんね」
「それですぐもめる……」
意見を出すのも難しい。出された意見をみんなで考えることも難しい。決まったことを一致協力して押し進めてゆくのはもっと難しい……
「だからちゃんとやれよって強く言ったり、けんかになっちゃうかも」
そういう自分たちも、下級生たちの「模範」となるべき行動をしているかというと、どうも怪しい。これではスクールがなかなか治まりません。
「で、結局、話し合いになって、そのときはこうしたらいいなんてことが決まるんだけど、でも、すぐにまた同じ問題が起きちゃうんだ」
話し合いの時間、回数は増えていっても、課題は解決してゆかない……やっぱり民主というのは難しいのだろうか……誰かに見張られて、たまに強く起こられないと、自分たちを自分たちで律することはできないのか……
どんどん風向きは、民主主義は理想的過ぎて、手に負えないかもという雰囲気が漂ってきます。
「でも、あきらめたくないんだよね」
どうしてあきらめられないのか。誰かが決めてくれることが、あまりにも理不尽すぎて、まったく幸せにつながらないなら……もっと言えば、奴隷的で、非人道的であるならば、問題ですが、そうでないなら、誰かの言いなりになってしまえば、そこそこ生きていける……とまあ、多くの大人がそう考えているのが、今の世の中。なのに、どうして子どもたちは「民主的」のこだわるのか。
みんなで話し合って、考えて、決めてゆくのは面倒なプロセスかもしれない。でもそれを面倒ととるか、そんなプロセスを面白がってゆけるか。ここに民主的社会を形作ってゆくうえでのカギがあるでしょう。
どうしたらうまく考えられるか……どうしたら考え方を磨いてゆけるか……
そのために役立つのがディベートという手法。ということで、これまで話し合ったことも含めて、ディベートを用いて考えてみることに本格挑戦です。
RI
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