[5・6年生]
「動物保護と街の開発の間にどんな関わりがあるのかな?」
ある子は、将来、小動物を保護する団体を作りたいと年表に書き込んで
いました。別の子は、住居とオフィスと自然とをバランスよく組み合わ
せた街づくりをしたいと考えていました。そんな二人の子が、環境保護
という観点で協力したというやりとりが即興劇の中で生まれました。
そこで、冒頭のようなつっこみを入れたところ、
「う〜ん……」
口ごもるだけで何も答えられず頭を抱えてしまいました。自然・環境保
護と都市開発を両立させた理想の街づくりをしたいという思いを口にし
たものの、その具体像があいまいだということが露呈したのです。
これをきっかけに子どもたちはみんなで知恵をしぼり始めました。なん
とか即興劇の流れを保持するために、動物保護と街づくりとをつなげよう
とし始めたのです。
「野生動物が住宅街に出てきちゃうのを防ぐんじゃないの?」
ある子が言うとその意見に呼応して、
「里山が大事だというのを聞いたことがある」
自然を放置するだけだと荒れ放題になり、かえって野生動物の生態系が
乱れます。日本には人が自然に適度に手を入れて、動植物と人間とが共存
してサステナブルに暮らすための「里山づくり」という発想があると知っ
ている子がいました。しかし、そのアドバイスもいまひとつピンとこな
かったようで、未来の街づくりプランナー君は、
「街を動物領域と人間領域に分ければいいのかなあ……」
と相変わらず、人と動物、町と自然とを分離する発想に縛られ、融合し
ようという考えには至りません。だからといって、子どもたちは、短気
にならず、簡単にあきらめず、みんなでアイデアを出し合って、悩んで
いる子が、なんとか自分なりの発想にたどりつけるように後押しします。
「もしかして、自然を守るって言ってるだけで、自分の気にいった建物
だけつくれればよいと思っている悪徳会社なの?(笑)」
と、誰かがユーモアを含みつつ”挑発”すると
「そんなわけないじゃん!」
と反論する。
里山について書かれている資料を見つけ出して、それを読みつつ、みんな
とやりとりを積み重ねてゆくうちに、自分が何をしたいのかが次第に見え
てきた未来の街づくりプランナー君。ようやく納得できる考えがまとま
った様子だったので、劇を再開すると……
「野生動物が人の住むところに出てきてしまうのは、人が自然に手を加え
ないで放ってしまうからです。したがって、私のプランでは、まず、里山
の環境をとりもどすことを考えます!」
と熱く語るではありませんか。より具体的で、納得性が高まったセリフに
みな拍手。自分の将来像が、より進化し、深化した瞬間です。
他の子にとっても、この子の悩みは決して他人事ではなく、まさに「他人
のふりみて我がふり直せ」という気持ちを刺激したのも面白いことでした。
女子アナになりたいと言っていた子は、原稿をただ読むだけの仕事を目指
すのではなく、自分の伝えたいことをテレビというメディアを通じて報道
したいという思いがセリフに表れていないことに気づきました。さらに、
そもそも、自分はどんなことを、なぜ伝えたいと考えているのか……そこ
まで深く突っ込んで考えているの?という”挑発”に応えなくてはいけない
という気持ちが芽生えてきたようです。すると、「女子アナをやっている」
と言っていただけのセリフが、「児童虐待の現実を見つめ、それをどう
なくしてゆくか考える番組を作ろうと苦労している」というふうに変わり
ました。
ただひたすら即興劇を繰り返すと、30年後の未来と現在とを行き来する
「時間旅行」をせざるを得なくなります。このゆさぶりを通じて、漠然
と”やりたいなあ”と思いついたに過ぎないことが、より詳細で、現実的な
イメージへと変化してゆきました。その結果、”自分がやりたい”だけで
なく、”みんなのためにもやらなければならないこと”なのだという使命
感へと高まっていったと言えるでしょう。自分だけでなく私たちのため。
「私たちは私たちのために生きている」ということが自分らしさを輝か
せること、つまり、「個の尊厳」につながっていることが、即興劇で見
られる30年後の子どもたちの姿から自ずと明らかになったのでした。
たまたまテーマ発表会の前日に、インターナショナルスクールの先生方
が見学にいらしていて、その方々の前で、本番さながらに劇をお見せす
るチャンスを得ました。自然で、どこまでが演技なのかまったくわから
ず、アラフォーになりきっている子ども達の姿に先生方は感激しきりで、
子どもたちもその反応に大きな手応えを得た感じでした。
しかし、最大のヤマ場は、実は、この劇のあとに、子どもたちが読む弔辞
にありました。これは、この学びの「最終評価」、いわば「テスト」の
ようなもの。自分らしく生きつつ、みんなのためにやらねばならぬことに
たくましく挑んでゆくことを高らかに宣言し、聞き手の心を打つことが
できれば合格ですが、おざなりの美辞麗句を並べただけで、思いが伝わ
らなければ、ミッション・インコンプリート……なんともシビアでありな
がら、だからこそ authentic な学びと言えるのです。本気でミッションを
やりきったなら、自ずと思いが弔辞に現れるはずです。
したがって、いかに Gerating Participant である探究教師と言えども、事
前に弔辞に手を入れることはできません。多くのオーディエンスの前で、
いったいどんなことを語るかは子どもたちに委ねられました。
「緊張するなあ……」
「まだ最後の部分が決まらない……」
子どもたちのつぶやきを耳にしつつも、私にできることはもはやありま
せん。そろそろ私は「天」に登る潮時を迎えました。
RI
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