【探究領域】社会寄与
【セントラルアイディア】「信」は豊かな社会の基盤である。
<テーマ学習> 〜レポート
今年度2つ目のテーマ学習は「信じるカネ?」
子ども達に共有すると、「お金についてのテーマなの!?」とアンテナが動き出しました。今回のテーマは「社会寄与」の探究領域。社会とお金がどうして結びつくのでしょうか?それぞれが社会寄与のイメージを語りながら、このテーマではどんなことを考えていくのかを想像してみるところから始めました。
寄与という字を見てみると、「与える」という字があるという発見から、社会に何か与えるのかな?税金をお母さんとかが払ってるけど、それって与えてる?
いや、「寄付」の「寄」だから、お金を与えるんだよ!
寄付ってなに?
フィリピンとか、ウクライナとか、貧しかったり、困ったりしている人にお金を与えるんだよ。
それって募金じゃない?だって、TCSに本を寄付するっていうし。
他の人の話を聞きながら、彼らの中で言葉と具体例を結びつけていきました。困っている人のために与えることだけが社会寄与なのでしょうか?
これまでの社会寄与のテーマ学習を見てみると、『ありがとうにありがとう』、『活私開公』、『いい仕事してますね。』、など、他の人との関わりが出てきていただけに、彼らの中でも他の人に対してお金を使うことがポイントになってくるのでは、と考え始めたようです。
では、そもそもそのお金ってなんなのでしょう?
「お金」に対するイメージをそれぞれ語ってもらいました。
いろいろな意見が出てくる中で、話し合いに発展していったのが
・お金自体に価値があるのか(お金の紙そのものの価値について)
・お金って必要なのかどうか
多くの子がお金自体に価値があるんじゃないかと考える中で、O君は「紙自体に価値があるんじゃなくて、価値を国が決めている」と反論。するとIさんは「国じゃなくて、ものに価値があって、それを買ってるんじゃないの?」と返します。すると、周りから「ものを買うってことはお金にも価値があるんだ」という考え、「ものに価値があるってことお金が示している」といった考えなどが出てきました。
物自体に価値があるなら、やはりお金はいらないのでしょうか?
モヤモヤが広がっていきます。モノがほしいはずなのに、なぜ私たちはお金に価値があると考えるのでしょうか。
今回のテーマではなぜ私たちがそうやって信じているのか、「信」というものについて考えていくことを伝えました。
自信、受信、信頼、信用、などなど、信がつく言葉がいくつか出てきました。加えて、ちょうど朝の会で「信頼」と「信用」について話がでたこともあり、子ども達の中からもTCSスピリットのConfidenceについての話題も出てきました。
信用は過去に積み重ねてきたもの、信頼はこれからに対して使う言葉と説明を聞いた子ども達は、自分たちについて「信」があるのかどうかという話に。仲のいい友達同士なら信頼しあっていると思うけど、クラス全体としては信頼がない、そんな意見が多く出てきました。もちろん、全体的に信頼できないのではなく、信頼できなくなるような行動をしているときがある、という認識のようです。
ここについては、ぜひテーマの後半に議論していきたい部分であります。
お金ってどうやって始まったのでしょう?
それを探るために、まずはお金がなかった時を想像し、「物々交換」に挑戦してみました。
物々交換ゲームでは、それぞれが「山の民」「草原の民」「海の民」と分かれて、資源を交換し合いながら生き抜くことを目標としています。
生きるためには食材がなければならないし、安全に生きるためには家も必要になります。お互いの特徴を活かしながら、交換を持ちかけ合いました。
最初は欲しがってくれたのに、後半になると「もう持っている」「今は必要ない」とった状況が生まれてきて、なかなか交換が進まない事態が起きてきました。
結果として全員生き延びることができたのですが、それぞれの終了時の状態は大きく異なりました。
今後もずっと生きていける状態にできた人もいれば、もうこの先は厳しい、そんな状況になった人もいました。
ふりかえりの中で、個人によってOKとするものが違う、つまり必要なものと必要じゃないものが違うから取引がうまくいかないという部分で話し合いが盛り上がりました。
取引を成立させるにはどうしたらいいのでしょうか?粘り強い説得?おしつける?
D君が「家ならみんな交換してくれるんじゃないの?」と言ったところ、もう家持ってるよ、という人はいらないと言い、持ってない人は「ほしい」と言いました。そうした価値の違いを克服するためには「みんなが欲しいもの」があればいい、という結論になりました。
でも、みんなが欲しいものってなんなのでしょう?
Switch?漫画の本?映画のチケット?
調べてみると、貝などの綺麗なものや、お米など保存がきく食料が選ばれた歴史があるようです。
そうした価値があるものが交換の間に入ることで、市場が活性化していき、さらに交換しやすいものが考えられていきました。
そこからどうお金につながったのでしょう?それを探るために「貨幣博物館」へと向かいました。
今回は4年生で協力して外出プランを立てて向かうことに。パソコンを使って調査しながら、ハーモニーを発揮して?プランニングしました
当日は4コマ目から出発し、貨幣博物館へと向かいます。東京発見伝でも訪れた東京駅から、準備した地図を見ながら移動。
道中で見つけた渋沢栄一の銅像前で記念撮影。
貨幣博物館の展示は撮影禁止のため、体験コーナー部分の写真しか撮ることができませんでした。
ちなみに直ぐ下の写真は1億円の重さ体験。
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テーマ外出自体のふりかえり
概ね予定通りにテーマ外出を終えて帰ることができた4年生たち。今回のスケジュールについてふりかえると
・移動時間は下調べのときと同じくらいだった
・お昼ご飯を食べる場所が予定と違ったが、いい場所が見つかった
→実際はもっと遠くの公園を探していたが、道中のビルの間に小さな広場があったので、そこで昼食。サラリーマンの人も多く休憩している場所でした。ビル街だからこそ、休憩スペースが所々にあるという発見にもつながったようです。
・時間を意識して声掛けができた
→貨幣博物館では見て触れるものが多かったが、時々時間を確認しながら回ることができました。
これまでのテーマ学習では基本的にスタッフが組んだスケジュールで外出することが多かっただけに、自分たちでスケジュールを立てて外出したことは時間を意識して行動したり、自分たちが行くんだというモチベーションにもつながったと感じられました。中野駅まで行くという、歩き慣れた道でも、到着時間を意識して声掛けしたり、先導して歩く子が出たりと、自ら動く場面が見られたのは嬉しいところです。
貨幣博物館で印象に残ったこと
それぞれが印象に残ったことを書き出しながら、全体で共有していきました。
・お金の信用について
お金を作ったことで便利になったのに、金属が不足してどんどん質が悪くなっていき、信用がなくなってしまった
中国から金や銀が持ち込まれたことによって日本の貨幣の信頼が高くなった
信用をされるためには、偽札が作りにくい仕組みが必要
昔からさまざまな偽造防止の手段があった、現在のお金にはすごい仕組みがある!
・お金の素材、変化について
どんどん形が変わってきているが、金属だから集まると重い
でも、そもそも何でこんなに変わってきたのだろう?
重すぎて運ぶのが大変そう、持ち上げられない量もあった
金とか銀のお金が多いのかと思ったけど、銅が多く混ざっていた
金が少なくなったときには、なんとか質を保とうとして金色に見せる工夫もされていた
貨幣博物館ではお金の成り立ちとして、中国から伝来したお金、そこからの市場拡大と、お金の衰退、再度の貨幣発行など、歴史を追いながらお金の変化を見ることができました。
物々交換からお金に切り替わったのに、粗悪なお金が出回ったことでお金の信用がなくなり、誰も使わなくなった。そんな歴史があったことを知り、お金を使うことには人々の信頼が必要といったことが感じられたようです。
そして現在のお金も、偽札が出回って信用が無くならないようにするため、さまざまな工夫が凝らされていることを知ることができました。
信用を積み立てていくことは難しいのに、信用を失うのはすぐ。そんな事態がお金でも起きていることを感じた子ども達。学んだことを今一度整理しながら、ここからさらに、身の回りの社会にはどのような信があって成り立っているのかに目を向けていきます。
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お金のもつ機能、そしてお金はどこへゆく?
さまざまな工夫を凝らされて信用が保たれていることを知ってきたキッズ。けれど、これまでの物々交換なども振り返ると、お金がお金として機能するのはそもそも「人々がそれをお金」と思っているから。そこに信頼関係がないと機能しないのです。
そのお金に対して預かる人が現れ、やがては銀行ができました。その変化のなかで、価値を貯めたり、価値をはかるような機能もより明確になってきたことを資料を通じて読み解いていきました。
とはいえ、「これいくら?」「(持っているお金より安いから)買う」といったやり取りは子ども達も行ったことがあります。その支払ったお金はどこに行くのでしょう?
売買の話を振ってみると、「この前漫画買ったばかり」というO君。お金は本屋にいって、代わりに漫画を手に入れた。本屋はそのお金をどうするのだろう?と問いかけると
「貯めるんじゃない?」
「貯めるだけじゃ意味ないでしょ、本を買わないと」
「本屋なのに本を買うの?」
「本屋は印刷された本を買って、それを売ってるんだよ!スーパーとかも野菜を農家から買って売るじゃん!」
「本屋って文房具もあるから文房具も買って、売ってるよね」
「あとさ、買うときに税金も払ってるよね、10%だっけ」
「買うだけじゃないよ!店員さんにお給料を支払わないと」
「その店員さんは給料もらって、スーパーで食べ物買うよね」
「まって、そしたらスーパーもそのお金を給料とか買い物に使うじゃん!」
他の人の話を聴きながらどんどん図が広がっていきます。するとH君がぽつりと「これって終わりなくね?いつまででもできる」と呟いたところ、みんなが同意。お金ってどこまでも続いていくし、みんなが支払ったお金が誰かを支えているかもしれない、そんな構図が見えてきました。
いろんなことに使うことができるお金、それを何に使うかを考えて使うことで、いいお店や好きなブランドが続いていくことができる、そんな発見もあり、少しずつお金を使うことに対する印象も変わってきたように感じられました。
信用や信頼がお金となって社会の基盤になっている、そういった視点で見れるようになってきた子ども達に「お金を信頼しているみたいに、他の人を信頼してみたことがある?」と聞いてみたところ、多くの子がある!と回答。でも、信頼なのか、お願いなのか、ただ「そうして欲しい」という願望なのかモヤモヤしてきました。
信、信用、信頼の言葉の意味合いをみんなで考え、調べながら整理していくと、「信頼してすべて相手に委ねる」ということはしてもらうと嬉しいけど、自分からしたことないかも、という意見が飛び出てきました。
確かに、その結果が自分にも関わるものほど、相手に委ねるということが難しくなるように感じられます。単なる分担ではなく、相手に一任する、そんなことができるのだろうかと頭を抱えるキッズでしたが、スクールでもそうした場面は散りばめられていることを少しずつ見つけていきました。
例えばフェスティバルでは、実行委員長はスタッフから重大な役割を任せられているし、各班のリーダーは班ごとの業務をまとめる役割を任されています。そうした役割は5、6年生に多いのはどうしてなのでしょう?
「やっぱり経験が多いからじゃないかな?」
「いや、経験だけじゃなくて、これまで色々取り組んできたっていう信用が多いからだよ」
ということは信用ないとリーダーは出来ないの?と意地悪な質問をしてみたところ
「信用ないと、みんなをまとめるのは難しそう」
「これだけのことをしてきたから、できるって信頼になると思う」
と信用の積み重ねが信頼につながるという話になっていきました。
一方で信用がなくても信頼できる場面もあるのでは、という議論にも発展。フェイルベルは失敗をしてしまった人がそこから学んだときに鳴らすし、学べたことを祝う拍手は「学べたから次は大丈夫」という信頼にもなっているのでは、とのこと。そのほかにもIT免許などの免許証は「この人は使ってもOK」という信頼の証明書だという意見も出てきました。
私たちの身の回りにある「信」に目を向けてみると、信がないとさまざまな制限が生じてしまう、出来ないことが増えてしまうというところに目がつきました。逆を返せば、信があることで、一人ではできないような大きな物事を進めることができる、そんな視点も少しずつ芽生えてきたようです。
Harmonyというクラス名にして、みんなでHarmonyを発揮していくことを意識している3、4年生ですが、Harmonyメーターを上げるためには見守っているスタッフからの信が鍵になります。なかなかメーターをあげれないでいる今だからこそ、「信のあるクラス」を目指す必要があるのではないか、というモメンタムが生じてきました。
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ところで、信頼ってどんな時に起きているのだろう?
ふとした疑問から、「相手を信頼した」場面と「相手に信頼してもらった」場面を書き出して付箋で貼ってみました。
張り出していくと、「◯◯君は1人でも掃除ができるって信頼した」という相手の役割を信頼したり、「◯◯君が完食するって宣言して毎回食べ切ることができたから今回も信頼した」といった信用があるからこそできた信頼など、信頼も分類ができる気がしてきました。
すると、「分類はしたことがある!」という4年生。以前学んだテーマ学h数『静かなともだち』や『ありがとうにありがとう』などで分類をしてきたことを思い出しながら、あれこれ話をして並べ替えていきました。
すると、信頼することに対して、信頼される場面が少ないような気がしてきました。
じっくりみて考えていると、信頼する側の視点と、信頼される側の視点が違いそう。という発見がありました。
「片付けが1人でできるからやっておいて、っていうのは信頼してると思うけど、頼まれた側としては別に信頼されたって強く感じない」
率直な意見です。役割を任されることは信頼の表れと感じるけれど、自分にとって当たり前となっていることは特に「頼られた!」とは感じにくいのでしょう。子どもたちの会話にスタッフ側も納得し、どんな場面が信頼されたって感じるのかを議論していきました。
境界を作るのは難しいものの、話していてわかったのは「頼られる、信頼されるのは嬉しい」ということ。お互いを信頼する、信用できるという関係は気持ちいいと思う、そんな気持ちが言葉として出てきました。
「信」はクラスや仲間の関係を気持ちよくしてくれるもの、そんな見方で「信」を捉えてみるのも面白いですね。
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「謝る」ってなんのため?
テーマ学習が始まる前の数分間で靴下を投げ合って盛り上がっていた男子たち。けれど、その靴下がIさんとインターンKさんにも当たってしまったのだが、それを気づかずに遊び続け、時間になったので集まってしまった。
Kさんから、「靴下をぶつけられて、いやな気持ちになった」と伝えられたH君でしたが、反応は「ごめん」と言いつつもKさんをチラッとみただけ。それが「謝る」ということなのかと疑問に思ったので、みていた他の子も交えて「謝る」ことについて考えてみました。
謝るってなんのためなのでしょう?
「自分の間違いを認めて、次に繋げるため」
「私も、自分の間違いをちゃんと認めるためだと思う」
といった意見が出てきましたが、単に自分の非を認めるためだけならば、謝るという行為は必要ないのでは?と問いかけてみると
「・・・たしかに、そう」
相手に悪いことをしたのだから謝るのは当然、と思っていることは確かなようですが、なぜ謝るのかは考えていない?そう思ったので、視点を変えて「謝られる側」の立場でも考えてみました
もちろん、謝ったからなんでも許せるわけではない。でも、謝られないとずっとモヤモヤしてしまう。その人と一緒に何かしようとは思えない。
と言う意見で一致。
すると、謝ることでどうなるなるかということも少しずつ見えてきました。謝る相手と、これからも関係を壊したくないという思いが「謝る」という行為に現れているはずです。どんな謝罪をしても「相手が許してくれない」以上関係は崩れたままになってしまいます。
そのような話を通じて、H君はしっかりとKさんに向き合って気持ちを伝えられました。
、、、余談ではありますが、どうやったら「本気で謝っているのか」という議論も少し盛り上がりました。笑
発端はIさんの「本気で謝ってきたなら、許せるかな」という一言。Iさんの一言に賛同する人がほとんどでしたが、「本気かどうか」と言うことは相手の気持ちなので簡単に解ることができません。
姿勢なのか、声なのか、目なのか、モヤモヤしながらもそれぞれの基準が出てきて面白い話し合いでした。
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「信のあるクラス」とは何か?
「信」があることで、私たちのクラスは、社会はもっと気持ちの良いものになるはず。ならば、どうやってその信のあるクラスを作っていくのでしょうか。
抽象的な議題設定なだけに、そのままではどう料理していったらいいのかがわかりません。それぞれの捉え方によってはあらぬ方向に走り出してしまいそうですね。
そこで、TCSではこうした目標や課題をどのように設定しているのかを例にして共有しました。
TCSでは、保護者とスクールの間で子どもたちの目指してほしい姿を共有します。現状についてスタッフ全員が情報を持ち寄って整理し、そこから今の状態や目標に向けた課題を考えていく、という流れになっています。
今回の議題に当てはめると、クラスの共通の目標として「信のあるクラス」を設定しているので、まずはこの意味を共通のものにする必要があります。
まずはそれぞれが考えた意味を持ち寄って、近しい人同士、ちがう方針同士など組み合わせて話し、視点を広げました。
その上で、納得した信のあるクラスの設定に対して、どのような要素が必要になるのかを考えてみることに。
ただアイディア出しをしていっても、つながりが見えてこないので「ロジックツリー」という手法を使うことにしました。抽象的な概念である「信のあるクラス」はどんな要素があれば成り立ちうるのかを分解し、それぞれが作ったロジックツリーを共有し合いました。
共有しあったことで、お互いの考える方向性が見えてきます。
納得した、わかった、繋がった!という発見を出し合って、この4年生全体で1つのロジックツリーにまとめていきます。
ファシリテーターや書記を決めて、話を進めていきます。
付箋を貼りながら、こっちとこっちが繋がるのでは?
同じ内容になっていない?
同じ内容ならどっちに書くべきか、特に伝えたいことはどれか?
など少しずつ磨き上げていきました。作りながら修正して、バージョン3となって、全員が納得する出来になりました。
ロジックツリーができたところで、さまざまな施策が見えてきます。ただ、私たちが取り組むべき課題はどこにあるのかを探るため、それらを評価していきました。
どのように評価するかを明確にするため、3つの軸を設定し、それぞれの項目を全員で評価していきます。
今回設定した評価軸は「時間」「信の獲得量」「達成度」の3つ。
自分たちの評価だからこそ、真剣にファクトを持ち寄って評価していきます。結構できているんじゃない?と思ってもまだまだな部分も出てくる。それが突発的なものなのか、常習的なものなのか、などファクトを読み解きながら評価をしていきました。
評価が終わったところで、私たちのクラスの現状を分析し、取り組むべき課題を明確にしていきました。
少しずつ、信のあるクラスを語るためのピースが集まってきた。
これらのピースをどのように組み合わせて伝えると、プレゼンを聞いてくれる人に私たちの思いが伝わるのでしょうか?
クラス名プレゼンのことを思い出しながら、プレゼンの構想をみんなで練っていきます。
彼らが掲げる「信のあるクラス」とは一体どのようなものになったのでしょうか。
プレゼンをお楽しみに。
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【プレゼン&講評】
プレゼンでは自分たちが定義した「信のあるクラス」に対して、その作り方をロジックツリーを用いながら語っていきました。
ロジックツリーを単に作り上げるだけでなく、そこから得られた情報を自分たちで評価し、現状を分析する段階まで踏み込んで考え、それを伝えることができました。
【プレゼンのふりかえり】
プレゼンを終えたあと、全員でプレゼンの映像を見直してみました。
前回の玉石混交のプレゼンのふりかえりも話題にあがっていて、今回のプレゼンでもスライドを使用したことからBenQを隠さないように立ち位置を調整できたことは多くの子からGoodとして出てきました。
また、BenQを振り返ることがあまりなかったのも子ども達としては達成感があったようです。前回のふりかえりを活かしたプレゼンの立ち回りができたのではないでしょうか。
一方、Betterとして挙げられたのは自分が語らない「待ち時間」の立ち振る舞い。どうしても他の人と顔を合わせてしまったり、途中で移動してしまったり。とはいえ映像を見て認識できていたので、次回はそこを改善していこうと話し合いました。
また、パソコンでスライドの操作をしていたのですが、担当がどちらだったかが混乱してしまって、どちらも押そうとしてしまう場面があったとのこと。話す以外でも役割がある場合は、うまくコミュニケーションをとっていく必要がありそうです。
【テーマ学習6週間を経て】
今回のテーマを3つのアンテナでふりかえってみました。
発見として多かったのはお金の変遷について。なぜお金が必要になった/使われるようになったのかを追ってきた上で、お金にあれほどの偽造防止の仕組みが盛り込まれているのかが見えてきたことは子ども達にとって印象に残ったようです。
偽造防止や銀行が管理することによって、お金に対する信が保たれている、そのことが今回の「信のあるクラス」においても考えていく一つの指標になっていました。
お金こそ、社会における信用を表してると思う、といったI君。みんなも同意していて、社会の基盤というか前提にお金も入っているよね、という気づきを共有していました。
安心してお金を使えるからこそ、いろいろな取引が行えます。一方で自分たちが納めた税金がちゃんと使われないと、信用はどんどんさがっていってしまう。以前話した税金のことを思い出しながら、信用とお金の関わりについて改めて考えさせられました。
疑問、モヤモヤとして大きく残るのは、お金が世界で統一されることはあるのか、ということ。信があるとはどう言うものなのかを考えてきたからこそ、お互いを信用する証として、お金が世界で統一されればいいのに。なぜそうしないのか。O君が切り出した疑問は、テーマの中でも取り上げられた話題ですが、メリットとデメリットがあることも見えています。
悪さをしたり、被害を受ける国があるから、お金は統一しないほうがいいのか、それぞれが信じ合えるようになるためにもお金を統一したほうがいいのか。こうした問題についてもロジックツリーを作ってみると面白そうですね。
今回のテーマでは「信」という抽象的で曖昧なものに対して、自分たちがどう考えて行動していくのかをずっと考えてきました。
そして、それを実現するため、課題解決するためにロジックを立てていく手法にも触れてきました。こうしたアプローチをいろいろな場面で活用しつつ、さまざまな問題とぶつかりながらもぜひ「信のあるクラス」を作り上げていくことを期待しています。
KO
(参考) TCSテーマ学習について、以下よりご覧ください。
・2023年度 年間プログラム(PDF)運用版
・テーマ学習一覧表(実施内容)