タイトル:詩人の旅
探究領域:意思表現
セントラルアイディア: 感性と情緒が凝縮された言葉は人の心を結びつける
[3・4年生]
持ちネタ(?)がいくつもでき始めた詩人たち。声に出しながら
「もっとこうした方がいいかな……」
と細かい表現を修正しています。
詩を身体化しつつ、声にしっくりくるような形で表現を変えます。
こうして磨かれた作品は、詩の柔道という形で発表されます。
詩の柔道とは、詩のボクシングの変形。詩のボクシングとは、ボクシングのように、赤コーナー、青コーナーに分かれて詩を読みあい、観客にジャッジになってもらいどちらの詩が共鳴・共感できたかを競う遊びです。
なぜボクシングではなく柔道になったかというと、個人戦ではなく団体戦で競うためです。先鋒・次鋒・中堅・副将・大将という順に対戦してゆき、合計スコアの多いチームが勝ちになります。
プレゼンを控え、毎日、実践さながらにこのスタイルで詩を読み合ってゆきます。都合のよいことに、スクールにはほぼ日替わりでさまざまなバックグラウンドを持った見学者が来ます。その人たちは、いわゆる「一見(いちげん)さん」。したがって、子どもたちのことを知りません。今はそれが好都合。自分たちのキャラに頼ることはできず、つくりだした「詩」の力を試すことができるからです。
「すみません。ぼくたちの詩の判定をしてください」
子どもたちは、プレゼンテーションデー当日と同様のスタイルで、見学者に自分たちの詩を評価してもらうように頼みました。もちろん見学者はそんな面白い誘いを断ろうはずがありません。さあ、真剣勝負の始まり。このシリアスさこそ、ただ楽しいのではない、探究ならではの hard fun の真髄です。
対戦相手と勝負するわけですが、子どもたちの意識はまったくそこには向いていません。ことばと声と必要最低限の身体表現で、いかに自分の世界を相手に見せ、魅せることができるか。その一点に集中し、演じています。いっぱしのパフォーマーになっちゃっているじゃありませんか。
ゆったりと間をあけ、堂々、朗々と声を出し、メルヘンチックなものから、哲学的なものまで、なかなかの作品がどんどん飛び出します。
見学者は、予想以上に心に響く作品の激突に
「こりゃあ困った。選べない……」
息もつけずにじっと見入っていた大人の審査員は、本気で頭を抱えています。もうこうなると、ワザがどうのとか、リズムがどうのということ以上に、自分の胸に迫ってきたかどうかでしか選べません。問われるのは、子どもたちだけでなく、受けとめる方の感性。選んだ後、子どもたちにしっかりフィードバックを子どもたちに返さなければなりません。
勝った子どもは得意顔になりながらも、さらによくするには同言葉を変え、どう読んだらよいか、早速改善に入ります。負けた子どもも、どこが伝わりにくかったか、どこが共感されにくかったか、声・間をどうするか、とすぐに反省・改善そしてもう一度練習開始です。
本番と同様の緊張感で詩を披露した子どもたちの探究心はどんどん高まります。
「やっぱりぼくこれで勝負しようかな?」
「相手が動物だったら私も動物でいくし、そうじゃなかったら風かな?」
対戦を何度も繰り返すと、相手の手の内がよくわかります。わかるという以上に相手の詩まで覚えてしまうのです。期せずして、自分の個性ではつくりにくいさまざまな詩のスタイルを、この練習を通じて身につけてしまいます。
(あいつはリズムがばっちりだな)
(ああうまい擬声語の使い方だ)
相手のよさを素直に認められるようになるのがこの学びのよいところ。競いあっているのにお互いの作品をリスペクトしてしまうのです。詩をつくることが、お互いの個性をリスペクトし、自信を生み出す。詩人の旅というテーマ学習の裏ミッション(表かも?)は成果を出しつつあります。
プレゼンの日の朝に、くじびきでチーム分けし、そこから発表順をチームメンバーで話し合って決めます。今はまだ誰と一緒のチームになるかわからない。だからこそみんなのレベルアップを図らなければならない……いつになく、いや、初めてといってもよいぐらいの「結束力」でお互いの詩を高めあっているではありませんか。
後は、満を持してプレゼンテーションデーを迎えるばかり。子どもたちのやる気と熱気はアップする一方です。
RI
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