何人もの兄弟や姉妹に囲まれ、老人も含めた大人と一緒に住んでいた。時にはおじさんやおばさんまで一緒に。そして、必ず家の中には、赤ん坊がいたものだ。そんな状況の下で、周囲からの要求と己の欲求の板挟みになりながら、おとなの生活に対処する術を学び、いろんな人間関係を経験し成長してきた。 今日私たちは、こういった社会との交流が無いまま大人になり、人間関係、心そして精神の予期せぬ崩壊に苦しんでいる。私たちのほとんどが、一人の人間として、行く宛のない迷い人になっている。 コミュニティスクールは、このギャップを埋めることができる。約20名の子どもたちが学ぶこのコミュニティは、このコミュニティに興味のある両親や祖父母、その他の友人、よちよち歩きの幼児や赤ん坊にまで開かれいて、大人のコミュニテイに対するニーズと、子どもの社会との交流が同時にもたらされる場所になっている。
Philip O‘Carroll, Faye Berryman (Fitzroy Community School 創設者)
しかしその重要性はわかったとしても、なぜ人々は、既存の公教育から離れて、東京コミュニティスクールに子どもを通わせ、地域や家庭が協力しながら学ぶ自発的なコミュニティへと変えるときのさまざまな困難に、わざわざ立ち向かう必要があるのだろうか? その答えは、私たちが育てようとしているのは、主体的に学ぶ力をもち、知力だけではなく、豊かな心や健康な体などの生きる力を兼ね備え、社会性をもった一人一人の人間であり、さらに、それぞれの子どもたちのもつ「違い」を大切にしながら、大きな組織や決められたカリキュラムの中では対応しにくい、それぞれの子どもたちに相応しい柔軟できめ細やかな学びの環境づくりができるからだ。 「学びを通じた人と人とのつながり」=「東京コミュニティスクール」という公式は将来、時代を超え、普遍的なものとして語り継がれることになる。
久保 一之(東京コミュニティスクール創設者)