先週、自分達が列挙した「行動」を、意識してやっているか、無意識に
やっているかという観点から分類してみました。
「ほとんど無意識でやってるね」
「これでも全部じゃないのに」
挙げても挙げてもきりがない日々の行動……それを支配しているのは
圧倒的に「無意識」です。次に、内容を吟味してみると、どうしてもあまり
よくない行動がクローズアップされます。
「悪いとは思っているけどつい誰かをウザイと思ってしまう」
「机の上を乗り越えてロッカーに行く」
「気づいたらノートに絵を描いている」
「上着を出しっぱなしにしてしまう」……
一方、意識してやっている行動として真っ先に挙がったのが
「授業が退屈になったときに給食表を見ること」
これが子どもたちの「現状」なのです。主体的な学びは、自分の学びを
自分でコントロールできるようになって初めて可能です。いわゆる「セルフ
モニタリング能力」を高めなければなりません。しかし、現状では、「意識」
して自分の行動をよりよくしようという「意識」がまだ「弱い」のです。ただ、
あくまでも「弱い」のであって「ない」わけではありません。このままでは
まずいぞ!という気持ちは確実に芽生えてきているのです。だからこそ
「やらなければいけないことがあるのに、他にやりたいことがあってできなく
なってしまう」と感じたり、「無意識でも、意識でもよくないことを自然にやって
しまう」という現状を気にしたりするのでしょう。
ここまで、「思索するテーマ学習」として、自分の行動をひたすら見つめ直す
という学びを積み重ねているのですが、ちょっと意外だったのは、子どもたち
の反応が予想以上によかったことです。
「あっという間に時間がたつ」
「なんか面白い」
「この授業は退屈しなかったから絵を描かなかった!」
という声が上がりました。高学年になると、無邪気な「自信」が消え始める
と同時に、できないと恥ずかしい、できないからやりたくない、どうせうまく
いかなさそうという「効力感の低下」が表面化します。それを乗り越えるには
「今を生きる世界」だけにとどまらず、「これからを見通して生きる世界」へと
「意識」を拡大していく必要があります。そのために、現状を赤裸々にあぶり
だすことからスタートしたわけですが、素直に取り組もうとする七選組の子ど
もたちは「さすがだ!」と感じました。
これは、自分たちの人生に深く関わる「本質」を追究するためにテーマ学習
を積み重ねてきた成果の一つでしょう。決して「ひとごと」ではなく「自分たち
のために学ぶ」こと。それは、自分の人生、そして自分達が関わる社会を
よりよくするために重大な意義を持つので行っていること。学びと生き方が
直結しているという「意識」を子どもたちが抱いているからこそ、自分の思い
を率直に打ち明けられる安心感と関係性に包まれて、建設的な話し合いが
できるのだと痛感しました。
「どんなときも好きなことだけ頭にあるんだ……」
なぜ「無意識」の魔の手から逃れられないかということについて、もう一段
深く「自己分析」してゆくと、「好きなことを頭から排除できない」ということが
浮かび上がってきました。ここでいう「好きなこと」は「ゲーム」のようなもの
で、「快楽」「欲望」の意のままになっているということなのです。
「やりたいからやる」
「楽しいものがあるなら我慢できない」
この「欲望」に対抗する手段は、今のところ「親と決めたルールを破ったら
怒られる!」ということしかありません。これでは、「欲望」に支配された現状
を本質的に打破することはできません。「意識する」よりも前に「考え」がない
のですから、意識変革など起こるはずがありません。「刹那主義」の誘惑に
打ち克つ「考え」とは何なのか?……「快楽&欲望」とうまくつきあって、人
生を悔いなく生きるにはどうすればいいのか……?
次なる「追究」の始まりです。
RI
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