タイトル:Dear Editor
探究領域:意思表現
セントラルアイディア:「編集によって情報の価値は変わる。」
[5・6年生]
このテーマ学習は、外出することがありません。ひたすら文章とにらめっこし、考え続けるデスクワークです。したがって写真も毎週、毎週、同じようなものばかりで変わりばえがしません。しかし、だからこそスゴイと思うのです。
どうせだったらどこかにフィールドワークのために外出したい……
なんか面白い実験や調査をしてみたい……
装置をつくりだしたい……
きっと子どもはそう思うのではないか。いや大人でもそう思うでしょう。確かに、外出するフィールドワークも実験もインタビューもちょっと刺激があって面白い感じがします。それに比べてデスクワークに子どもはなかなか夢中にならないのではないか……
しかし、これはまったく表面的な見方だといういうことです。ただ子どもの興味・関心のありそうな「体験」をさせても、もっと言えば印象に残るような「非日常体験」をしても、その場限りの「面白さ」に留まりますし、深くその体験を観察し、掘り下げようという気持ちがなければ、流れてしまうのです。
一方、ただ机に向かっているだけの単調な作業のように見えても、頭の中にさまざまなファンタジーやストーリーが渦巻いていれば、めちゃくちゃ面白いし、消費的に与えられる実体験とは比べ物にならない深い体験をしています。主体的にイメージをつくりだし、それをことばにし、遊ぶのを面白がっているのです。
探究する学びを考えるときの大事なポイントは、外に出るから体験、部屋の中だから体験じゃないと考えてはいけないということです。探究は、フィールドワークとファンタジーワークから成り立っていると私は考えます。
フィールドワークとは、もちろんまち探険のようなものもありますが、それだけでなく、文章の「森」の中を「探険」する脳内フィールドワークもあります。脳内フィールドワークは、想像力を駆り立て、もしかしたらこうかも?という洞察を生みます。このプロセスがファンタジーワークです。ありきたりの事実や日常の思惑から離れて、自由に発想の翼を広げ、それをなんらかの形で表現する(言葉に限らず、絵や劇・ダンスなどのボディパフォーマンスも含む)のです。
かりにまち探険という具体的かつ実際的な体験があろうと、それがファンタジーワークを作動するものになっていなければ、ただ流れてゆくのみの発見なき体験に終わります。つまり、フィールドワークとファンタジーワークの両方が常に作動しようとしている状態こそ探究なのです。
面白い作品をつくりたい。それは自分の目標でもあるけれどTCSの子どもたち全体を高めることにつながっている。わがことであり、われらごとになっているからこそ本気になれる。本気になれるのは、社会に自分たちの思いを発信できるチャンス!という強い思いがあるからです。
「スゴイ!この作品面白い」
「子どもってこんなにスゴいんだな」
と思わしめる作品づくり。子どもだからいいよねという評価ではあきたらない。これは大人にはつくれない、かなわない、という大人の本気の評価を勝ち得るような「価値」をつくりだしたい。これが、子どもをなめるなよ!これこそ子ども力だぜ!という過去の Dear Editor から知らず知らず受け継がれている精神です。
ということで、早くも放課後「残業」し、編集に没頭した子どもたちの努力が一段落。とりあえず作品に手を入れつつの「打ち込み」が終わり、第1稿が完成しました。3人しかメンバーがいないのに、20人を超えるメンバーの作品をつくるのはとても大変な作業です。にもかかわらず、「やらなきゃダメだ!」なんてただの1回も言っていないのに、放っておいても勝手に動いている強烈な主体性に感動しています。
残りはたった2週間。ここからゲラの状態にまで持っていくには、時間がたっぷりあるとは言えません。ただ、形だけ整えて、本っぽく見せても仕方がないので、次週は、つら楽しさ MAX で、頭爆発しそうな、真の編集作業に取り組みます。
RI
※TCS2014年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。