タイトル:To Be or Not To Be
探究領域:自主自律
セントラルアイディア:「意思決定とは行動を約束することである。」
[3・4年生]
今週は、自分の行動を分析した上で、
自分ってどんな人なのかを自他両者の目から見ていきました。
「ぼくは、かっこよさが判断基準になっていることが多かった。」
「それって見た目がいいってこと?」
「そんなことないよ。」
「なぜ、かっこいいのがそんなにいいって思うのかな。」
「よくわからない。」
「泣いているところも、かっこいい感じがする。」
「それは、意識してないけど。」と苦笑い。
「あのさー、◯◯って女子には優しいよね。」
「お父さんから女子には優しくってよく言われてる。」
「自分では、怒れないことがよくないかなと思っているけど、
お父さんには怒るのも大事だけど、君はそのままでいいんじゃないっていわれた。」
会話の中から、一人では思い出せないことが浮かび上がってきます。
「あ。お父さんが書いたぼくの目標にかっこよくなりなさいって書いてある!」
かっこよくなりたいと思う気持ちの背景には、
お父さんからのメッセージがあったようです。
お父さんの言うとおりにしてみようと行動している。
先週には出てこなかった側面が、会話の中から生まれてきます。
別の男の子からも、自分とつなげて思い出されたことが語られていきます。
「女子とケンカした話をしたら、お父さんにすごく怒られた。
女子には優しく。自分の年上に挑め。年下は絶対にいじめるなって言われた。
お父さんに言われたとおりにすれば、よくなっていける気がする。」
「Tくんも女子には優しいよね。」ほかの子にも目が向けられます。
「だって、幼稚園のとき、みんなが女子に優しくしてたから。
そうした方がいいのかなって思って同じようにしてた。
みんなそうしてるし、パパも言っているから、それがいいのかなって思ってる。
でも、みんなが女子をいじめていたら、ぼくもいじめると思うよ。」
“みんな”の基準が変われば自分の判断も変わる。
自分の意思ではなく、世の中や世間といったその社会でできている規範に従って動くことも、
自分の判断基準のひとつになります。
『半パン・デイズ』の中にも、ヒロシが「世の中」と捉えた判断基準が出てきます。
そして、「女の子には優しく」と言われる場面も出てきています。
みんながしているから自分もする。それが普通だから。
でも、その“普通”が通用する範囲は意外に狭いものである場合もあります。
「お腹が痛かったけど、痛くないときもあるし、
スクールには行くのが普通だから、休まずに来た。」
学校に行くことが普通で当たり前。これは誰にでも当てはまることなのか。
3・4年生なりにそうでないことはわかっています。自分たちの生活が当たり前ではないことは、前回のテーマでも出てきた話であり、エネルギー資源のデータからも見えてきたことでした。
自分ってどんな人なのか。この子はどんな子なのか。
自分のいいところが思い浮かばず、ほかの子から言ってもらったり、
よくないところを出していく中で、新たな判断基準が見えてきたり、
自分が意識していないことが浮き彫りになっていきます。
特に嘘や隠し事は習慣になってしまうと、意識が薄くなってしまうもの。
「みんなが頷いているから、自分は知らないのに頷いた。」
「みんなが持っているから、自分は持ってないのに、
いっぱい持ってるって言っちゃった。」
みんなと違うから、本当の自分を隠そうとして嘘をつく。
誰かが本音を言うと、ほかのみんなも言えるようになっていく。
自分とみんなが違うことが「当たり前」であることに気づくと、
判断基準は「人」から「自分」へと変わっていきます。
規範や共通するルールはあっても、一人ひとりがもつ判断基準は異なります。
自分の強みを活かし、弱みを改善していくためには、
どう判断基準を変えていけばいいのか。
親とも友達とも違う「自分」を見つめていきます。
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