【学年】4年生
【探究領域】時空因縁
【セントラルアイディア】私たちは時代の流れの中で生きている。。
<テーマ学習レポート>
戦中世代の遊び[テーマ『We love 遊』(G4)]
テーマ学習「We love 遊」では、私たちに身近な「遊び」を題材にして、現在の子供達の世代、その父母の世代、さらに祖父母の世代にまで遡り、背後にある時代背景を学びます。
4週目は、戦前、戦中世代の子どもたちがどんな遊びや生活をしていたかを知るために、「昭和館」に行ってきました。
太平洋戦争は1941年〜1945年です。昭和元年は1926年でこのあたりから、終戦までの時代を学んでいきます。
昭和館の展示は戦前から戦中、戦後間もなくにかけて、戦時中に使われていたものの実物が展示されていたり、その頃を表す映像があったり、展示があったりと、戦争世代、昭和初期の生活を見ることができました。
特に、キッズたちに印象に残ったのは下の三つでした。
1.「戦後復興期の混沌」
特にキッズたちの印象に残っていたのが闇市や戦災孤児の作文でした。物資が不足する中、アメリカ軍人が食べ残した食べ残しをシチューにしたもの「残飯シチュー」にはタバコのゴミなども入っていたものの、その頃の人たちはお金を出して買って食べていたということでした。
戦災孤児の作文では、母子家庭の戦災孤児の作文があり、お母さんのお金をとってしまってコマを買って、お母さんが残念そうな顔をしていた、そのことを後悔しているという内容でした。なかなか馴染みのない経験についての作文を子供たちと読みました。
2.「戦中の学童疎開の生活」
学童疎開先の子供達は、親元を離れて子供達だけで暮らしていました。毎日お寺で寝起きをして、食べ物も毎日太平洋シチュー(何も入っていないスープ)で、ひもじい思いをしていたことから、おもちゃとして送ってもらったお手玉を解いて、中に入っている大豆を食べていた、というエピソードも。
「お父さんお母さんのもとを離れて生活するなんて考えられない」という子も。本当に物資が全くない、買うものすらない状態だったということですね。
3.「10年で復興した渋谷」
太平洋戦争の敗戦後、一面焼け野原だった東京ですがそこから十年で復興を遂げることができた、そんな写真が印象に残ったようです。「敗戦後、間もなく何もない状態から10年間であっというまに復興した日本の人たちは何もないところから頑張ったんだ!」とキッズたち。
何もないところから復興した奇跡のようなことだという風に書かれていましたが、その裏にはどんな事情があったのか、きになるところですね。
今回は戦中の生活を、昭和館に行って学びました。
今まで知ったこと、わかったこと、発見したことのそれらを、昭和〜平成にかけての年表にまとめたいと思います!
TY