小学生のころは明るく元気な少年だったと思うのですが、中学2年になるとそんな自分の「やり方」がわからなくなり、毎日、学校に行くのもつらくなりました。なぜか先生たちとうまく行かず、テストで点が取れていないわけでもないのに、通知表は悪くなっていく一方。それでも、そういう言葉になりきれない不安や不満を担任の先生に打ち明けてもみたのですが、全く理解してもらえませんでした。
「自分だって子どもだったはずなのに、なんで忘れてしまうんだろう?」
自分だけは大人になっても子どものときの感覚を忘れない。そう強く心に誓ったのでした。
30代になるタイミングでデンマークのフォルケホイスコーレと出会いました。
フォルケホイスコーレは16歳以上なら誰でも入れる「大人の学校」として知られる場所で、デンマーク国内だけで70近いフォルケホイスコーレがありました。そのうちの一つに入学し、世界中から集まった人々との寮生活を共にし、自分が学びたいと思う授業を選択しながら国際情勢や政治哲学、衝突と戦争という堅い科目から、体育や映画製作、アート&クラフトなどの軽い科目まで履修して1年間を過ごしました。
フォルケホイスコーレで過ごす中で、デンマークという国ではいかに「普通」という概念が希薄かということに驚きました。「普通」がないとは言わないけれど、みんなそれに囚われていないのです。日本では、学校に行くのが普通、結婚するのが普通、大人は仕事をするのが普通などなど、日本での生活は、たくさんの「普通」に縛られたものだったんだなと気づきました。
また自分たちに必要なものが存在しないとき、たとえば自分に合う学校が存在しないとき、自分たちでそれを作ってしまえばいい、という自由な発想がありました。
日本に帰ることになったとき、じゃあ自分でできることをかたちにしてみようと思いました。
2016年から6年間、栃木県で「小山フリースクールおるたの家」というフリースクールを経営しました。自分にできることはなにか?という問いから日本が抱える不登校の問題に気づき、そこに対して自分にできることとして、一軒家を借りて日中開放し、小中学生を受け入れることにしました。
何もないところから、さまざまなことを企画したり、必要なものの寄付を募ったり、やってくる子どもたちに合わせてかたちを変えつつ、運営してきました。ただ場所がある、ということが、子どもたちにとってどれだけ大切なことか。まだまだ学校外の選択肢が少ない現状で、自分自身が一つの選択肢を作ることに大きな意義を感じました。
一方で葛藤も抱えていました。それは学校で疲弊した子どもたちのエネルギーの回復を優先することと、それでも学びを取り入れていくこととのギャップをどう埋めるかという部分でした。どういう足場を用意すれば、子どもたちが学びの楽しさに気づき、学ぼうという方向に向かうのか、自分自身が何かしらのヒントを必要としていました。そういったときに東京コミュニティスクールと出会いました。コロナ禍で人が来なくなってしまったフリースクールを一度閉じ、より積極的に学びを作っていくTCSに入職するという決断をしました。
とらべが目指すのは、まさに私が経験してきたフリースクールとTCSの学びの間の部分です。個人個人の成長をしっかりと見極めながら、彼らにあった学びを提案していく。それがとらべのマスターとしての仕事だと考えています。