タイトル:Borderless World
探究領域:共存共生
セントラルアイディア:「人権は自由、正義及び平和の基礎である。」
[5年生]
学校に通う。そんな当たり前のことすら満たされていない国があります。自分の好きなところに住む。そんなことすらかなえられない国があります。こんなごくごく基本的な人権すら守られないのはどうしてなのでしょう。
「貧しいからだよねきっと……」
「豊かになれば人権は満たされるのかなあ……」
豊かであれば人権が守られる。貧しいと人権は守られる。経済レベルと人権は密接に関係するのではないか。子どもたちの推測は至極まっとうです。
「じゃあどうして貧しい国はなかなか豊かになれないのだろう?」
人権が守られていないアフリカの国の例を追ってみることにしました。
すると、権力者層は、豊かな生活を送っていますが、多くの一般庶民はないがしろにされていました。また、内戦や隣国との争いやテロに巻き込まれて、政情が不安定であることもわかりました。
「ただでさえ貧しいのに爆弾で家が破壊されてる」
「兵器を買うお金をどうして市民にまわせないんだろう」
納得できない事実ばかりが浮き彫りになります。ただ、この状況をどう是正するかとなると、頭を抱えるしかありません。独裁者は今の地位を守りたい。多くの人に自由と人権を認めると自分の地位が危うくされるかもしれない。黙って自分の言うことを聴いていれば、そこそこのおこぼれをやるが、われわれにもの申す「自由」は与えないということになるでしょう。
また、戦争をやめられないのも、長年の遺恨にどう決着をつけるか、考え方の違いをどうお互いに認め合うか、やり方が見つからないからでしょう。こうしていつまでも争いは続き、衣食住すらままならず、日々、命の危険を感じながら生活する、「非人権的」なくらしを強いられるのです。
「戦争をやめれば……人権が守られるのかな……」
子どもたちの歯切れはどんどん悪くなっていきます。戦争をやめれば人権が守られる。でも、戦争を停める手立てがない。ならば、いつまでたっても人権は守られない。手をこまねいて戦争がなくなるように祈るしかない……それはちょっと違うのではないか……でもどうしよう……
子どもたちの思考は膠着状態に入ります。すると、ある子がパースペクティヴをひっくり返す発現をしました。
「人権を守る!ということを高らかに宣言して、戦争をとめるしかないんじゃないの?」
戦争があるから人権が踏みにじられる。だったら人権を徹底的に守るということで戦争を停止し、平和をつくりだすしかないというわけです。
「人権宣言ってそのためにつくられたんでしょう」
なるほど、面白い見方が出てきました。世界人権宣言は、人類の守るべきことの最高峰に「すべての人々の人権」をかかげる。その実現こそが他の何よりも優先される。これを世界中の人々に行き渡らせるしかない。
「でも、人権宣言は法律じゃないから、守れてと強制できないんじゃない」
おお、鋭いことを言いますね。ただ、人権宣言に付随して、人権法というのも考えられていますから、これとセットで考えれば、法的強制力を持たせることができるかもしれません。
「やっぱり世界連邦しかないのかな」
「国とか、民族とか、宗教とかで分かれるということが争いのもとじゃん」
「でも、それぞれの人々の心情や思想は認めるし、グループになってもいいっていうのも人権だよ」
「ただ、自分たちの人権は他者の人権を乱さない限りにおいて認められるんじゃないの」
「そうだよ!それは人権の濫用だよ」
いやあ、いろんなことをしっかり考えてるじゃないですか。でも、考えれば考えるほど、いろいろ複雑で、解決策はコレ!というふうにはなりません。
「おっちゃん、今回は自分たちなりのアイデアとか出さなくていいんだよね」
ええ、確かに、最初の日にそう言いました。今回のテーマは、簡単にこれが解決策だ!なんて打ち出せない。解決策をおざなりに見つけるぐらいだったら、徹底的に悩もう!というのが今回のテーマで目指すことだと。
「アイデアは出さなくていい。ただ、どんな人権問題が世界に山積みになっていて、それはどんなことが原因で起きていて、どう自分たちに関係あるかを徹底的に知るんだ」
無理だというあきらめではなく、安易にできるとかできないとか言わずに、問題の存在と、それが自分たちも責任を負うべき問題なのだということに気づくことを目指すのです。
「戦争ってどうしてしたがるんだろうな。あんなに悲惨なのに……」
子どものもらしたつぶやき。まったくその通りです。世界の人々がこの意識を持てば、直ちに争いは止まるのではないのか。実は、複雑に考え過ぎで、シンプルに考えれば即座に解決するのではないか。そんな思いが私も含め、みんなの心に去来したのでした。
RI
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