久しぶりに“七選組”のメンバーとのテーマ学習。そのうえ、のっけから
多くの先生方を前にしての「公開授業」と、いやが応にも気分が高揚し
ます。しかし、そんな気分とは裏腹に、今回のテーマ学習は、高学年の
入口にさしかかり、自分の生き方を見つめ直す……という思索し、熟考し
自問自答と他者との議論を繰り返す「渋い」探究です。これまで行ってき
た現地・現物・現人との関わりを通じての探究とは一線を画します。
だんだんと「自己像」が固まってくるものの、それはともすると「どうせこん
なもん」「もう変えられない」というネガティヴなものになりがちです。親の
期待も高まり、見る目も厳しくなる。できて当たり前、できなかったら「まだ
こんなこともできないのか……」と言われてしまう。効力感が弱まり、不安
が頭をもたげてくる時期に、ありのままの自分を知り、変えてゆくのは自分
という「意識」に目覚め、そのために何を「意識」すればよいのか気づくこと
が目標です。
「どうしてもゲームやめられないんだよね」
「あるある」
「同じビデオを何度も見ていて、筋も全部わかっちゃってるのに、でもまた
見ちゃうんだよね」
「だから寝る時間が遅くなるんだよね!」
「宿題もその後やるからね……その後、寝ようと思っても頭がカーッとなって
なかなか寝られない」
「朝起きるのがつらくなるんだよね」
私が1年ちょっと前、彼らと行ったテーマ学習で、「おもちゃを発明する」ため
に行った会議の様子がよみがえってきました。あのとき、よいアイデアを出す
ためにみんなの意見を聴きあって、建設的に議論し、提案することを徹底して
学びました。探究の積み上げによって身についた「伝え合う力」は、必要な
ときにきちんと発揮できるスキルになるということをこの「円卓会議」で実感
しました。公開授業を参観された先生から「互いの意見を聴き合って、話し
合いを続けて、問題を見つけていったところが素晴らしかった!」という賛辞
を頂戴し、授業終了後には「拍手」が起こりました。
さて、円卓会議で浮かび上がった「問題点」とは、
「やっちゃいけないとわかっているんだけどやっちゃう」
ということでした。これは、
「やらなければいけないとわかっているんだけどやらない」
と表裏一体でした。そこで、公開授業の後、最初に行った授業では、いったい
私たちは、どんなことを「やるかやらないか」判断しているか洗い出しました。
「朝、起きるか、起きないか」
「歯を磨くか磨かないか」……
「スクールに間に合うように走るか走らないか」
「あいさつをするかしないか」……
というように気づく限り丹念にあげてゆくと、あっという間には90分の授業が過ぎ
それでもまだ朝起きてから昼過ぎぐらいまでを列挙するのが精一杯でした。
すると、ある子がぼーっと定規で机をたたいているのが見えました。すかさず、
「ねえ、今何してるの?」と尋ねると、その子は「はっ」として、自分がしていること
に気づきます。次の瞬間、その子の目の前にいる子に「ねえ、今何してるの?」
と尋ねると、その子も「はっ」として、シャーペンで紙に意味のない模様をいたずら
書きしていたことに気づきます。これだけ書いても、そこには書かれていない
「やっていること」があると気づきました。
「だって無意識にやってるんだもん……」
誰かがつぶやきます。
「そうか、無意識にやっていることは、意識できないから、思い浮かばないって
ことなんだね」
と私が返すと
「無意識によくないことやるから、意識しなきゃいけないんだよ」
という意見が飛び出す一方、
「でもね、あいさつは無意識でやらなきゃいけないって言われたよ。友達が落と
した消しゴムを拾うのも、無意識に体が動いた方がいいって言われたじゃん」
「問題」は、さらに深化し、「無意識」を「意識化」する必要性と、「無意識化」
した行動の良さとをどう考えるかというポイントが浮かび上がってきました。
これまで「意識」を「意識」するとさんざん言われ続けながら、どうして「意識」
できなかったのか、という「核心」に迫る、「思索する探究学習」の最初のヤマ場
を迎えました。
RI
※TCS2009年度探究テーマ一覧は、こちらよりご覧ください。