特定非営利活動法人 東京コミュニティスクール

東京コミュニティスクール

03-5989-1869

school@tokyocs.org

〒164-0001

東京都中野区中野1-62-10

東京コミュニティスクール

「個の尊厳」5年生6年生 テーマ学習 〜レポート

 

 

【探究領域】自主自律
【セントラルアイディア】私たちは私たちのために生きている。

<テーマ学習> 〜レポート

死ぬってどういうこと?生きているってどういうこと?

「読む」の時間で読み進めていた『夏の庭』。本物の死体を見てみたいという興味本位から、それまで関わることのなかったおじいさんに近づいた少年3人。「死ぬ」ってどういうことだろうと考える場面が多く出てきます。今回のテーマ学習に合わせて、課題図書に当てていました。その中で、死んでいない状態である「生きている」とはどういうことなのかを考えたときには、次のような意見が出されていました。

・臓器が全部動いて意識があること

・体としての命はないけれど、誰かの人の記憶に残ること

・やりとげたいことがあるってこと

・やりたいことをやってやったら満足して死ねるかっていうと、私はそうは思わない。

・体が成長し、そして衰えていくこと

・死ぬのが不思議だと思ってたけど、本当は生きてる方も不思議なんだよ、きっと。

・生きがいがあってイキイキしていること。精神的な感覚なんじゃない?

・自分の人生が幸せだなと思っていること。生きているだけで幸せ。

・意識的に頭を使って考えていること

『夏の庭』を読み終え、おじいさんの最期を見届け、改めて「死ぬとはどういうことなのか」思っている意見を出し合うことからスタートしました。

テーマ学習の初回は、今の時点で持っている情報を引き出していきます。高学年として、自分たちでお互いの意見を引き出し合っていくことも、伸ばしていきたいスキルのひとつです。

他者の意見を尊重しつつ、他者とは違う自分の意見も堂々と話していく。一人ずつの意見をぶつ切りにすることなく、つなげていく。後期のかわらいとクラスに求められている課題にいざ挑みます。

2グループに分かれ、それぞれどんな話をしたのか報告していきました。

話しの中でよく出てきた「精神的な死」という言葉が印象的でした。

とりかえしのつかない大失敗をしてしまったとき、「終わった」「死んだ」と思う。気持ちが死ぬ。学びにならない失敗がある。そんなときは、精神的な死を感じるといいます。

「でも、本当に死にたいってまでにはならないから現実世界では追い詰められていないと思う。」と分析する声も。

「死ぬってこと、今まで考えたことも話したこともなかった。重いよね。」

お葬式に出たことのある子も少なく、あったとしてもあまり記憶はなく、今はまだ無縁に思えてしまいます。

また、話すことでより一層、疑問やモヤモヤしてきたこととして次のような思いがあがりました。

・死んだあとはどうなる?「魂」ってどこにいく?

・なんで死んだら体が動かなくなるの?寿命で死ぬってどういうこと?

・生きてるってことは目的があるのかな?

・自殺はダメだと言われているが、なんでだろう?

疑問やモヤモヤした状態を持ちつつ、少しずつインプットしていく中で意見を出し合い、考え続けていきます。

まずは、国内の自殺者状況をデータで見ていきました。年間の自殺者数、年代別、職業別を紹介。

「こんなにいるんだ。」「小学生もいるんだ。」

文科省が10月13日に発表した「児童生徒の自殺者が2020年度で最多だった」ことを取り上げた記事も合わせて紹介しました。

ここで着目したことは、原因の52.5%が「不明」だということ。理由は本人にしか、本人でもわからないかもしれない。けれど、最後に「死」を選んでしまったことは事実。

こうした現状を踏まえて、「自殺はなぜいけないのか」を議題に話し合いをすることにしました。

「ぼくは絶対にしない。3つの約束を守ってないし。」

「殺すっていうのは、犯罪だよ。」

「虫は殺してもいいの?って思っちゃう。」

「江戸時代には、生類哀れみの令があったけど。」

「人を殺したら犯罪だから、自殺もいけないのでは?」

「生きているだけが幸せじゃない、同調圧力でいけない雰囲気になってる。」

「親には、先に死ぬなって言われる。」

「死ぬっていう選択肢を選ぶのもひとつ、本人の意思を尊重した方がいい。」

「人口が減ってしまうから、自殺されたら困る。」という見方も。

 

では、なぜ私たちは生きているのか。「生きる目的ってなんだろう」という問いにそれぞれが答えていきました。(青字の年数は自分が生きたい年数)

ここでセントラルアイディアを提示すると一瞬沈黙が、、。

私たちは私たちのために生きている。

「意外で言葉が出なかった。」

「私のためにって思ったから近いんじゃない?」

「私たちってどこまで?知ってる人?」「世界中の人?」

このテーマ。人生において自死は選択しないでほしい。そういった願いも込めています。今回、考えていく軸としているのは次の3つ。

・個体としての生物学的死 (form)
・生と死のつながり (connection)
・生きることの意味 (perspective) 

1週目のここから、彼らの頭の中でモヤモヤしながらも、上記について考えていく中で、どう再構築されていくかが興味深いところです。

さて、次は、死んだら人の体はどうなっていくのかについてのインプット。NHKヒューマニエンスQ「“死” 生命最大の謎」を視聴しました。

細胞は分裂していくほど、染色体の端にあるテロメアが短くなっていく。ある程度短くなると分裂しなくなる。すると、機能が低下(老化現象)、死に向かっていく仕組みが生き物の体には組み込まれているといいます。短くなっていく時間には個体差があるとのこと。

「あの人が若く見えるのは、短くなっていくのがゆっくりだからなのかぁ。」

「だから、みんな死ぬときの年齢がバラバラなんだ。」

「なんで死ぬのかって、こういうことなんだ。」

また、人間が、生殖可能時期が終わっても生きている期間が長く続くのは、他の動物にはない特徴だといいます。

そして、子どもたちが興味に持ったのは、脳内麻薬と呼ばれているエンドロフィンが出され、神経細胞はゆっくり死んでいく結果が現れたこと。そのため、人は死んでいくときに「幸福感」を感じるのではないかという仮説が出てきます。

「三途の川を誰もが見るわけじゃないんだね。」

「苦しんで死んでも、最後の最後は気持ちがよくなるのかも。」

「眠ったように死んでるってよくいうのとつながるのかな。」

そして、こちらの本の一節を読んでいきました。

心臓や肺が止まり、体が死んだ状態になっても、腸内細菌の活動は続きます。そのため、葬儀までに故人にケアする必要があるわけであります。そのうちのひとつに出てくるのがエンバーミングという処置方法。

ここで、エンバーミングの達人、日本での第一人者である橋爪謙一郎さんを、最近、掲載された新聞記事で紹介しました。

残された遺族のため?グリーフサポート?そのためのエンバーミング?初めて聞く言葉であります。

残された人たちとは?経験がなければピンとこないのは当然のこと。そこで、『モリー先生との火曜日』を視聴しました。死を宣告されたモリー先生と周りに寄り添う人々が「生と死」に直面しながら、生きていく様が描かれた実話を元にした物語です。

映画だと聞いてウキウキしていた子たちも、見終わったあとには神妙な表情に。

「なんで涙が出てくるんだろう。」とつぶやく声も。

「死ぬってわかっているけど、最後は死なないでーと思った。」

短時間でもモリー先生と一緒にいる気持ちになり、その人柄や生き方に触れることができました。

<死に方を考えると生き方が見えてくる?>

「友人や親しい人は悲しむけど、本人は悲しくないのはなんでだろう?モリー先生は、悔しいとは言ってたけど悲しいとは言わなかった。」

「やりたいことができないと悲しいより悔しいかな。」

「確かに。やればよかったって思う。」

「モリー先生は、もっと人を許せって言ってた。お父さんのことを許さなかったことを後悔してた。」

多くの人から慕われていたモリー先生が「すべての人を許せ」といいます。生きていく上で、他者の存在は欠かせません。人が死ぬとどうなるのか、引き続き、残される側に目を向けていきました。

グリーフサポートを重視してエンバーミングの普及活動をされている橋爪健一郎さん、橋爪さんを師匠としていて葬儀会社を営む是枝嗣人さん。お二人は、死に関わる仕事を通してグリーフサポートの必要性を実感し知り合ったそうです。「個の尊厳」のテーマ学習に賛同してくださり、毎回ご協力いただいています。橋爪さんにはスクールにてお話を伺う機会をいただきました。

「ペットが死んでしまった経験は?」

4人が挙手して、4人とも金魚を飼っていたといいます。

「大人は金魚ならと思ってしまうけど、みんなにとってはショックだよね。あのとき、〜だったらって死んだ原因が自分にあるのではないかと考えてしまう。」

親しくしていた人やペットがいなくなってしまうことで、人の心は通常ではいられなくなるといいます。

人によっては体に出てしまう場合も。グリーフは日本語では「悲嘆」と言われているものの、その感情は悲しいだけではありません。

悔しさ寂しさ怒りなどひとつでなく、その気持ちを抑え込もうともしてしまう。特に日本人は、故人とのお別れの時間が短すぎること、気持ちを出そうとしないことが傾向としてあるとのこと。

「橋爪さんは、遺体を見て悲しいって思うことはありますか。」

「橋爪さんは、魂っていると思いますか。」

「遺体を元に戻せなかったことはありますか。」

数々の質問に丁寧に答えてくださった橋爪さん。遺族のもとに、生きているときと同じ状態にして遺体を返すことが自分の仕事であり、悲しむよりどうしたら元に戻せるかという考えになり、時間があればもっとよくできたのにと思うことはあっても失敗をしたことはないといいます。そこには、責任と誇りが感じられました。

「エンバーマーのお仕事がこんなに偉大だとは思わなかった。」とご本人を前に言ってしまうほど。

 

「橋爪さんがいなかったら、日本にエンバーミングは広がらなかったかもしれないんだよね。」

翌日の振り返りでも、橋爪さんの偉大さを感じた子が多かったことがわかります。

また、故人をよく知るために遺族から話を聞き、遺体に話しかけながら処置をしていることや、「魂は行きたいところに行くんじゃないかな」といった思いも語ってくださいました。

やはり「魂」の行方は気になる様子。2グループに分かれて印象に残ったことを話し合う形で振り返りを行いましたが、どちらのグループでも話題に。

「橋爪さんは行きたいところに行くって言ってたけど、地獄には行きたくないよね。なんで地獄なんてあるんだろう?」

「嘘ついたら地獄でしょ。選択肢もなくなっちゃう。」

「悪いことしたらそうなっちゃうんだ、ならいいことしよう。って思うために考えたことなんじゃない?」

橋爪さんからグリーフサポートを学んで実践している是枝嗣人さんは、大学で仏教を専攻され、続けていた茶道と両方が活かせる仕事はないかと考え、葬儀の世界に入り、20代で独立。地域の人たちとの交流を大切にされています。

事務所の1階は、石材店との共有スペースで、石屋のおばちゃんは人気者でお話しにくる人が多いとのこと。

2階では、葬儀や食事会をしながら故人を偲ぶ場所にもできるようになっています。その場所で、是枝さんのお話を伺うことができました。

橋爪さんが、お別れの時間をつくるために、亡くなった方を生きているときの姿に戻す仕事をされているのに対して、是枝さんは、葬儀から終わったあとも含めて、お別れの時間をサポートする仕事をされている方。

「是枝さんは、遺体を見て悲しいって思うことはありますか。」

橋爪さんの話を受けて、あえて同じ質問をしてみたくなったのでしょう。是枝さんの答えは同じではありませんでした。

グリーフ状態であるご家族とは葬儀まで1週間はお話をして、家族がちゃんと悲しめるようにプロとして見送る。自分の方が悲しんでいたら悲しめない。ただ、最近は知り合いが多くなってて、亡くなったおじいちゃんの話をしていたおばあちゃんが亡くなったり。そんなときは、とても悲しい。ただ、グリーフって悲しいだけじゃないよ。

それには、大きく頷く子どもたち。

「葬儀のお仕事って、ただお葬式をするだけかと思っていたけど、全然違ってた。」

「ひいおばあちゃんが亡くなったときに、どんな花を飾ろうか葬儀の人と話していたの思い出した。」

棺の前でその人の愚痴を言うこともあるといいます。これもグリーフの形のひとつ。

「え、悪口?そんなこともあるの?」

こんなに迷惑かけて死んでいってとか。もちろん、ありがとうって感謝の言葉ばかりの場合もあるけどね。

棺の中って結構声が聞こえるよ。聞いているかどうかは誰もわからない。だからこそ聞いているかもしれない。最後の場所を体験することで、どんな生き方をしていこうかって考えるきっかけにしてもらいたい。そんな是枝さんのご厚意から、全員に納棺体験をさせてもらえることに。

自分は、どんな人たちにどう見送られたいだろう。

「あ、怖くない。落ち着く。」
「なんでも聞こえる。」
「何も見えない。すごく広く感じる。」

目に見えるものばかりにとらわれず、かといって目に見えないものばかりにすがるのではなく。目に見えるもの、見えないものの両方を大切にしてほしい。そう是枝さんは最後に伝えてくださっていました。

 

「一緒にどんなお葬式にするか話し合いにいたことを思い出した。お花の先生で109才生きたことが自慢だったから、豪華なお葬式にしようって。」

「お父さんたちは、グリーフサポートしなかった感じだったけど、今思うと、ひいおばあちゃんが亡くなって、空っぽな気持ちになったときってグリーフ状態だったのかも。」

「おじいちゃんが病院で瞬間を見たんだけど、悲しんだ後、ポカーンってなった。わたしより小さい子が泣いちゃうと思ったから、我慢した。」

「親交のある親戚が死んだらグリーフになるんだろうな。」

一人ひとりが感想を述べていくのではなく、ひとつの話題から思ったこと、思い出したことを話し合っていく流れを目指していきました。

 
人を葬る行為は、ホモ・サピエンスの前から行われたとも言われているそう。人の死は生きている人たちによって弔われるもの。そして弔ってきた人が弔われる番に。そう繰り返される。どんな葬儀にしてもらいたいか、そのためにどんな老後を送るのがいいのか。いい老後を送るためには、どんな人生を送ったらいいのか。そして、今、何をやりたいのか。そんなふうに考えてほしい。そうした是枝さんのお話は、モリー先生、橋爪さんに続いて、子どもたちの心にどう響いたのでしょうか。いよいよ、アウトプットする段階に入ってきました。

<自分の人生を思い描こう!>

今回、プレゼンテーションにて披露するのは、自分に対する弔辞です。読んでもらいたい人を演じて読み上げます。作成するのはもちろん自分です。弔辞は、故人を偲ぶ、故人に向けた最後のラブレターでもあります。こんなことしてくれた、こんなことやり遂げ、ときにはこんな失敗をするような、こんな人柄の人でした。と、その人の生き様が伝わるものであります。

いきなり弔辞は書けません。そこで、生まれてから死ぬまでの人生年表を作成していきます。題して「人生楽ありゃ苦もあるさ年表」。あのオープニングソングを流したものの、もはや聞いたことのある子は一人もいませんでした。

まずは、生まれてからこれまでの10年、11年を振り返ってみます。楽しかったことやうれしかったこと、ほめられたことや達成したこと、そして、苦しかったことや嫌だったこと、失敗したことや怪我したことなど。生まれてすぐのことは覚えていないので、参考に「I am Special,YOU are Special.」(注*)で保護者の方に書いていただいたインタビューシートを渡しました。(注* 1年生時のテーマ学習の単元)

ここで、自分をさらけ出せるかどうかがかなり重要。楽と苦の両方を書くことは、自分の強みや弱みを受け入れること。誰しも最初は書けません。こんなこともあったよね、この年はこんな活躍してたよね、と声をかけると、思い出して書けるようになったり、わかっていても実際に文字にすることができなかったり。苦戦しながら、2回3回の書き直しを経て、年表を埋めていきました。

現在までの年表が書ければ、未来年表に入ります。どんな人生を送りたいか。行きたい学校、就きたい職業、どんな友達、恋人、恩師に出会うか、想像していきます。

「結婚できるかな。」

できるかどうかは誰もわかりません。だからこそ、どうしたいかがポイントになります。結婚したいなと思えばすればいいのです。年表上で。

ただ、何もかも思い通りうまくいくわけではありません。自分ならどんな失敗をしそうか、そこからどう挽回していくかも想像していきます。

そして、何歳まで生きたいのか。どういう死の迎え方をするのかも決めていきます。

「私、何年でもいいや。34歳にする。」

「交通事故で死ぬような感じがする。」

短い人生になりそうと考える子がちらほら。そんなことになったら悲しいよ!

その年齢だと、親の年齢は?

「60代かな。」

お父さんとお母さんはグリーフになってしまうよね。その言葉にはハッとした様子。

「あ、そうか。」

死んでしまったら終わり。それまでにやりたいことやり終えて充分に生きたといえるならそれでもいい。そうでないなら、大病や大怪我をすることはあっても、一命は取り止めて、まだまだ人生を歩いてほしい。

こうしたやりとりを経て、学んできたことが自分ごとに落とし込まれていけるのかもしれません。

自分の人生であると同時に、誰かのための人生になることもあります。友達のため、恋人のため、親のため、妻や夫のため、子どものため、お客様のためなどなど、人との出会いは欠かせません。そのため、架空の名前を考えイメージを膨らませます。

18歳、大学に入る。24歳で会社に入る。30歳で結婚する。

大学はどこ?何を研究したいの?

会社の名前は?どんな仕事したいの?

誰と結婚?どんな人?きっかけは?

細かいところをどんどん詰めていきます。何をしたいのか、どんなきっかけがあったのかがわからないと楽も苦も出てきません。

「お店開くなら、そこの常連になろうかな。」

「プロ野球選手になるなら、試合見に行こうかな。」

そんな会話が出てくると面白くなってきます。

また、「To Be or Not To Be」で保護者の方にご協力いただいた判断基準の手紙を渡しました。これまで歩んでこられた人生が綴られているものが多かったので、こちらもまた参考になると思い渡しています。

年表を埋めつつ、同時に弔辞にも着手。弔辞を書いてみることで、年表に足りない部分が見えてきます。

最初に書いた弔辞では、まだまだ歩んできた人生や人柄は見えてきません。

「私のいいところってどこだろう?」

「何でもやりたいって手をあげてチャレンジするところじゃない?」

「え、自分ではそうは思ってなかった。」

互いにいいところを出し合う場面も出てきました。また、声に出して読んでみると、同じ言葉を何度も使っていたり、読みにくかったり、直したい場所が浮き彫りになってきます。聞いていた側からのフィードバックをもらい、見直していきます。

年表と弔辞を行き来しながら、内容を濃くしていきます。

プレゼンでは、厳かで温かな葬儀を目指します。自分がどんな人生を築いていきたいのか、自分らしい人生とはどういうものか、希望としての弔辞をお聞きいただければと思っています。

<プレゼン&ふりかえり>

弔辞には、以下のようなフィードバックとバーションアップの繰り返しをしていきました。

・自分のよさを入れている?

・その失敗は自分らしい?

・仕事だけ?趣味は?家族のことは?どんな人生だったのかが伝わるように書く

・具体的なエピソードを入れた後に何が言いたいのかをはっきり書く

・口癖や声をかけた言葉などを書くと人柄が見えてくる

また、著名人の弔辞を読んでみたり、映像を見たりしながら、当人との会話はもう二度とできないけれど、目の前にある棺の中では眠っている、どんな風に伝えたらいいだろう、そういったイメージも膨らませていきました。

 

ゆっくり読むのって難しかった。

もう少し間をあければよかったかも。

もっと悲しんだ方がよかったかな。

雰囲気作り、上手くいった気がする。などなど、

自分としてのgood&betterがある一方で、聴衆からのコメントは大好評でした。

下級生たちも、一緒に場づくりをしてくれていて(事前にお願いしていたこともあって)、

「悲しくなっちゃった。」

「私が生きてるのはめちゃくちゃ幸せ。」といったコメントも。

ふりかえりの時間にリフレクションシートを読んでいきながら、自分たちの成功を実感していきました。

そして、6週間のふりかえり。最後も2グループに分かれて話し合いスタイルで意見を出していきました。

 

「死ぬこと考えたら怖くなったけど、どう生きるか考えたら、死ぬのって怖くなくなった。」

「怖いからもともと死のことなんて考えたくなくて、でも、本当に死んでしまったらグリーフサポートもある。考えることの気持ちの整理がついた。」

「いつ死んでもいいって言ってたけど、今は?」

「やりたいことができないで死ぬのは嫌だ。いつ死んでもいいとは思わなくなった。」

「でも、生きるほどやりたいことが増えてくるから、死にたくないって思うようになる気がする。」

ひとりずつ語っていくのではなく、対話しているところは少しずつレベルアップしている感じであります。

また、セントラルアイディア「私たちは私たちのために生きている」について聞いてみると、次のように意見が出てきました。

・両親からもらった体でやりたいことをやる。そこに私たちを感じる。

・生まれてきたから目一杯生きる。だから、自殺しない、グリーフのことを学んだんだと思う。どう生きたいか、未来年表を考えたとき、誰かの役に立つこと、誰かにしてもらうこともあった。それが「私たちのために生きるってこと」だと思う。

・葬の字って誰かに草をかけてもらうって是枝さんが話していた。生まれるときも死ぬときも誰かがいる。誰かがいないと生きていけない。

・自分のために楽しい人生送りたい。そのために努力して頑張るのが「私たち」って思う。ひとりだけで頑張っているわけじゃないから。私が学校行けるのも親のおかげ。助け合うって感じ。

・直接恩返しじゃないけど、まわってるって感じが「私たち」になるんじゃないかな。

1週目には「私のために生きている」という認識だったこと、死に対する負だけのイメージが、学習を通して変化していき、その変化を自分たちで実感できたことが学びの大きな成果だったと思います。

 

AN


(参考) TCSテーマ学習について、以下よりご覧ください。
2022年度 年間プログラム(PDF)運用版
テーマ学習一覧表(実施内容)

 

 

Comments are closed.
アーカイブ